和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚇蠖(シャクトリムシ)
蚇蠖 【和名乎岐無之
俗云尺取蟲】
チツポ
[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「就」。]
本綱似蠶而食木葉小蠋行則首尾相就屈而後伸也
老則吐絲作室化爲蛾
羅山文集云化工到處入微塵蝍※眇形含氣均一屈一
伸知進退笑他直尺枉尋人
*
しやくとりむし 蝍※〔(しよくしゆく)〕 歩屈(ほくつ)
蚇蠖 【和名、「乎岐無之〔(をきむし)〕」。俗に云ふ、「尺取蟲」。】
チツポ
[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「就」。]
「本綱」、蠶〔(かひこ)〕に似て木の葉を食ふ。蠋〔(はくひむし)〕より小さく、行(あり)く時は則ち、首尾、相ひ就き、屈して後、伸(の)ぶるなり。老ゆる時は則ち、絲を吐き、室を作り、化して蛾と爲る。
「羅山文集」に云く、
化工到處入微塵
蝍※眇形含氣均
一屈一伸知進退
笑他直尺枉尋人
化工 到る處 微塵(みぢん)に入る
蝍※ 眇形〔(べうけい)〕 氣を含んで均(ひと)し
一屈一伸 進退を知る
他〔の〕尺を直し 尋(じん)を枉〔(ま)〕ぐる人を笑ふ
〔と。〕
[やぶちゃん注:漢詩部分の訓読パートは原文が一続きに書かれてしまっているいるので、読み易くするために、特異的に白文で分かち書きに示した後に訓読文を示した。
これは主として現行の、
昆虫綱鱗翅(チョウ)目シャクガ(尺蛾)上科シャクガ科 Geometridae に属する蛾類の幼虫
を総称する語である。ウィキの「シャクトリムシ」より引く。別名は「尺蠖(しゃっかく)」「蚇蠖(おぎむし)」。『シャクガ科のガの幼虫は、多くが毛や針に覆われない』、所謂、「イモムシ」(一般には蝶や蛾の幼虫の中で無毛の円筒形の体に疣足(いぼあし)を持っている幼虫類或いはそれに近似した生物の俗称)『であるが、通常のイモムシとは様々な点で異なっている。通常のイモムシは、胸部に』三対の『足を持ち、腹部に』五対の『疣足があるが、シャクガ科では腹部の疣足が後方の』二対を『残して退化している』。『シャクガの幼虫は、他のイモムシと比べて細長いものが多い。通常のイモムシは体全体にある足と疣足を使い、基物に体を沿わせて歩くが、シャクトリムシは体の前後の端にしか足がない。そこで、まず胸部の歩脚を離し、体を真っ直ぐに伸ばし、その足で基物に掴まると、今度は疣足を離し、体の後端部を歩脚の位置まで引き付ける。この時に体はU字型になる。それから再び胸部の足を離し、ということを繰り返して歩く。この姿が、全身を使って長さを測っているように見えることから、「尺取り虫」と呼ばれる』。エダシャク(枝尺)亜科 Ennominae には、『木の枝に擬態するシャクトリムシがいる。そのような種では、体表が灰褐色の斑など、樹皮に紛らわしい色をしている。そうして、自分より太い木の枝の上で、後端の疣足で体を支え、全身を真っ直ぐに緊張させ、枝の上からある程度の角度を持って立ち上がり、静止すると、まるで先の折れた枯れ枝にしか見えなくなる。昔、農作業の際、茶を土瓶に入れて持参し、枯れ枝のつもりでこのようなシャクトリムシに引っ掛けると、当然ながら引っ掛からずに落ちて土瓶が割れる。それで、この様なシャクトリムシを「土瓶落とし」と呼んだ』。また、ハワイ諸島では、一九七二年に『肉食性に進化したシャクトリムシが発見され、大きな話題を呼んだ。このシャクトリムシは、枝の上に後端の足で体を固定し、全身を真っ直ぐに延ばして枝のように立ち上がり、静止して獲物を待つ。足元を昆虫が通り掛かると、瞬間にその方向へ頭を曲げ、獲物を捕らえる。彼らの胸部の歩脚はよく発達し、左右に大きく広がって、獲物に掴み掛かりやすくなっている。成虫は特に変わったところがないシャクガである。ハワイからは』十三種もの『肉食シャクトリムシが知られている。同属の種は世界に広く分布しているが、肉食が知られているのはハワイ産のものだけである。従って、ハワイでのみ、このような特殊な適応が生じたと見られるが、その理由等は不明である』。世界で二万一千種以上、本邦では八百六十六種が知られる(このデータ部分のみ、岸田泰則「日本産蛾類標準図鑑」(二〇一一年学習研究社刊)に拠る)。シャクガ科 Geometridae は以下の亜科に分類される。
フユシャク(冬尺)亜科 Alsophilinae
カバシャク(蒲尺)亜科 Archiearinae
ホソシャク(細尺)亜科 Desmobathrinae
エダシャク(枝尺)亜科 Ennominae(典型的な尺取虫は本亜科の幼虫に代表される)
アオシャク(青尺)亜科 Geometrinae
ナミシャク(波尺)亜科 Larentiinae
ホシシャク(星尺)亜科 Orthostixinae
ヒメシャク(姫尺)亜科 Sterrhinae
『栽培植物や庭木を食害するため、害虫として扱われることもある。特に多食性の』ヨモギエダシャク(蓬枝尺)Ascotis
selenariaは『農作物に被害を与えることがある』。『しかし、その姿や歩き方の面白さから、様々に関心を持たれることがある。先に紹介した「土瓶落とし」もその例であるが、子供がその姿を見て玩具にする場合もある。ほかに、全身の長さをシャクトリムシに測り切られると死ぬ、という言い伝えがある地方がある』(最後の風俗は私も富山で友人が語るのを聴いたことがある)。
・「蠋」音は「シヨク(ショク)」であり、ここ以前に「蟲類」で多様な種を指す語として多出しているが、ここは前項の「蠋」、「はくひむし」、まずは前項で私が同定した、蛾や蝶類を含む、鱗翅目
Lepidoptera の幼虫のうちで、通常、「青虫(あおむし)」と呼称しているところの、長い毛で体を覆われておらず、緑色のものを指している。その食性から「はくひむし」、葉食い虫という俗称で呼ぶものと限定しておく。但し、良安の意識の中ではそこには当然、前項で附帯させたように、「芋虫」(元来はサトイモの葉につくセ鱗翅(チョウ)目スズメガ上科スズメガ科ホウジャク亜科コスズメ属セスジスズメ Theretra oldenlandiae)や、スズメガ科コスズメ属キイロスズメ Theretra nessus、サツマイモの葉につくスズメガ科スズメガ亜科 Agrius 属エビガラスズメ Agrius
convolvuli などの芋類の葉を食べるスズメガ科 Sphingidae の幼虫を指す。決して芋のような風貌なので芋虫なのではない)も含まれていると考えてよい。
・「羅山文集」江戸初期の朱子学派儒学者で、幕府ブレーンとなる林家の祖である林羅山(天正一一(一五八三)年~明暦三(一六五七)年)の死後(寛文二(一六六二)年)に編された著作大成。東洋文庫版割注によれば、「羅山文集」の「詩集」の『巻五十七、十二虫、尺取虫』とする。幾つかの電子データを見たが、抜粋であったりするため、当該箇所を探し得なかった。
・「化工」造「化」(神の創った天地自然)の「工」作の奇態絶妙。「造化の妙」。
・「微塵」極めて微細な部分。
・「眇形」ごく小さい形。但し、同字には「美しい・優れている・神妙に通じている」の意があり、ここは以下の「氣を含んで均し」(大いなる自然宇宙の気をその小さな体に総て湛えていて同一である)を考えればその意も十全に含んでいる。ちっぽけな尺取虫の絶妙な運動とその意味するところの真理(第四句)にそれを見ているのである。
・「他の尺を直し 尋(じん)を枉(ま)ぐる人を笑ふ」「尋」は前の「尺」との対句から音読みしたが、長さの単位としての「尋(ひろ)」のことである。公的な「一尺」は三〇・三センチメートル、「一尋(ひとひろ)」は概ね、五~六尺(約一・五二~一・八二メートル弱)とする(東洋文庫は一尋は八尺と割注するが、これは古代中国の換算。後述)のであるが、そもそも「尺」という文字は「親指と人差指を広げた形を象ったもの」であり、元来は「手を広げた際の親指の先から中指の先までの長さ」を「一尺」とする身体尺で、この長さは凡そ十八センチメートルほどで、現在の尺の六割ほどにしか相当しない(それで東洋文庫は換算しているようである)。翻って、「尋」の方は、「両手を左右に伸ばした際の指先から指先までの長さ」を基準とした、これも身体尺である(そのために五~六尺という幅が生じているのである)。さすれば、ここは現行のメートル法の相当の長さに換算するのではなく、尺取虫の測る単位としての、「手を広げた際の親指の先から中指の先までの長さ」「両手を左右に伸ばした際の指先から指先までの長さ」の意として自然に読みたい。]