無事平穏の後味――今年のメーデー 梅崎春生
無事平穏の後味
今年のメーデー
今年のメーデーは、昨年のそれと違って、無事平穏裡に終ったようである。もちろん無事平穏ということは喜ぶべきことであり、日本人同士の流血騒ぎなどの不祥事は絶対に避くべきであるが、無事平穏の内容にもいろいろあって、今年のそれがお互いに単純に喜び合える性質のものかどうか、たいへん疑問である。
もしああいうものものしい厳重な警戒がなくて、しかも無事平穏であったなら、これは喜ぶべきことであろうけれども。
五月一日午後三時、所用があって日比谷におもむき、あの警戒の物々しさに私は一驚した。人民広場日比谷公園は、すっかりバリケードや鉄条網で防備され、数え切れないほどの青かぶとの警官が、警棒や六尺棒をたずさえて守っている。五六人ずつ組になって、右往左往している。
歩道や安全地帯には群衆がうようよと立ち、警官隊を黙黙と見物している。これは見物したくもなるだろう。そのころデモ隊は予定のコースを行進中のはずだったから、見物のおおむねはやじ馬なのだろう。建物の壁にへばりついたりして、動こうとしない。こんなに厳重に警戒しているからには、何かきっと起るに違いない、そんな期待や好奇の気配すら感じられた。なかなか幕が上らない芝居を待っているような表情のもいる。大体において、彼等警官隊に対する信頼の表情は、群衆のなかにはほとんど見当らなかった。
警官と群衆との間の歓語は全然見られないし、群衆はただ黙々とながめ、警官は黙々と右往左往し、その間にしらじらとした無気味な隔離があるのみである。
こういう警官隊のあり方は、民衆にとっても不幸なことであるが、警官自身にとっても決して幸福なことではなかろう。その傷ましい不幸さが、青かぶとの下の鋳型(いがた)でつくられたような表情に、ありありと出ている。
それから警官たちは、歩道上のやじ馬を邪魔と見たのだろう、順々に追っぱらい始めた。用事のない者は立ち止ってはいけない、ずんずん歩くようにと、放送車の拡声器で放送する。追っ立てられると、群衆はのろのろと消極的に移動する。ここは天下の公道で禁止地区ではないし、見るなと言っても、そんな盛大な警戒をしていれば、見ていたくなるに決っている。
しかしとうとう群衆は歩道から全部追い出されてしまった。私も追われて新橋の方に歩く。その途中で、新聞にも出ていた、さっと引っぱれば細長い鉄条網になる仕掛けの新武器(?)も見た。とにかく大層大がかりな警戒ぶりだ。
そんなに力んだり警戒したりしないで、人民広場をメーデーに使わせたらいいではないか。使って減るものではないし、あそこで式典を上げれば、あとは四散してゆくだけなのだから、こんな物々しい警戒も不必要となる。一昨年、一昨々年と、メーデーが人民広場を使用したが、何も実害なかったではないか。警官隊のあり方から民心が離反し、反撥することだけでも、今の状態の方がはるかに実害がある。
日本の中だけでもいろんな裂け目がだんだん大きくなってゆく。それを私たちは皆してせき止めねばならないのに、実際は逆の方向に進行しつつあるのだ。
メーデーというのは労働者の祭りである。祭りというものは、その感情の基底に解放感がなければ、成立しないものだ。監視されたり制限されたり警戒されたりして、何の祭りがあるものか。便所の中に押し込めてうなぎ飯を食べろというようなものである。現在の為政者は、祭りというものの意義を誤解している。うなぎ飯などというものは、正常な場所と雰囲気で食べてこそ、旨(うま)くもあり栄養になるものだ。今年は無事平穏裡に終ったといっても、手離しで喜び合えることではないし、また実行委員会の統制力を賞讃するだけでは、見当外れである。もっと根本的なところに、大きな歪みがある。
その歪みがメーデー参加者(傍観者も)たちの胸に、何か割切れない、いやな後味を残したに違いない。新橋で解散してゆく諸団体の個々の表情に、私はそんなものをありありと感知した。
[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年五月三日附『東京新聞』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。「血のメーデー事件」の翌年のメーデーのルポルタージュである。冒頭「今年」の後には「(昭和二十八年)」とポイント落ち割注が入るが、これは底本全集編者の挿入と断じ、除去した。
「人民広場日比谷公園」皇居前広場と日比谷公園のこと。「血のメーデー」の際、皇居前広場へデモ隊が向かった際のシュプレヒコールの一つは「人民広場を取り戻そう」であったという。
「六尺」一メートル八十一センチ八ミリ。
「歓語」「かんご」。気色ばったところのない穏やかな楽しい語らい。歓談。
「新聞にも出ていた、さっと引っぱれば細長い鉄条網になる仕掛けの新武器」不詳。何となく想起は出来るが、実物写真などお持ちの方は御教授を乞う。]

