諸國百物語卷之一 十九 會津須波の宮首番と云ふばけ物の事
十九 會津(あいづ)須波(すは)の宮(みや)首番(しゆのばん)と云ふばけ物の事
奧州會津のすはと云ふ宮(みや)に、首(しゆ)の番(ばん)と云ふ、おそろしきばけ物ありけり。ある夕ぐれに、年ごろ廿五六なるわかさぶらひ一人、須波のまへをとをりけるが、つねづね、ばけ物あるよし聞きをよびて、心すごく思ひける折ふし、又、廿六七なるわか侍一人きたれり。よきつれと思ひ、ともなひて、道すがら、かたりけるは、
「此所には首番(しゆのばん)とて、かくれなきばけ物あるよし、そのはうにも聞きをよび給ふか」
と尋ねければ、あとより來たるわか侍、
「そのばけ物は、かやうのものか」
とて、にわかに面(をもて)かはり、眼(まなこ)は皿のごとくにて、ひたいにつのひとつゝき、顏は朱(しゆ)のごとく、首(かしら)のかみは針がねのごとく、口は耳のわきまできれ、齒たゝきをしけるをとは、いかづちのごとし。侍、これを見て氣をとりうしなひ、半時(はんじ)ばかりいきたへけるが、しばらくありて氣つきて、あたりをみれば、須波のまへ也。それより、やうやうあゆみて、ある家に入り、水を一口しよもうしければ、女ばう、出でて、
「なにとて水をこひ給ふぞ」
とゝひければ、侍、首番(しゆのばん)にあひたる物がたりをしければ、女ばう、きゝて、
「さてさて、それはおそろしき事にあひ給ふ物かな。首番(しゆのばん)とはかやうの物か」
と、云ふをみれば、又、みぎのごとくなる顏となりてみせければ、かの侍、又、氣をとりうしなひけるが、やうやう氣つきて、そのゝち、三日めに、あひはてけると也。
[やぶちゃん注:言わずもがな乍ら、このコンセプトは小泉八雲の「怪談」の「むじな」(現在、八雲は明治二七(一八九四)年刊の御山苔松談・町田宗七編「百物語」の「第三十三席」を元としたと考えられている)の展開と酷似している(原話では化かしたのは獺(かわうそ)であることや、本篇は結末で主人公が死ぬというネガティヴさで大いに異なる)。この手の反復して脅かされる妖怪譚は他の「一つ目小僧」などにも多く見られるパターンであるが、このルーツは恐らく、晋の干宝の怪異譚集「搜神記」の「卷十六」に載る「琵琶鬼」辺りまで遡れる。短いので以下に示す(原文は複数の中文サイトを参照した)。
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呉、赤烏三年、句章民楊度、至餘姚、夜行、有一少年、持琵琶、求寄載。度受之。鼓琵琶數十曲、曲畢、乃吐舌、擘目、以怖度而去。復行二十里許、又見一老父。自云、「姓王、名戒。」因復載之。謂曰、「鬼工鼓琵琶、甚哀。」。戒曰、「我亦能鼓。」。即是向鬼。復擘眼、吐舌。度、怖幾死。
○やぶちゃんの自在勝手書き下し文
呉の赤烏(せきう)三年、句章(こうしやう)の民、楊度(ようど)、餘姚(よえう)に至らんとして、夜(よ)、行くに、一少年、有りて、琵琶を持ち、寄載(きさい)を求む。度、之れを受く。琵琶を鼓(こ)せしむこと、數十曲、曲、畢(をは)りて、乃(すなは)ち、舌を吐き、目を擘(さ)き、以つて度を怖(おど)して去る。復た、行くこと、二十里許(ばか)り、又、一老父を見る。自(みづか)ら云ふ、
「姓は王、名は戒。」
と。因りて、復た、之れを載す。謂ひて曰く、
「鬼、工(たく)みに琵琶を鼓し、甚だ哀し。」
と。戒、曰く、
「我れも亦、能く鼓す。」
と。即ち、是れ、向(さき)の鬼なり。復た、眼を擘き、舌を吐く。度、怖(をそ)れて幾(ほと)んど死せんとす。
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文中の「呉、赤烏三年」はユリウス暦二四〇年。「句章」県名。現在の上海の南シナ海の南対岸、浙江省寧波市江北区。「民」農民。「楊度」人名。「餘姚」地名。同じく浙江省寧波市余姚市。句章の西方三十キロメートル圏内。「求寄載」車に乗せて呉れと頼む。「鼓」弾(ひ)く。「吐舌擘目」は中国の幽鬼の常套的形相(ぎょうそう)で「擘」は「つんざく・裂けるほどに大きく張る(目を皿のように見開く)」の意。「二十里」中国の一里は四百メートルほどしかないので本邦の「二里」(八キロ)ほどである。「甚哀」その奏(かな)で方はひどく哀しげなものであった。
また、本話は後の三坂春編(みさかはるよし)が記録した会津地方を中心とする奇譚を蒐集したとされる寛保二(一七四二)年の序(本「諸國百物語」は延宝五(一六七七)年序)を持つ「老媼茶話(ろうおうさわ)」の「卷之參」にある「會津諏訪の朱の番」と殆んど全く同じ話(表記字の相違を除けば、形容など細部まで一致する。有意に相違する箇所は最後で、本篇では主人公が怪異に遇って三日で頓死しているのに対し、「老媼茶話」では「百日め」とする点のみと言ってよい)が載るので、いい加減な創作ではなく、伝承として、かの地に確かにあったものと考えてよいと私には思われる。【2017年10月9日追記:ブログ・カテゴリ「怪奇談集」に於ける「老媼茶話」の全電子化注で以下に達した。そちらも是非、読まれたい。】
「首番(しゆのばん)」様態から判る通り、これは「朱盤」(「盤」は「器のように丸いもの」の謂いで、「頭の形」や「皿のような眼」からの謂いか)である。
「會津須波(あいづすは)の宮(みや)」現在の福島県会津若松市本町にある会津大鎮守六社の一つである諏方(すわ)神社であろう。鶴ヶ城の西北一キロ弱の位置にあり、創建は永仁二(一二九四)年、祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)。
「齒たゝきをしけるをとは」「齒叩きをしける音は」。上下の歯を嚙み鳴らす、その音は。
「半時(はんじ)」現在の一時間相当。
「しよもう」「所望」。]
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