佐渡怪談藻鹽草 山仕秋田權右衞門愛宕杜參籠の事
山仕秋田權右衞門愛宕杜(あたごのもり)參籠の事
秋田權右衞門は、羽州秋田の産にして、當國へ來り、山師と成(なり)しが、其(その)生得、考深(ふか)ふして、金銀山の事、委しく心ゆだねし故、十が八九は的中して、金銀の盛りを穿出(うがちいだ)し、其名を知られしものなり。去(さる)程に、神を祈るの心も、又厚くて、所々の社頭へ參籠の事、度々なり。或時、愛宕山へ七日籠りて、滿願の宵ならん、頃は十月の末、霰ばしる軒の板間より影薄き月のさし入て、物淋敷(さびしき)折から、火箱相手に祈願の心を澄(すま)せしが、何やらん、しめやかに人のおとなへ聞えて、答問するさまなれば、
「誰人の詣(まうで)て來つらん、能き通夜の友にこそ」
と、入來(いりきた)るを待(まち)けるに、其沙汰なし。又
「とく往けんにや」
と、耳を傾けて聞(きか)ば、少語(すこしかたり)し事、始(はじめ)のごとく、
「あわや」
と不審して、そと立出(たちいで)、物の隙(すき)より差(さし)覗けば、僧俗の訣(わかち)はしらず、大きなる人の、只弐人(ふたり)、椽(たるき)に腰打かけ、近く居寄(より)て、語り合(あへ)るなり。何(いづ)れもうしろさまに見ゆれば、面體(めんてい)は見えず。頭は物にてつゝみたるよふにて、身に着せしものも、蓑より荒らかに、松かさ抔(など)のよふに有(あり)ける。其(その)丈(た)ケ六尺斗(ばかり)もあるらん程にて、腰懸(かけ)たれば、其體(てい)つまびらかならず。物もけしからず、見る程に、其人の言けるは、
「今月の初(はじめ)、出羽國秋田に至りし時、何通り何町より出火して、何町まで凡(およそ)五六百軒燒亡に及びし」
など【町の名、幷人民牛馬の死失迄、殘所なく、咄しせしよし、爰(こゝ)にしるさず】語りければ、こなたよりも、其頃佐州に事變りし噂とも、數々咄し聞かせぬ。其後は咄(はなし)も止み、
「先々とくと休足あるべし。重(かさね)て餘國の物語、聞候(きゝさうら)わん物を」
とて、打連(うちつれ)て立(たつ)よと見えけるが、かきけす如く、見えざりし也。權右衞門、忙然として居たりしが、はたと心付き、秋田の邊を取(とり)しらぶれば、我(わが)親許(おやもと)、其(その)外類門、悉く燒失に及びしならんと、死生の程迄も思ひ續け、餘り怪の事なれば、
「重(かさね)て書通に引合(ひきあは)せん」
と、懷中の鼻紙取出(とりいだ)し、矢立の筆を染(そめ)て、燒出(いで)せし町所、類燒の邊り等、聞留(きくとめ)し分は、書付(かきつけ)て置(おき)ぬ。其後三四十日過(すぎ)て、秋田の飛脚來りつゝ申(まうす)言葉一事も違(たが)わざりしとぞ。
[やぶちゃん注:「山仕」山師(やまし)。鉱脈の発見や鑑定、実際の鉱石採掘事業の実務等を行う者。
「愛宕杜」現在の相川山之神町にある愛宕神社か。
「火箱」「ひばこ」。ここは行火(あんか)や足焙(あしあぶ)りなどの、ごく粗末な暖房器具のことであろう。
「答問」「たふもん」。訪ねて来て内へ声がけをすること。
「とく往けんにや」「(誰もおらぬと見て)さっさと行ってしまったものか?」。
「僧俗の訣(わかち)」着衣や風貌から修行するためにやってきた山伏や僧侶であるのか、そうでない俗人であるかの区別。
「椽(たるき)」近代以降でもこれを「緣」(縁側)の意味に用いる者は芥川龍之介を始めとして多い。
「つゝみたるよふ」「裹みたる樣(やう)」。歴史的仮名遣の誤り。
「六尺」一メートル八十一センチ。
「物もけしからず」何とも言えず、異様な感じで。
「こなたよりも、其頃佐州に事變りし噂とも、數々咄し聞かせぬ」この時点で、主人公の山師「秋田權右衞門」はその話に出た場所が自身の肉親や親類縁者の住むところであることに全く気付くことなく、見当違いも甚だしい、その同じ頃に佐渡で起った変事などを話した、というのである。実はこの彼自体の反応(応対)自体が奇っ怪なものであることに読者は気づく。これは実は既に異界との回路の中に権右衛門が取り込まれていることを示す証左なのである。
「重(かさね)て書通に引合(ひきあは)せん」「書通」「しよつう(しょつう)」は書面にて意を通じること。文(ふみ)を遣わすこと。「「確認のために改めて文書にし、それを送って向うに問い合わせて見よう」の意でとる。]

