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2016/09/18

佐渡怪談藻鹽草 蛇蛸に變ぜし事

     蛇蛸(たこ)に變ぜし事

 

 仁木門右衞門(もんえもん)、赤泊(あかどまり)御番所役たりし時、頃は寛延三年七月十日の事成(なり)し。朝五ツ半頃にや、茶抔(など)打呑(うちのみ)侍(はべり)し折から、表より童共、

「唯今、村境にて、蛇の輪に成(なり)候見させ給へ」

といへば、子どもに連立(つれだち)、かしこへ能(よく)見侍りしに、丈(た)ケ四尺斗(ばかり)もやあらんと見えしあをろし蛇の、側(そば)成(なる)石垣より出て、竹の枝の枯(かれ)たるに、天窓(あたま)の方をまとひ付(つき)、扨(さて)、尾を大きなる石にあまた打付(うちつけ)、はたはたとしければ、首より下は、ぐたぐたに割(われ)て、いくつにもなりし。天窓(あたま)の方は大きく成(なり)て、色替り、蛸のあたまに成(なり)、目はぬけ出(いで)ゝ、跡斗(ばか)り、波にゆられて、生死のさかひも見えず。しばし有(あり)て、先の目より上に、新らしきめの弐(ふた)つ出來て、ぬけたる目の跡は、鹽吹(しほふき)といふ物になりし也。やゝうごくやうにて見えず。沖の方へ、つゝと四五間斗り出て、しばしあつて、又、磯邊へ來り。先の如く、ゆられ侍しが、そろそろと手もながく成(なり)、所々いぼ抔(など)も出來、むくむくと成(なり)て、沖の方へ、つと、のし出けるが、深みへ沈みて、ふたゝび見え侍らず。

「まのあたりかゝる事は、いとめづらし」

と、所のものにゆへば、

「此(この)所にては、さのみ珍らしくも侍らず。五七年の内には、折々有(ある)事」

と言ひしとぞ。

 

[やぶちゃん注:「ぐたぐた」の後半は底本では踊り字「〱」であるが、これを正確に正字化するなら「ぐたくた」であるが、敢えて「ぐたぐた」とした。或いは「ぐたくた」で正しいのかも知れぬ。

 実は蛇が蛸に化生するという異類変成譚は思いの外、全国的に見られる伝承であって、荻田安静編著の怪談集「宿直草」(延宝五(一六七七)年開版。本書成立九十九年前)の巻五の「六 蛸も恐ろしきものなる事」にも、「三尺ばかりの蛇、半分程海につかり居たるが、何時の間にか手長蛸になりて入りぬ」と出、この話者は佐賀藩鍋島氏家中の武士である。また、かの滝沢馬琴もその編著「兎園小説」第六集で琴嶺舎(馬琴の長男滝沢興継の雅号。但し、彼を筆者としていても父馬琴がかなり代筆していたようである)の報告として「蛇化して爲ㇾ蛸」を紹介している(そのクレジットは「文化九年夏六月十六日」とするから、グレゴリオ暦一八一二年で本話より六十二年後である)。そこでは越後出雲崎近くの刈羽郡の浜辺とし、ここはまさにこの赤泊の対岸である。なお、上記の「宿直草」には蛇が蛸を襲い、その逆もあることがかなり詳細に書かれてもあり、興味深い(そのうち、電子化しよう)。しかし私はこの話柄、実は蛇ではないのではないか、と疑っている。蛸の天敵と言えばウツボで、ウツボを見馴れぬ者がそのタコとの闘争を見れば、蛇が蛸を襲っていると勘違いするであろうと思うのである。

「仁木門右衞門」底本の解題等によれば、佐渡奉行所地役人仁木彦右衛門秀勝の長男秀致である。

 

「赤泊(あかどまり)」現在の小佐渡南東の佐渡市赤泊。赤泊港は江戸時代、古くから佐渡奉行の渡海地として整備された。

「寛延三年七月十日」グレゴリオ暦一七五〇年八月十一日。

「朝五ツ半」午前七時半頃。

「丈ケ四尺斗(ばかり)」全長一メートル二十センチほど。

「あをろし蛇」新潟方言で青大将(有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属アオダイショウElaphe climacophora)を指す。

「石垣」描写にないが、これは村道の陸路の石垣ではなく、海の防波堤として積み上げられた石垣であろう。「大きなる石」もその海際の「石垣」の下の岩場(赤泊は岩礁性海岸)にある磯の岩と読まないと、直後の「波にゆられて、生死のさかひも見えず」以下のロケーションが海に変わってゆく過程の説明(映像)がモンタージュ出来ないからである。

「鹽吹(しほふき)」これは「潮吹き」で頭足類である蛸や烏賊に見られる、水を噴出させて移動するために備わっている筋肉性の筒状の器官、「漏斗(ろうと)」ことである。(附記:因みに、これを狭義の軟体動物門斧足(二枚貝)綱異歯亜綱マルスダレガイ目バカガイ上科バカガイ科バカガイ亜科バカガイ属シオフキガイ Mactra veneriformis と誤認せぬように。なお、古く、また、現行でも地方では潮干狩りで採れるバカガイ(バカガイ科バカガイ属バカガイ Mactra chinensis)やアサリ(マルスダレガイ目マルスダレガイ上科マルスダレガイ科アサリ亜科アサリ属アサリ Ruditapes philippinarum)などの全くの異種をも総称して「汐吹」と呼称しているから、必ずしもこの呼称は狭義の「シオフキガイ」に限定出来るものではない。しかし、そもそもがこれらは皆、砂浜性或いは干潟性の二枚貝であって、この岩場のシークエンスとはあまりそぐわないものである。但し、岩礁性海岸でも入り江には砂浜も形成されるからいないわけでもないが)。

「やゝうごくやうにて見えず」しかし、この時点では(例えばそこから潮を吹き出して)自律的に移動するようには少しも見えなかった、の謂いであろう。

「四五間」七~九メートルほど。]

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