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2016/09/17

諸國百物語卷之二 六 加賀の國にて土蜘女にばけたる事

   六 加賀の國にて土蜘(つちぐも)女にばけたる事

Tutigumo

 ある人、奉公ののぞみありて加賀へくだり、町屋に宿をかりてゐけるが、その宿のむすめ、みめかたち、うるはしかりければ、宿かりの男、ものゝひまより見そめ、ひたすら心うつりて、とやかくと、おもひわずらひけるが、あまりにたへかね、めしつかいの侍をよび、心ざしあさからぬよし、物がたりしければ、侍、御いとをしく思ひて、媒(なかだち)して、いろいろと、くどきければ、なさけあるむすめにて、いつしか、心うちとけて、しのぶのうらのあま人(びと)ならでよその見るめも所せきに、夜ふけてこそは、しのびしのびに、男の部屋へ、かよひける。ある時、又、來たりければ、男もひとしほうれしくて、いつにかわらぬいもせ川、ふかきちぎりをいひかわしゐけるに、又、かつての方(はう)にも、むすめの聲、しける。なかだちの侍、是れをきゝてふしぎにおもひ、勝手をうかゞひみれば、まことのむすめ、ゐたり。あまりにふしんにおもひ、かの男をひそかにまねき、事のやうすを物がたりしければ、男、をどろき、

「扨は、へんげの物、わが心をたぶらかさんとするなるべし」

とて、やがて、ねやに入り、むすめを引きよせ、一刀、さしければ、

「あつ」

と云ふ聲のうちより、すがたはみへずなりにけり。夜あけて、のりをしたい行きてみれば、一里ばかりゆきて、山あり。山、又、山をもとめゆきければ、ひとつの岩あなのうちへ、のり、みへけるを、内に入りてみるに、かのむすめのすがたにて死してゐけり。かの男、いよいよふしぎに思ひ、しがいをとりて宿にかへり、日數(ひかず)をへて見れども、かたちかわらず。もとのむすめのすがたにて、かれけると也。宿のむすめも、つゝがなく、ゐけると也。ふしぎと云ふもおろかなる事也。

 

[やぶちゃん注:本話も「曾呂利物語」巻一の「五 ばけ物女に成りて人をまよはす事」と同話。但し、こちらは「しのぶのうらのあま人(びと)ならでよその見るめも所せきに」(後注)などと、筆者の教養で装飾されてある。先の「卷之一」の「十一 出羽の國杉山兵部が妻かげの煩の事」の結末と酷似するが、ここでは標題で妖怪土蜘蛛(つちぐも:後注参照)の変化(へんげ)と出してしまっており(「曾呂利物語」は「ばけ物」であるからその分、かなり救われている)、残念なことに、ただ標題のお蔭によって本話のホラー度は著しく減衰してしまっている。挿絵の右キャプションは「土蜘女にばけし事」。

「土蜘(つちぐも)」以下、ウィキの「土蜘蛛」から引用する(アラビア数字を漢数字に代え、注記号や記号の一部を省略・変更した)。『土蜘蛛(つちぐも)は、本来は、上古に天皇に恭順しなかった土豪たちである。日本各地に記録され、単一の勢力の名ではない。蜘蛛とも無関係である』。『しかし後代には、蜘蛛の妖怪とみなされるようになった。別名「八握脛・八束脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」。八束脛はすねが長いという意味』である。『古代日本における、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑などに対する蔑称。『古事記』『日本書紀』に「土蜘蛛」または「都知久母(つちぐも)」の名が見られ、陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前など、各国の風土記などでも頻繁に用いられている』。『また一説では、神話の時代から朝廷へ戦いを仕掛けたものを朝廷は鬼や土蜘蛛と呼び、朝廷から軽蔑されると共に、朝廷から恐れられていた。ツチグモの語は、「土隠(つちごもり)」からきたとされ、すなわち、穴に籠る様子から付けられたものであり、明確には虫の蜘蛛ではない(国語学の観点からは体形とは無縁である)』。『土蜘蛛の中でも、奈良県の大和葛城山にいたというものは特に知られている。大和葛城山の葛城一言主神社には土蜘蛛塚という小さな塚があるが、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれる』。『大和国(現奈良県)の土蜘蛛の外見で特徴的なのは、他国の記述と違い、有尾人として描かれていることにもある。『日本書紀』では、吉野首(よしののおふと)らの始祖を「光りて尾あり」と記し、吉野の国樔(くず)らの始祖を「尾ありて磐石(いわ)をおしわけてきたれり」と述べ、大和の先住民を、人にして人に非ずとする表現を用いている。『古事記』においても、忍坂(おさか・現桜井市)の人々を「尾の生えた土雲」と記している点で共通している』。『『肥前国風土記』には、景行天皇が志式島(ししきしま 現在の平戸南部地域)に行幸した際(伝七十二年)、海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。そこで両者を捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある』。『『豊後国風土記』にも、五馬山の五馬姫(いつまひめ)、禰宜野の打猴(うちさる)・頸猴(うなさる)・八田(やた)・國摩侶、網磯野(あみしの)の小竹鹿奥(しのかおさ)・小竹鹿臣(しのかおみ)、鼠の磐窟(いわや)の青・白などの多数の土蜘蛛が登場する。この他、土蜘蛛八十女(つちぐもやそめ)の話もあり、山に居構えて大和朝廷に抵抗したが、全滅させられたとある。八十(やそ)は大勢の意であり、多くの女性首長層が大和朝廷に反抗して壮絶な最期を遂げたと解釈されている。この土蜘蛛八十女の所在を大和側に伝えたのも、地元の女性首長であり、手柄をあげたとして生き残ることに成功している(抵抗した者と味方した者に分かれたことを伝えている)』。『『日本書紀』の記述でも景行天皇十二年(伝八十二年)冬十月景行天皇が碩田国(おおきたのくに、現大分県)の速見村に到着し、 この地の女王の速津媛(はやつひめ)から聞いたことは、山に大きな石窟があり、それを鼠の石窟と呼び、土蜘蛛が二人住む。名は白と青という。また、直入郡禰疑野(ねぎの)には土蜘蛛が三人おり、名をそれぞれの打猿(うちざる)、八田(やた)、国摩侶(くにまろ・国麻呂)といい、彼ら五人は強く仲間の衆も多く、天皇の命令に従わないとしている』。その後、『時代を経るに従い、土蜘蛛は妖怪として定着して』ゆき、『人前に現われる姿は鬼の顔、虎の胴体に長いクモの手足の巨大ないでたちであるともいう。いずれも山に棲んでおり、旅人を糸で雁字搦めにして捕らえて喰ってしまうといわれ』るようになり、『十四世紀頃に書かれた『土蜘蛛草紙』では、京の都で大蜘蛛の怪物として登場する。酒呑童子討伐で知られる平安時代中期の武将・源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野に赴くと、空を飛ぶ髑髏に遭遇した。不審に思った頼光たちがそれを追うと、古びた屋敷に辿り着き、様々な異形の妖怪たちが現れて頼光らを苦しめた、夜明け頃には美女が現れて目くらましを仕掛けてきたが、頼光はそれに負けずに刀で斬りかかると、女の姿は消え、白い血痕が残っていた。それを辿って行くと、やがて山奥の洞窟に至り、そこには巨大なクモがおり、このクモがすべての怪異の正体だった。激しい戦いの末に頼光がクモの首を刎ねると、その腹からは千九百九十個もの死人の首が出てきた。さらに脇腹からは無数の子グモが飛び出したので、そこを探ると、さらに約二十個の小さな髑髏があったという』。『土蜘蛛の話は諸説あり、『平家物語』には以下のようにある(ここでは「山蜘蛛」と表記されている)。頼光が瘧(マラリア)を患って床についていたところ、身長七尺(約二・一メートル)の怪僧が現れ、縄を放って頼光を絡めとろうとした。頼光が病床にもかかわらず名刀・膝丸で斬りつけると、僧は逃げ去った。翌日、頼光が四天王を率いて僧の血痕を追うと、北野神社裏手の塚に辿り着き、そこには全長四尺(約一・二メートル)の巨大グモがいた。頼光たちはこれを捕え、鉄串に刺して川原に晒した。頼光の病気はその後すぐに回復し、土蜘蛛を討った膝丸は以来「蜘蛛切り」と呼ばれた。この土蜘蛛の正体は、前述の神武天皇が討った土豪の土蜘蛛の怨霊だったという。この説話は能の五番目物の『土蜘蛛』でも知られる』。『一説では、頼光の父・源満仲は前述の土豪の鬼・土蜘蛛たちの一族と結託して藤原氏に反逆を企んだが、安和の変の際に一族を裏切って保身を図ったため、彼の息子である頼光と四天王が鬼、土蜘蛛といった妖怪たちから呪われるようになったともいう』。『京都市北区の上品蓮台寺には頼光を祀った源頼光朝臣塚があるが、これが土蜘蛛が巣くっていた塚だといい、かつて塚のそばの木を伐採しようとしたところ、その者が謎の病気を患って命を落としたという話がある。また、上京区一条通にも土蜘蛛が巣くっていたといわれる塚があり、ここからは灯籠が発掘されて蜘蛛灯籠といわれたが、これを貰い受けた人はたちまち家運が傾き、土蜘蛛の祟りかと恐れ、現在は上京区観音寺門前町の東向観音寺に蜘蛛灯籠が奉納されている』。『似た妖怪に海蜘蛛がある。口から糸を吐き人を襲うという。九州の沿岸に出るとされる』とある。

「ものゝひま」「物の隙(ひま)」。垣間見。透き見。

「めしつかいの侍」「召使ひの侍」。歴史的仮名遣の誤り。この主人公の武士の召使っている浪人。概ね、主人公より年下で若衆関係(同性愛関係)にあったと考えた方がこの時代としては自然である。だからこそ「御」(おん)「いとをしく思ひて」(お気の毒なことと思って。「いとほしく」が正しい)仲人(なこうど)役を引き受けるのであるとも言えるのである。

「しのぶのうらのあま人(びと)ならでよその見るめも所せきに」「徒然草」第二百四十段の冒頭「しのぶの浦の海士(あま)のみるめもところせく」に基づくが、それはまた、「新古今和歌集」「戀歌二」の二条院讃岐の一首(一〇九六番歌)、

 

うちはへて苦しきものは人目のみしのぶの浦の海人(あま)の𣑥繩(たくなは)

 

などを踏まえている。讃岐の歌の「しのぶの浦」は「信夫の浦」で陸奥国の仮想的歌枕(現在の福島市の南部に位置する信達盆地であるが、ここは内陸で海辺ではないのだが、古来、皆、実見しないから「浦」として機能するのである)、「人目を忍ぶ」の意に掛けた。「𣑥繩(たくなは)」は楮(こうぞ)の樹皮の繊維で綯(な)った繩のこと。延繩(はえなわ)漁に使うことから「はへ」「くる(繰る)」(苦)はその縁語ともなっている。表の意味は――永く蜿蜒と引き続けて苦しいものは信夫の浦の海人(あまびと)が漁で引く繩――で、裏はそれに掛けて――ただひたすらに人目を忍ぶ私の恋も、その状態がずっと永く続いていて、何とも苦しいことだわ――となる。「徒然草」の方の「しのぶの浦の海士の見るめ」は「しのぶの浦の海士の」までが「見るめ」を導く序言葉であり、「みるめ」は海藻の「海松(みる)」と「見る目」を掛けてある。「所せく」はわづらわしく。――忍ぶ恋路に人目も五月蠅く――の意。本「諸國百物語」のそれは――信夫の浦の海人ではないが、忍ぶ恋なればこそ人目が如何にもわずらわしいので――の意。

「ひとしほ」「一入(ひとしほ)」。

「いもせ川」「妹背川」和歌山県北部の現在のかつらぎ町に妹背山(いもせやま)があり、ここは紀ノ川の北岸の背山と南岸の妹山で歌枕である。「山」では隔ててしまうから、男女の逢瀬で川としたものであろう。されば川の淵の「ふかき」で次も引き出せるのである。或いはその後の「いひかわし」の歴史的仮名遣の誤りも「かわ」(川)で縁語連送の確信犯かも知れぬ。

「ふしん」「不審」。

におもひ、かの男をひそかにまねき、事のやうすを物がたりしければ、男をどろき、

「のり」漢字で「血・生血」と書く。未だ乾かず、しかし粘り気を持った血。血糊(ちのり)。

「したい行きてみれば」跡を辿って行ってみたところ。

「もとめゆきければ」「求め行きければ」。変化(へんげ)の遺体或いは巣を探し求めて行ったところが。

「もとのむすめのすがたにて」の「すがた」は底本「すが」。意味が採れないので例外的に「た」を補った。

「かれける」「枯れける」。死んで干からびる。人の遺体にも普通に使う語である。

「ふしぎと云ふもおろかなる事」これで一種の連語的な用法で、不思議という表現では未だ十分とは言えない、不思議どころの騒ぎではない、理解不能な怪異であること、を指す。]

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