法師蟬に学ぶ 梅崎春生
きりについて書けと言う。
きりとは何かと問い返したら、ぴんからきりのきりで、すなわち小説の結びのことだと言う。映画でいえばラストシーン。碁でいえば寄せ。人間でいえば臨終。
引き受けて、机の前に坐り、いろいろと考えてみたが、そのきりについて、あまり書くこともない。
私は小説を書くに当って、ぴんのところ、つまり書き出しの文章には、時折苦労するが、きりについて苦心した記憶は、ほとんどない。
序盤中盤を過ぎれば、自ら侵分(よせ)に入るように、小説も書き出して、一定の枚数に達すると、自らきりの形がまとまって来る。その形をつくって、筆を置けば、一篇の小説が完結したことになる。
それは私が無口なせいだろうとも思う。よくおしゃべりな人がいて、しゃべり出すととめどがなくて、きりがつかない。そう言う人が小説を書くと、きっときりに苦労することだろう。
私なんかは昔から無口で、若い頃話を頼まれて、壇上に立ったこともあるが、しゃべり出して五分も経つと、しゃべる材料がなくなってしまう。無理しないでも、自然ときりがやって来るのである。
私は小説を書くのは愉しくない。昔からそうである。書いている間は、頭の重労働で、早くこの苦患(くげん)から逃れたい逃れたい、とばかり考えている。(作家と画家の決定的な差違はここにある、と私は思っている。画描きは、画を描く時は、いそいそとして嬉しいそうだ)
この逃れたい逃れたいと思う心が、何でもありあわせのものをちょんとつかんで、粘土細工の犬にちょんと尻尾をつけるように、それで結末に間に合わせてしまう。そんな関係もあるのだろう。
やはり自然なのがいい。つくったり、たくらんだりしたのは、感じが好くない。
私はつくつく法師という蝉が好きだ。あの啼声(なきごえ)には、格別の趣きがある。
ツクツクホーシ、ツクツクホーシと、十声ばかり啼き、そこでちょっと調子を変えて、ツクツクウイー、ウイオース、ウイオース、と三四度啼き、最後に、ジー、と啼きおさめる。あのジーというきりは、自然にして、かつ千鈞(せんきん)の重みがある。油蟬や蜩(ひぐらし)の啼声とは、比較にならない。
ツクツクホーシと啼き始める前にも、ジーといったような、一種の前奏がつく。その前奏と、きりのジーとが相呼応して、すばらしい効果を上げるのである。起承転結、間然するところがない。
小説の書き出しやきりについても、こうありたいものだ。
つくつく法師なんかと、莫迦(ばか)にせずに、心を虚(むな)しくして、その自然さを学ぶべきである。
[やぶちゃん注:昭和三三(一九五八)年十二月号『群像』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。傍点「ヽ」は太字に代えた。
「法師蟬」有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目セミ上科セミ科セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属ツクツクボウシ Meimuna
opalifera。ウィキの「ツクツクボウシ」に、『北海道からトカラ列島・横当島までの日本列島、日本以外では朝鮮半島、中国、台湾まで、東アジアに広く分布』し、『平地から山地まで、森林に幅広く生息する。地域によっては市街地でも比較的普通に発生する(盛岡市など)が、基本的にはヒグラシと同じく森林性(湿地性)であり、薄暗い森の中や低山帯で多くの鳴き声が聞かれる。この発生傾向は韓国や中国でも同様である。成虫は特に好む樹種はなく、シダレヤナギ、ヒノキ、クヌギ、カキ、アカメガシワなどいろいろな木に止まる。警戒心が強く動きも素早く、クマゼミやアブラゼミに比べて捕獲が難しい』。成虫は七月から『発生するが、この頃はまだ数が少なく、鳴き声も他のセミにかき消されて目立たない。しかし他のセミが少なくなる』八月下旬から九月上旬頃には『鳴き声が際立つようになる』。九月下旬には『さすがに数が少なくなるが、九州などの西南日本では』十月上旬に『鳴き声が聞かれることがある。なお、後述のように八丈島や岡山・長崎では』七月上旬から『鳴き始めることが知られている』とある(リンク先で二つの鳴き声を聴ける)。梅崎春生の文壇登場の名作「桜島」の極めて重要な伏線アイテムである(前のリンクは私のPDF全注釈版)。同「桜島」の初出位置はこちら(このリンク先は私の分割ブログ版の当該パート)。
「寄せ」「侵分(よせ)」囲碁・将棋に於いて中盤の戦いが終わり、終局又は詰めに至るまでの段階。囲碁では、その段階によって大寄せ・中寄せなどに分け、「侵分」「収束」とも書く(以上は三省堂「大辞林」に拠った)。
「千鈞(せんきん)」(「鈞」は重量単位で一鈞(きん)は三十斤(きん)で十八キログラムだから、「千鈞」は十八トンに相当する)非常に重いこと、極めて価値の高いこと或いはそうした対象物を指す。]
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