ブログ・アクセス860000突破記念 火野葦平 蕎麥の花
[やぶちゃん注:私には何か非常に哀しい話と読める。
最初に簡単な語注を附しておく。
「貴船神社」叙述(「香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵」)から現在の福岡県田川郡香春町(かわらまち:現行はこう読む)紫竹原(しちくばる)にあるそれかと思われる。
「香春(かばる)街道」大宰府と豊前国及び大和朝廷を結ぶ街道の一部を原形とするもので、現在の福岡県北九州市から同県久留米市に至る国道三百二十二号に相当し、同国道のの別称として今も使われる。名称は、起点である北九州市小倉南区附近から、田川郡香春町へ向かうことに由来する。
「庚申淵」は不詳であるが、「香春街道の出はづれにある」という表現からは私は地図上で見る限り、彦山川の北の支流である金辺川の淵であろうと踏んでいる。実は後に「庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にある」と出るのであるが、この「長峽川(ながをがは)」と「檢地」という地名はあるにはあるものの、福岡県行橋市下検地付近でここは香春からは直線でも十キロ以上離れており、しかもここを行き来可能な河川を地図上では見出せない。識者の御教授を乞うものである。
「海御前」既に電子化注した本「河童曼荼羅」の作品にはしばしばこの設定でこの名が出るが、特に彼女を主人公とした「海御前」がある。また「西日本リビング新聞社」公式サイト内の「海御前とカッパの証文石(門司区)」を読むと、平教経の妻海御前が河童の惣領となったことが出、また以下の大積周辺には河童駒引伝承があることが判る。なお、個人サイト「北九州市まちかど探検」の「門司区大積周辺地区」も必見。
「大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)」企救半島の東側福岡県北九州市門司区大積。上記に引用した「海御前とカッパの証文石(門司区)」で、大積の殿様が「乙女川」の川岸で愛馬を河童に引かれたと出るが、これは大積村内を流れる奥畑川の別名であり、従って、「乙女岩」はこの大積の周防灘に面した入り江(或いは河口附近)にあった岩礁(或いは川中の岩場)を指すものかと推測される。
「庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる」これは現在の福岡県久留米市大橋町常持にある庄前神社である。古賀勝氏のサイト「筑紫次郎の世界」の「伝説紀行」にある「巨瀬川の尼御前カッパ」に詳しい。
「草野(くさの)」現在の福岡県行橋市草野。ここは先の「長峽川」の左岸(北側)に当たり、地名の「検地」にも近い。ますます分らなくなってきた。
「到津(いたうづ)」遙か北の現在の福岡県北九州市小倉北区到津(いとうづ)である。現在、「到津の森公園」として小倉区西部では特異的に自然が残っている。
「伽羅(きやら)」香木の一つである沈香(じんこう:正しくは「沈水香木(じんすいこうぼく)」)の中でも質のよいものをこう呼ぶ。ウィキの「沈香」によれば、『東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属(学名:アクイラリア・アガローチャ
Aquilaria agallocha)の植物である沈香木などが、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったものである。原木は、比重が』〇・四と『非常に軽いが、樹脂が沈着することで比重が増し、水に沈むようになる。これが「沈水」の由来となっている。幹、花、葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違う』とある。
「音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、/橋の下から泣き音頭」これは盆踊唄の一つである。こちらを参照されたい。
「高門(たかもん)」地名かも知れぬが、見当たらぬので金持ち(或いはその部落内でのそうした富裕な家の通称一般名詞又は名前に準じた固有名詞)という意味でとる。
「ギンギュウといふ魚」「はえにちよつと似てゐる川魚で」「珍しい魚でもなんでもない」が「赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた」「はえ」は、日本産の条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Cyprinidae の淡水魚の中で、中型で細長い体型をもつ種群の総称であり、「はや」「はよ」などとも呼ばれるが、これはだいたいコイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis・ウグイ亜科アブラハヤ属アムールミノー亜種アブラハヤ Rhynchocypris logowskii steindachneri・アブラハヤ属チャイニーズミノー亜種タカハヤ Rhynchocypris oxycephalus jouyi・コイ科 Oxygastrinae 亜科ハス属オイカワ Opsariichthys
platypus・Oxygastrinae 亜科カワムツ属ヌマムツ Nipponocypris sieboldii・Oxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ
Nipponocypris temminckii を指す。私はこの内でも春に雌雄ともに鮮やかな婚姻色の紅色条線を発するウグイ Tribolodon hakonensis をそれのモデルとして採りたい(この時期の彼らを「桜うぐい」と呼び、私は好物である)。なお、「ギンギュウ」という奇体な名からは条鰭綱ナマズ目ギギ科ギバチ属ギバチ Pseudobagrus tokiensis の地方名である「ギギュウ」「ギンギョ」を想起するが、これは紅い模様の必要条件を満たさない(茶褐色の赤味の強い個体はいるが、「桜うぐい」に比したら話にならぬし、「はや」のグループとも似ていないからである)。
「産褥」「さんじよく(さんじょく)」産婦の用いる寝床。
「ドンコ」棘鰭上目スズキ目ハゼ亜目ドンコ科ドンコ属ドンコ Odontobutis obscura 。日本産ハゼ類の中では非常に珍しい純淡水性のハゼ。
「沈湎(ちんめん)」沈み溺れること。特に酒色に耽って荒んだ生活を送ることに用いる。
なお、本篇は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログ・アクセスが860000を突破した記念として公開する。【2016年9月17日】]
蕎麥の花
川面をわたる風に乘つて、貴船(きふね)の方角から太鼓の音が聞えて來る。盂蘭盆(うらぼん)が近づいたので、村の若い男女が社の境内に集つて盆踊りの稽古をしてゐるらしい。これは每年のことだから、格別珍しいことではないが、香春(かばる)街道の出はづれにある庚申淵(かうしんぶち)に棲んでゐるお染河童(そめかつぱ)にとつては、年變るごとの樂しみの一つではあつた。河童も遊ぶことがきらひではないけれども、人間たちのやうにかういふ浮き浮きした度はづれの祭はやらない。ことに、お染をふくむ北九州界隈の女河童は、いづれも源氏に亡ぼされて關門海峽に沈んだ平家の女官であつたから、敗戰滅亡の悲しみがなほ尾を引き、なにかの歡樂に底拔けにうつつを拔かすといふ氣特になかなかならないのだつた。しかし、樂しいことは好きなので、人間たちが浮かれ騷いでゐる樣子を遠望しながら、すこしでも心を明るくするよすがにはしてゐた。今夜も月のさす土堤(どて)に腰かけて、お染は提灯や炬火(たいまつ)のきらめく神社の境内の賑はひを眺めてゐたのである。そして、化(ば)ける術を知つてゐたならばきれいな娘に變じて、踊の環のなかに加はることができるのにと思ひながら、變化(へんげ)の法を知らないことにさびしさを感じてゐた。
壇の浦で亡びた平家一門のうち、男は平家蟹となり、女は河童となつた。その女河童たちは能登守教經(のとのかみのりつね)の夫人であつた海御前(あまごぜ)によつて統率されてゐる。海御前は門司(もじ)の大積(おほづみ)村にある乙女岩(おとめいは)に本據をかまへ、ことあるごとに部下を召集して、さまざまの指示をくだす。毎年六月一日には定斯總會が行はれた。海御前はそのときどきの情勢にしたがつて、いろいろの指圖をしたが、いつの會合のときにも變らぬことが一つあつた。それは憎い源氏に對する恨みである。日ごろはおとなしい海御前も事源氏に關する話題になると、柳眉を逆だて眼をぎらつかせ、背の甲羅を炎症をおこすほどぎすぎす鳴らして、
「お前たち、なんでもかんでも源氏につながりのあるものには、かならず仇を討たないと、平家一門の顏にかかはるぞ」
と、まるでやくざの女親分のやうに、凄い啖呵(たんか)を切るのが常であつた。
大勢の女河童のうち、海御前から特に愛されてゐた數名が關門海峽の海底から他所へ移された。庄ノ前は筑後川中流の水の美しいところに居をあたへられ、お染は庚申淵に配されたのであつた。庄ノ前は土地ではいつかションマエ樣と呼ばれるやうになつて、祠(ほこら)を建てられ、今日まで親しまれてゐる。お染のあたへられた庚申淵は長峽川(ながをがは)と檢地川(けんちがは)との合流點にあるため、つねに水が變り、深さははかり知れないほどになつて、その棲み心地はなんともいへなかつた。水の澄んでゐることは靑水晶のやうである。そして、餌(えさ)は豐富だつた。關門海峽で味氣ない集團生活をしてゐたときには瘦せてゐたお染は、庚申淵に移住してから一ケ月もたたぬうちに見ちがへるほど肥え太つた。大勢ゐるとかならず起る感情問題やいざこざがここにはなく、のんびりと自由であることが彼女を肥えさせる一因にもなつたのであらう。ただ一つの缺點は孤獨であるといふことだけだつた。お染は心のやさしい河童であつたから、夏になつて、長峽川、檢地川、庚申淵等で泳ぐ子供たちがけつして溺れないやうに見守つた。溺れさうになる者があるとこれを助けた。しかし二つの川と一つの淵との全部にはとても注意が行きとどかず、彼女が氣を配つてゐるにもかかはらず、たまに子供が溺れることがあつた。そんなときお染は神通力の惠まれてゐないことを悲しみ、死んだ子供のために淚を流した。しかし、人間たちはそんな彼女の氣持を知らず、河童の畜生奴、子供を引きこみやがつて、と口惜しがつて罵倒するのを常とした。
貴船神社境内の盆踊りは夜更けになつても衰へる樣子はなく、さらに賑はひを增して行くやうである。孟蘭盆には人間には特別の樂しみがある。若い男と女との自由な交歡である。お染も年ごろになつてゐたから、人間たちのさういふ靑春の營みを見て心が疼かないでもなかつたが、自省心に富んでゐたので亂れるやうなことはなかつた。太鼓の音はいよいよ高くなつた。人間の歌聲のどよめきとともに、提灯の數もふえ、炬火の火花は冴えた靑い月を燒きこがすやうに中天に舞ひあがつて、眞夏の夜空に吸ひこまれた。
土堤にうづくまつて、膝をかかへたまま、この光景を眺めてゐたお染は、ふつと妙な物音を耳にしてふりかへつた。芒の叢(くさむら)をかきわけて、一匹の狐がこちらにやつて來るのが月光に見えた。向かふではまだ河童に氣づかぬらしい。お染はあわてて土堤のかげに走りこんだ。見られたところでかまはないのだが、狐が奇妙なことをはじめたので、これを見物するために姿を隱したのである。幸ひ風が反對に吹き、河童特有の生ぐさい匂ひが狐の方に行かないことをよろこびながら、お染は眼を皿にして狐の一擧手一投足を注視した。
狐は土堤から川原に降りた。ちよつとあたりを見まはしてゐたが、誰もゐないと安心したらしく、汀(みぎは)で顏を洗ひはじめた。細い手にすくひとつた川水がまるで水晶のかけらをまき散らしてゐるやうに、月光にキラキラ光つた。その何滴かは飮んだらしい。狐はそれから北斗七星をふりあふいで、なにかを祈るやうな恰好をした。次には叢のところに行き、しきりに草を引き拔いて自分の身體にくつつけはじめた。草で身體中が掩はれるほどになつたとき、お染河童は瞠目(どうもく)した。もうそこには狐などは居らず、一人の美しい靑年が立つてゐるのであつた。元祿繪卷から拔けだして來たやうな若衆であつた。靑年は化身を終ると、對岸はるかの人間たちの盆踊りの光景を眺めながら、祭囃子の調子にあはせて川原で踊りだした。その手ぶりや身體のさばきはあざやかで、お染はうつとりと見とれた。そして、ふたたび自分が變化の才に惠まれてゐないことを悲しんだ。お染はたまらなくなつて、土堤を降つて行つた。狐は突然河童が出現しても格別おどろかなかつた。庚申淵に棲んでゐるお染河童のことを知らぬ者はなかつたし、お染が他の河童たちとちがつて、性質のやさしい、またみめ形も美しい女河童であることは有名であつたからである。ただ狐は知らぬ間に自分の行動を見られてゐたことを知つていくらか照れた。
「今晩は」
と、お染は挨拶した。
「今晩は、お染さん」
と、狐はにこにこ顏で答へた。そして、くるりと宙返りすると、もとの狐になつてしまつた。みごとな藝である。
「さつきからあなたの姿を感心して拜見して居りました。あなたはどちらの方です」
「草野(くさの)に棲んでゐる者で、與左衞門と申します。どうぞ、よろしく」
「草野の狐さんはあたしみんな存じて居りますのに、あなたははじめてですわ」
「さうかも知れません。つい四五日前、到津(いたうづ)の方から叔父を賴つて草野に參りましたばかりですから。でも、僕の方は到津にゐるときから、お染さんのことは聞いて知つて居りましたよ。一度お逢ひしたいと考へてゐたところでした。今夜はからずもお目にかかれて光榮です。おつきあひ願ひます」
「こちらこそ」
この夜がお染と與左衞門とのなれそめの最初となつた。孤獨のさびしさに耐へてゐたお染は一擧に與左衞門によつてこれまでの渇(かつ)を醫(いや)され、男の方も眷屬(けんぞく)はちがふが魅力に富んだお染を愛して、二人の仲は日とともに濃厚になつて行つた。その結合は自然であつた。お染はしかしはじめは自分の體臭について思ひ惱んだ。魚のやうに生ぐさい匂ひは河童本來の身についたものなので、これをどうしようもない。芳香のある花や草の汁を塗つてみても、人間の使用する香水をふりまいてみても消え去るものではなかつた。神佛に願がけしても效驗はなかつた。宿命的にあたへられたものを恨んでも仕方はないが、お染はこのいやな匂ひのために、與左衞門から嫌はれるのではないかと怖れた。これまでは自分の體臭について反省をしたこともなく、いやだと思つたこともないのだが、戀が彼女を唐突に苦しめはじめたのである。しかし、案ずるほどのことはなかつた。惚れてしまへばアバタもヱクボといふ人間の諺は眞實だつた。與左衞門はお染の體臭をいやがるどころか、
「お染さんの身體は全體がまるで伽羅(きやら)のやうですね。實にすばらしい匂ひがする」
といつて、いよいよお染を溺愛した。その匂ひはかへつて官能を刺戟するものとなつて、二人の愛慾のいとなみは野放圖なほどだつた。お染はもう孟蘭盆の人間たちの靑春圖繪を見ても羨ましがる必要はなくなつた。眷屬のちがふ動物同士の戀の意味や、傳説の掟のきびしさや、先々のことなど、いまはなにひとつ考へることはせず、現在の幸福に溺れきつた。お染には祕密ができたのである。
大積の乙女岩にゐる海御前はつねに部下たちの動勢に注目してゐたが、お染の戀愛については最後まで氣づかなかつた。庚申淵を中心とした長峽川、檢地川には男河童はゐなかつたし、まさか異類の獸と交歡してゐようとは想像もしなかつた。忍ぶ戀をしはじめると智慧もつく。いつかお染も親分をだますことが上手になつてゐて、巧妙に虛僞の報告をした。お染が氣立のよい、噓をつかない女であると海御前は信じきつてゐたので、やすやすと舌の先に乘せられ、お染の一言一句を疑はうとはしなかつた。お染は噓をつくことがよいこととは思はなかつたけれども、戀のためであればそれを罪惡とは考へなかつた。
「お染さん、御馳走だよ」
與左衞門はさういつて、よくいろいろなものを持つて來た。油揚げ、蓮根、かまぼこ、煮豆、昆布卷き、すしなどである。それはしかし與左衞門がこしらへたり買つたりしたものではなく、庚申塚に供へられたり、人間が好んでやる宴會といふものの歸りに、折詰をぶら下げてゐるのをかつぱらつて來たものである。庚申淵の土堤に獲物をぶらさげて來ると、與左衞門は淵のうへまで枝をさしのべてゐる榎の大木の幹をコンコンコンと三度たたく、それが訪れの合圖だ。その低い音は靑く淀んだ深い淵の水をくぐり拔けて、淵底のお染の棲家まで電報のやうにとどく。お染はおしやれになつた。その音を聞いてから大急ぎで頭の髮をかきつけ、背の甲羅をみがき、薄化粧する。嘴にも紅藻(べにも)の汁を塗り、頭の皿の水も新しくとりかへる。與左衞門の方も同樣で、二人は逢ひびきのたびに、おたがひがだんだん美しくなるといつてよろこび、さらに慕情を深めあふのであつた。
「與左衞門さん、お土産よ」
お染の方もときどき草野に出かけて行つた。しかしこれはいくらか冒險であつた。庚申淵にはお染以外誰もゐないけれども、草野には狐や狸がたくさん棲んでゐるので、ひと目につきやすい。與左衞門もこれを顧慮して、お染に草野には來るなといましめてゐた。しかし、お染は逢ひたくなるとたまらなくなる。それにもう一つは奇妙な嫉妬心もあつた。與左衞門がお染を草野に來たがらせないのは、草野に女房がゐるからではないか。女房でないまでも戀人でもゐるのではないか。しかしそれは杞憂(きゆう)だつた。まつたく露見を怖れてのことであつた。狐の仲間には異類と交歡してはならぬ掟があつたから、與左衞門はお染との仲がばれることに戰々兢々としてゐたのである。それで、お染が、鯉、鮒、鯰、すつぽん、はえ、えびなどの豪華な川料理を心をこめて土産に持つて行つても、與左衞門は不機嫌に佛頂面をしてゐた。
「君がこつらに來なくたつて僕が行くよ。危險ぢやないか」
「でも、今日で三日も來て下さらないんだもの」
「そんなに毎晩は行かれん。女はそれしか用がないかも知らんが、男には仕事があるんだ。もう二度と草野には來なさんな。どうやらこのごろ、叔父がかんづきかかつてる形跡があるから、……」
さういはれてゐても、一週間も與左衞門が姿を見せないと、お染は矢も楯もたまらなくなつて、草野へ出張して行くのだつた。
そろそろ秋風の吹きはじめたうすら寒い晩のことであつた。四五日前から降りつづいた雨はあがつてゐたけれども、道はぬかるみ、二つの川と一つの淵の周邊にはいたるところに水たまりができてゐた。三日月が出てゐた。
村の靑年に化けた與左衞門は檢地堤に腰をおろし、前方から大聲で歌をうたひながら近づいて來る人間を待つた。疑ひもなく宴會の歸りで、醉漢の腰には大きな折詰がぶらさがつてゐる。その中身が近來にない豪華料理らしいことは箱の大ききと紋章つきの風呂敷の立派さでわかつた。きつとどこかの大家で婚禮があつたものにちがひない。調子はづれの野太い聲でどなりながら來るのは、五十がらみの百姓親爺だつた。
音頭(おんど)とる子が橋から落ちて、
橋の下から泣き音頭
サッサ、ヨイヤサ、サノサト……
「おつさん、上手ぢやなあ」
と、與左衞門は醉つぱらひが近づいて來ると、聲をかけた。
「誰ぢや、そんなところに居るとは?」
「貴船(きふね)の勝太郎ですよ」
「貴船の勝太郎がそんなところでなにしとる?」
「月を見とりますよ」
「月見? ヘン、あんな針金みたよな月を見てなんするか」
さういつた百姓は芯から醉つてはゐなかつたとみえ、急にギョロッとした眼つきになつて、土堤の男を見た。たしかに貴船の勝太郎にちがひないが、その勝太郎は川の土堤に來て月を見るやうな風流な男ぢやない。いま時分は判子(はんこ)を押したやうに、このごろ村にできたパチンコ屋にゐるはずだ。百姓はこの界隈でよく狐から折詰をとられる噂を思ひだした。彼は力自慢で度胸もある男だつたので、この狐をひつとらへてやらうといふ魂膽になつた。それでなにげない樣子で、
「おい勝太郎、高門(たかもん)の祝言(しうげん)でたいそうな御馳走を貰うて來た。ちいと食はんかい」
さういひながら、腰の折詰をはづした。
それでなくてさへ、お染のために折詰を狙つてゐたのだから、與左衞門は渡りに舟と思つた。
「そんならすこしよばれるかな」
といつて、土堤から下の道に降りて來た。無論すこしではなく全部かつぱらふつもりである。
百姓の方は用心しながら、風呂敷包みをひろげる眞似をした。與左衞門は油斷をしてゐた。いきなりつかみかかつて來た百姓のため、わけもなく、そこへ抑へつけられた。おどろいてはねのけようとしたが、まるで岩がのしかかつて來たやうな糞力(くそぢから)だつた。
「おつさん、なにを無茶するのか」
「ワッハッハッハッ、土狐(どぎつね)のくせに、無茶が聞いてあきれるわい。貴樣のために、この邊の者がどんなにひどい目に逢うたかわかりやせん。もうかうなつたら百年目ぢや。狐汁にして食うてやるわい」
「おつさん、おれは貴船の勝太郎ぢやよ。狐でなんかあるもんか」
「笑はせるな、尻尾を出してやがるくせに」
おさへつけられた拍子に、神通力がとけてもとの狐にもどつたことを與左衞門は氣づいてゐなかつた。人間は狐をしばるために自分の帶をときはじめた。
與左衞門の頭にぼつとお染の顏が浮かんだ。すると身内に猛然たる勇氣がわきでて來た。渾身(こんしん)の力をふるひおこすと、岩の重(おも)しのやうな百姓の身體の下からはねあげた。しかし、相手もさる者だつた。
「逃がしてたまるか」
と喚(わめ)いて、狐をなほもしつかりと摑んで離さなかつた。脱れようとする與左衞門と逃がすまいとする百姓とは組んづほつれつの格鬪になつた。そして二人ともそこら一面にある水たまりの中をころげまはつて、ずぶ濡れ泥まみれになつた。一度百姓は狐を深い水たまりのなかに押しこんだ。窒息させようと考へたのである。與左衞門は水中でもがき、したたかに泥水を飮んだ。息がとまりさうだつた。しかしまたお染のことを考へると、必死になつて暴れ、やうやく百姓の手から脱れることができた。もう折詰どころではなく命からがら草野へ逃げ歸つた。
與左衞門が十日間も姿を見せないので、お染は心配のあまり、禁ををかして草野に出かけて行つた。そして、與左萄門が高熱を發して寢こんでゐるのを見ておどろいたのである。冷い水たまりで泥水を飮んだため、風邪をひき胃腸病にかかつてゐるのだつた。そして、胃腸の方は治つたが、風邪がこじれて肺炎をおこしてゐた。格鬪したときの傷痕が方々にある。與左衞門は瘦せ細り、聲にも元氣がなかつた。お染はその姿を見て泣きくづれたが、この災難が自分に御馳走をあたへようといふ戀人の氣持からの出來事とわかると、どんなにしてでも自分が與左衞門の病氣を治さなければならぬと決心した。またお染は戀人につききりで看病がしたかつた。しかしそれは不可能だつた。ふだんでもひと目が多い草野なのに、與左衞門が寢こむと、叔父一家の狐たちが入れかはり立ちかはり看病に當つてゐるため、その際を見て與左衞門に逢ふだけでも大變である。不安と焦躁とにかられながら、お染は容易に病人に近づくことができなかつた。それは與左衞門の方も同じ思ひだ。二人はちよつとの隙をうかがつてはあわてふためいた逢ひびきをした。與左衞門は叔父たちの棲家とはすこし離れた小さい穴に一人で棲んでゐたので、これまではお染がときどき訪れて行つてもわからずにすんでゐたのであるが、今度はうつかりしてゐると發見される公算が大だつた。
「とにかく早く全快して貰はなければいけないわ。あたし肺炎によく利く藥を持つて來てあげるわ」
しだいに衰弱して死相さへ呈しはじめた戀人を救ふため、お染は一大決心をした。彼女は胸の病をなほすためにはギンギュウといふ魚に勝るものはないことをよく知つてゐた。はえにちよつと似てゐる川魚である。ギンギュウは二つの川にも庚申淵にもたくさんゐる。珍しい魚でもなんでもない。ただ、きびしい傳説の掟にしたがつて、獲ることを禁じられてゐるのであつた。乙女岩に眷屬を召集する海御前はしばしばギンギュウ捕獲の罪について指示をあたへてゐる。源平合戰の間中、平家の旗印であつた神聖な赤旗の模樣がギンギュウの胸の鰭(ひれ)のところにあつた。このため、壇の涌に沈んで亡んで後、河童となつて魚類を常食とするやうになつてからも、ギンギュウだけは特に除外されてゐるのである。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇をせよといふ海御前は、わが平家にすこしでもつながりのあるものは大切にせよといひ、これををかすものはきびしく罰すると宣言した。その統領の言葉は恐しい。禁ををかした仲間がただちに十日間の絶食を命ぜられ、海御前の笞(しもと)によつて百たたかれたことが數囘あつた。ギンギュウのたくさんゐる庚申淵にお染が移住させられたのも、お染が禁を破るやうな女ではないことを信用されたうへであることはいふまでもない。しかし、今お染は戀人の命を救ふため、悲壯の覺悟をしたのであつた。
ギンギュウを捕へることはわけはない。自分たちだけは安全と安心しきつてゐたギンギュウたち愕然として逃げ惑うたけれども、敏捷な河童のためにわけもなく捕獲された。お染は藥餌法にしたがつて、それを榎のかげで黒燒きにし、そつと草野へ運んで行つた。與左衞門はよろこんだ。效果はてきめんだつた。亡靈のごとく瘦せ細つてゐた戀人はしだいに元氣を恢復し、熟も下がつて來た。もはや死の影は遠ざかつたと思はれた。
「ありがたう、お染さん、君のおかげで命拾ひした」
「あたしもうれしいわ」
「それで、僕、この間から寢てゐて決心したことがあるんだ。君と正式に結婚することだよ。君のために命が助かつた、君の心づくし、さういふことがわかつたら、いかに頑迷な叔父でも許してくれると思ふんだ。僕はいつか話してみようと考へてな」
「ちよつと待つて頂戴、あたしにも、すこし考へさせて」
「うん、無論、君のためを思つてのことだから、君にもよく考へて貰はなくちやならん」
「あたしの決心がきまるまでは、叔父さんには絶對に話さないやうにしてね」
お染は正式な結婚などしたくはなかつた。そんなことは形式主義だ。人間は形式主義が好きだから、馬鹿々々しく派手な婚禮騷ぎをするけれども、そんな愚劣なことが自分たらに必要だとは思はなかつた。もう今でも立派な夫婦ではないか。與左衞門が元氣になり、これまでのやうに庚申淵にやつて來て、樂しい逢ひびきができるだけでお染には充分なのだつた。數々の掟を破つてゐるとしてもその幸福を味はふことによつて、お染は孤獨から解放され、しみじみと生き甲斐を感じてゐるのである。このうへどうして正式の結婚の必要などあらう。ましてさういふ話になつて來ると、これまでの罪がみなばれる。お染はそれが恐しかつた。彼女はいまのまま美しいエゴイズムを通してゐたいのである。彼女は與左衞門が病氣のためにすこし頭が變になり、感傷的にもなつたのだと判斷し、ともかく一日も一刻も早く全快させて、もとのやうに庚申淵に來られるやうにしなければならぬと考へた。それで、さらにギンギュウ捕獲に熱中し、これを藥にして與左衞門の病床に屆けた。
叔父たちは自分たちの知らぬ間に妙藥が來てゐて、然もこれがめきめきと效いてゐることを不思議に思つた。また、與左衞門の穴の中がときどき異樣な臭氣に滿たされてゐることも不審に思つた。
「こりやあ、なんの匂ひかなあ?」
叔父は鼻をかくひくさせて、穴中をかいで𢌞る。與左衞門はひやひやして、
「匂ひなんて、なんにもしてやしませんよ」
「いんや、たいそう魚(さかな)くさい。部屋の中に魚氣はないやうにあるが、……」
與左衞門はよつぽどお染のことを打ちあけようかと考へた。ごまかしばかりいつてゐることは苦しい。しかしやはりお染の懇願を考へてそれを我慢した。決心がつくまで話してくれるなといつたときのお染の悲しげな顏が浮かぶと、咽喉まで出かかつてゐた言葉がひつこんだ。
ギンギキュウの效果はてきめんであつたが、全快するまでには一つの副作用があつた。ギンギュウのため黴菌が死に、肺が正常な活躍にかへる前後、はげしい咳が出る。これを越せば全治するのだが、數日つづくこの咳はちよつ苦痛だつた。與左衞門にも恢復期が來て、はげしい咳が出はじめた。コンコンコンコンと、のべつ幕なしに出る。おさへようとしても止まらないし、努力すればするはど聲が高くなる。與左衞門は病床で日夜咳きつづけた。この連續する咳の聲は、遂に附近の人間たちの聞きとがめるところとなつた。
「おい、變な鳴き聲がするぞ」
「うん、わかつた。狐ぢや。惡戲(わるさ)ばつかりする狐の奴、どこに棲んどりやがるかと思うとつたら、こんなところの穴に居やがつたんぢやな」
「いつか權六おつさんが高門の祝言の歸りに捕まへ損うたと話しよつたが、あのいたづら狐にちがはん。今度は逃がすな」
「よし、燃し出せ」
咳のために狐の存在は明白になつた。村の靑年たちは五六人でその征伐にとりかかつた。注意深く準備をすすめた。夜は暗いので、眞晝間、穴のまはりに網を張りめぐらし、穴から出ても逃げられないやうにした。それから穴の前に生柴(なましば)を積み、それに火をつけた。二三人が圃扇(うちは)でくすぶる靑白い煙を穴のなかにあふぎこんだ。屈強の若者が棍棒を持つて穴の前で待ちかまへた。
穴の中の咳はいつそうはげしくなつた。煙にむせかへる息苦しげな呻(うめ)き聲が聞えた。なほも煙を送りこんでゐると、その濛々たる煙の幕のなかから一匹の狐がとびだして來た。
「そら、たたき殺せ」
棍棒を持つてゐた靑年たちが狐を追ひまはし、さんざんに殴りつけた。與左衞門は必死に逃れようとしたが、網が張つてあつて出られない。たうとう手足が網にからまつてしまひ動けなくなつた。靑年たちは力まかせに棍棒をふるつたので、病みあがりの狐は血へどを吐いて死んでしまつた。
産氣づいて動けなくなつてゐたため、お染はしばらく庚申淵の底で出産の日を待つてゐた。與左衞門のことが氣にならなくはなかつたけれども、すでにギンギュウ藥で全治することは時間の問題であつたし、自分も愛人の子を産むためなので、次の逢ふ日のよろこびの大きさを考へながら、産褥に橫たはつてゐた。秋の氣配は淵の底までもしみてゐて、うすら冷い水の流れは頭の皿にも眉にもこころよく當つた。紅藻の間に鯰や蟹がゐて、格別用もないのに出たり入つたりしてゐる。ギンギュウももう危險が去つたことを知つて、お染の眼のとどくところで悠々と泳いでゐた。川砂のなかに潛(もぐ)つてゐるドンコがときどき泡をふき、それがガラス玉の首飾りのやうになつて水面へ登つて行く。大シャンデリヤをいくつも點(とも)したやうに天井が眩(まぶ)しくきらめいてゐるので、明るい秋の太陽がいつぱいに淵の面に當つてゐることがわかる。その水面近くを幾列も雁のやうにメダカが隊をなして通りすぎる。これらのものをものうい眸で眺めながら、お染は大らかな幸福感に浸つてゐた。將來の設計などを考へてゐたわけではないが、子供の生まれることと、その子を見せて與左衞門に逢へることは、想像しただけでも微笑のわくことであつた。お染はいささかの罪も意識もなかつた。
數日後、お染は子供を生んだ。お染は仰天した。男か女かとそんな樂しい豫測をしてゐたのに、そんなことどころではなかつた。これは一體なんであらう。狐の顏の頭に皿があり、狐の身體の背中に甲羅がある。狐の足に水かきがつき、長い尻尾が生えてゐる。その醜惡さはいひやうがなかつた。鳴き聲も不氣味である。お染はぞつとした。暗愚なるものは河童である。愛慾の詩に沈湎(ちんめん)してゐて、混血の科學には想到しなかつた。生んでみてびつくりしてゐるのである。
お染は淵を出た。そして、一散に草野に飛んで行つたが、そこで見たものは戀人のむざんな死であつた。人間どもは打ら殺した狐をかついで、意氣揚々と村の方へ引きあげて行くところだつた。高らかな笑ひ聲がお染の心臟を突き刺した。お染は淚も出ず、憤然と庚申淵へ引きかへして來たが、長峽川と檢地川との合流點まで來たとき、愕然として眦(まなじり)をあげた。お染は見た。檢地川の土堤のわき一面に源氏の白旗がたなびき、へんぽんと風にひるがへつてゐるのである。お染の顏に親分海御前の言葉がひらめいた。源氏にかかはりのあるものにはすべて仇を討て。しかし、ほんたうは庶民の白旗は恐しいのである。いつもなら逃げたであらう。しかし、お染は絶望の勇氣をふるひおこして、源氏の白旗のなかに突入して行つた。縱橫無盡にあばれた。といつてもただその軍勢のなかを眼をつぶつてやたらにのたうちまはつたにすぎない。しかし、それは源氏の白旗ではなく、そば畑であつた。秋口になるといたるところに白い蕎麥(そば)の花が咲きはじめる。お染は長く淵底にゐたため、いつかそばの花が滿開になつてゐたことを知らなかつたのだ。悲しみに打ちひしがれて曇つてゐたお染の限に、ひろいそば畑が憎い源氏の白旗に見えたのである。お染があばれまはるので、そばの白い花が雪のやうにはね散らされたが、逆上してゐるお染も泥にまみれて傷ついた。そして、彼女はのたれ死にをするやうに、悲壯な戰鬪の果てに死んでしまつた。川面をわたつて來るさわやかな秋風は、靜かになつたそば畑のうへを吹きすぎ、白い花は鈴をふるやうにゆれうごいた。そして、河童の肥料によつて、しだいにそばの黒い實を急速に太らせふやして行つた。