諸國百物語卷之二 九 豐後の國何がしの女ばう死骸を漆にて塗りたる事
九 豐後の國何がしの女ばう死骸を漆にて塗りたる事
豐後の國に何がしの有りけるが、此つま、十七さいにて、かくれなきびじんにて、夫婦のなかよき事、たぐひなし。この男、つねづねむつごとに云ひけるは、
「御身、われよりさきだち給はゞ二たび妻をももつまじき」
などゝいひかわしけるが、あるとき、女ばう、風のこゝちして、つゐにむなしくなりけるが、今はのときに夫にいひけるは、
「われをふびんとおぼしめさば、土葬火葬は無用なり。われらが腹をさき、はらはたをとりいだし、内へ米(こめ)をつめこみて、うへをば漆(うるし)にて十四へん、ぬりかため、をもてに持佛堂をこしらへ、われをそのうちにいれ、しやうごをもたせ置き、あさゆふ、わがまへにきたり、ねんぶつをすゝめてたべ」
と、いひをきて、つゐに、むなしくなりにける。男、いひごんのごとくに、女のはらをあけ、米を入れ、うるしにてぬり、ぢぶつどうをこしらへ、いれをき、それより二(ふた)とせばかり、妻をももたず、ねんぶつしてゐけるが、友だち、むりにすゝめて、妻をもたせけるが、此つま、いかなるしさいともいわず、いとまをたまわれ、と、しきりに云ふ。男、いろいろとなだむれども、
「とかく御身にそひて、この家にすまひすることなるまじ」
とてかへる。そのゝち、いくたりよびても、みなをなじごとくにいひて、かへりければ、ただ事ならず、と、おもひ、さまざま、きたうなどして、又、妻をよびむかへければ、まことにきたうのしるしにや、此たびは五、六十日ほども、なにのしさいもなかりしが、ある夜の事なるに、男はほかへあそびに行き、妻は女ばうどもをあつめ、物がたりしてゐけるに、四つじぶんのころ、をもてよりしやうごのをと、聞こへける。いづれもふしんをなしてきけば、しだいにちかくなりて、をくのまへきたる。みな人をどろき、戸、かけがねをかため、身をちゞめゐたりしに、二間三間の戸をさらりさらりとあけ、今ひとへになりて女のこゑにて、
「こゝをあけ給へ」
と云ふ。しかれども、いづれも、をそれて、おともせず。時に女、
「こゝをあけ給はずは、ぜひもなし。まづ此たびはかへるべし。かさねて參りて御とぎ申さん。それがしがまいりたること、かまへて夫にかたり給ふな。もしもかたり給ふものならば、御身のいのちは有るまじ」
とて、又、しやうごをうち、かへりける。あまりにすさまじき事也とて、物のあいだよりのぞきてみければ、十七、八なる女のすがたにて、かほよりしもはまつくろにて、しやうごをもちてゐたりける。人々おどろき、夫のかへるをまちかねゐけるが、しばらくして、夫、かへりけれども、よひのことばのをそろしきに、その夜はかたらずして、あくる日、たゞ、
「われらにはいとまを給はれ」
と云ふ。夫、ふしんにおもひ、
「にわかに、なにとて、かく云ふぞ」
とゝひければ、ぜひなく、ゆうべのありさま物がたりしける。夫、きゝて、
「それはきつねにてあるべし」
と、さらぬていにて、ゐたりけれども、
「ぜひともいとまを給はれ」
と云ふを、いろいろといひ、なだめをきけるが、そのゝち、四、五日もほどへて、夫、また、ほかへ出でけるあとにて、夜半のころ、また、おもてより、しやうごのをとして、きたる。
「すわや」
とて、又、戸、かけがねをかためゐければ、女のこゑにて、
「こゝをあけよ、こゝをあけよ」
と云ふ。みなみな、おそれ、わなゝきゐけるが、にわかに、ねぶたくなりて、かたはらの女ばうども、ぜんごもしらず、ねむりけるこそふしぎなれ。されども本妻は、ねむらずいたる所に、二重三重の戸をさらりさらりとあけて、はいるをみれば、こくしきぬりたるをんななりしが、たけとひとしきかみをゆりさげて、本妻をつくづくとみて、
「あら、なさけなや。いぜんそれがしがまいりたること、夫にかたり給ふなと申せしに、はやくもかたり給ふこと、かへすがへすも、うらめしや」
と云ふよりはやく、とびかゝり、本妻のくびをねぢきり、おもてをさして、かへりける。夫もきゝつけ、家にかへりてたづねければ、下女ども、はじめをわりを物がたりしける。夫、おどろき、ぢぶつどうをあけてみれば、かのこくしきなる女のまへに、今の女ばうのくび、あり。夫、いふやう、
「さてさて、なんぢはひきやうものかな」
とて、ぶつだんよりひきおろしければ、かの黒色(こくしき)の女ばう、眼(まなこ)を見ひらき、夫ののどくびに、くいつきければ、夫もつゐに、むなしくなりけると也。
[やぶちゃん注:傍らの人々が眠くなり、近づいてくる鉦が鈴となって、後妻の首……これはもう……私の偏愛する小泉八雲の「破られし約束」を直ちに想起させる怪異である(リンク先は私藪野直史の拙訳版)。最後で夫の喉笛を喰い破るところがよい! 胸スカ!! しかし……これは……それでなくても……マンゴーでもカブれて七転八倒する私には……生理的には「漆」が痛く強烈だ!! 挿絵がなくてよかったと思うぐらい、キョワい!!!
「むつごと」「睦言」。閨(ねや)の中での男女の語らい。
「はらはた」「腸(はらわた)」。歴史的仮名遣の誤り。
「内へ米(こめ)をつめこみて、うへをば漆(うるし)にて十四へん」米を詰め込むのは稲霊(いなだま)で満たすことによる再生儀礼か? 「漆」は腐敗を防いで外見の形状を死後も永く保存するためであろう。しかし、「十四」という数字には何か呪力の謂われがありそうである。
「しやうご」「鉦鈷」「鉦鼓」「鉦吾」であろう。仏前で勤行する際に用いる敲(たた)き鉦(がね)。
「いひごん」「遺言」。
「いくたりよびても、みなをなじごとくにいひて、かへりければ」この男、性懲りもなく複数回、再婚相手を代えているのである。
「きたう」「祈禱」。
「しるし」「驗」。
「なにのしさい」「何の仔細」。如何なる意外なこと、特にこれまでの女たちと同様の離別の懇請。
「四つじぶんのころ」定時法では午後十時前後。
「をもてよりしやうごのをと」「表より鉦鼓の音」。
「いづれもふしんをなしてきけば」「孰れも不審をなして聽けば」
「をくのまへきたる」「奥の間へ來たる」。女房らと妻(後妻)は奥の間の内に語らっていたのである。そこへ向かってくる途中と奥の間の前までの動的な音印象を描写しているのである。そうでないと次の「二間三間の戸をさらりさらりとあけ、今ひとへになりて」が生きてこないからである。「ひとへ」は最後の襖「一重」、奥の間の前まで「それ」は「やって来た」のである。
「御とぎ申さん」「御とぎ」は「御伽」であるが、ここは単に「お話し申そうぞ」の意。
「かまへて」「構へて」。決して。
「かほよりしもはまつくろにて」「顏より下は眞黑にて」。漆塗りだからである。
「ゐたりける」襖の隙間からそぅっと覗いて見たら……「それ」が坐っていたのである!
「さらぬていにて、ゐたりけれども」ここで夫はそれが先妻の死霊であることが十全に分かっているのである。先の離縁を望んだ後妻たちが実はそれを見たであろうこと、それが離縁懇請の原因であることも、実は夫は薄々感ずいていなければ、「さらぬ」体(てい)で平然と座っていることなど出来まい。でないとしたら、この男はどこかの、あの、むかつく「ゲス乙女」じゃあない、下種野郎である。
「すわや」「すはや」。歴史的仮名遣は誤り。「アッツ!」。
「こくしきぬりたるをんな」本文最後の漢字表記から「黑色塗りたる女」である。
「たけとひとしきかみをゆりさげて」「丈と等しき髮を搖り下げて」。
「本妻」現在の正妻たる後妻。
「夫もきゝつけ」家来か下男などが異変に気づいて、知らせに走ったのであろう。
「たづねければ」「訊ねければ」。尋問した対象者は以下の「下女ども」である。
「なんぢはひきやうものかな」「汝は卑怯者かな」。やぶちゃんは言いたいね、『どっちガじゃ! この「ゲス」が!』とね。
「ぶつだんよりひきおろしければ」「佛壇より引き降ろしければ」。]