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2016/09/27

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(15) 組合の祭祀(Ⅱ)

昨日は小泉八雲の命日であった(狭心症とされる。明治37(1904)年9月26日。未だ満五十四歳であった)。遅ればせ乍ら――




 この事を了解するためには、神道の神官はその地方の宗教的感情を代表して居たものである事を記憶しなければならぬ。各組合の社交的規約は、宗教上の規約と同一であつた――それは則ち地方の守護神を祭祀する事である。則ちすべての組合の仕事の成功、病氣に對する防禦、戰時に於ての主君の勝利、飢饉若しくは疫病の際に於ける救助、さういふ事の爲めになされる祈禱は、みな氏神に向つて爲されるのである。氏神はすべで良い事を與へるものであつた、――人民の特別な助力者、保護者であつた。かくの如き信仰が今日なほ行はれて居るといふ事は、日本の百姓の生活を研究するものの等しく認める所である。百姓が秋の澤山の收穫を祈り、若しくは旱魃に際して雨乞ひをするのは、佛に向つてするのではない、また米の澤山の出來の爲めに感謝を捧げるのも佛へではない、――それは昔の地方の神に向つて捧げるのである。また氏神の祭祀は、組合(社會)の道德上の體驗を具現して居るものである――それは則ちすべて其大事にして有て居る傳統と習慣、其行爲に關する不文律、その義務の感を代表して居るのである。一家の倫理に對する違犯が、かくの如き社會に於ては、一家の祖先に對する不敬と考へられるやうに、村或は一地方に於ける慣習を破る事は、その氏神に對する不敬の行爲として考へられるのである。一家の繁昌は孝道を――孝道は一家内の行動の、傳統的規則に服從するのと同一にされて居る――守るにあると考へられて居るが、それと同じく組合の繁昌も、祖先の風習を守るにあると假定されて居る、――則ち少年の時からすべての人に教へられて居る、地方の不文律に從ふにありとされて居るのである。風習は道德と同一視されて居る。一地方で定められたる風習に對する違犯は、その地方を守る神に對する違犯であつで、從つてそれは公の安事を危くするものである。組合の存在はその仲間の一人の犯罪に依つて危くされる、故に各員は社會から、その行爲に對する責任をもつやうにされて居る。人の各行爲は、氏子の傳統的慣習に一致しなければならない、獨立した例外の行動は公然の違法である。

[やぶちゃん注:「飢饉若しくは疫病の際に於ける救助」「於」は完全に欠字(活字欠落)となっているが、ここ以前の「於ける」という表記存在から推定して「於」とした。]

 古代に於ける社會(組合)に對する個人の義務の如何なるものであつたかは、これに依つて想像されよう。個人は自分に關して、正しく三千年前に、ギリシヤの市民がもつて居たと同じ權利以上のものをもつては居なかつた――恐らくはそれ程ももつては居なかつたらう。今日に於ても、法律は甚だしく變化したとは言へ、個人は實際殆ど古と同樣な狀態にある。個人の欲するがままに行ふ權利と云ふやうな、ただそれだけの觀念でも(たとヘば、イギリス及びアメリカの社會に於て、個人の行爲の上に加へられる一定の制限の内にあるやうな自由な觀念であつても)それは個人の考への内には入り得ない。かくの如き自由は、若しそれが日本の人に説明されたならば、その人は、それを以つて禽獸の狀態に比べらるべき道德上の狀態と考へるであらう。吾々西歐人の間にあつては、普通の人々に取つての社會上の規定が、主として云々の事は爲すべからざるものであるといふ事を定めるのである。然るに日本に於て行ってはならぬといふ事は――廣い範圍に亙つた禁止を示すものではあるが――普通の義務の半分よりも少いものである、それよりも人の行はなければならね事を學ぶのは、遙かに必要なのである……今個人の自由の上に、風習が及ぼす制限を筒單に考へて見よう。

 先づ第一に注竟すべきは、組合の意志が一家の意志を後援する事である、――則ち孝道を守る事を強ふる。幼年の時期を過ぎた男の子の行ひすらも、家族でなくて、それが公共に依つて定められる。男の子は家に服從しなければならぬが、またその家に於ける關係に就いては、公共の意見に從はなければならぬ。孝道と兩立しないやうな著しい不遜な行は、すべてのものから批判され叱責される。さらにその子が大きくなって働き、また學問を始めるやうになると、その日日の行爲が監視され批評される、そして一家の法が始めてそのものの周圍に緊張して來るやうな年配になると、そのものは同時に世間の意見の壓迫を感じ始める。年頃になると結婚しなければならないが、勝手に妻を選ばせるといふやうな考へは、全然問題外である、そのものは自分の爲めに選んでくれた配偶を受けるものとされて居る。併し何か理由があつて、どうしてもその妻を厭惡するので、その意を酌量するとふやうな場合には、そのものは家族が、またつぎの選擇をしてくれるのを待つてり居なくてはならない。社會はかくの如き事柄に就いて不從順なのを許さない、一たび孝道違反の例を示すと、それは甚だ危附な前例となるのである。靑年が終に一家の長とな今、一家の人々の行爲に對して責任をもつやうになつても、なほ且つその主人は公共の考へに依つて左右され、その家事を治める方針に關して忠告を受納しなければならないのである。主人と雖も不慮の事の起つた場合、勝手に自分の考へに依つて行動する事は出來ない。例へば一家の主人は慣習上親族を助けてやらなければならない、また親族と葛藤の起つた場合には、仲裁を受けなければならないのである。主人が自分の妻子の事のみを考へるといふ事は許されない、――斯樣な事は許しがたい利己心であると考へられる、彼は少くとも外觀上は、その公共の行爲に於て、父子或は夫婦の愛情に依つて心を動かされては居ないやうに行動しなければならない。後年になつて村或は地方の頭の位置にあげられたと假定しても、その行動及び判斷の權利は、以前同樣な制限の下に置かれて居るのである。實際、其個人的自由の範圍は、社會的地位の登るに應じて減少して行くのである。名目上彼は頭として統治するが、實際上其權威は、只だ社會から藉りて居るのであつて、それは社會が許して居る間のみ自分の手にあるのである。蓋し彼は公共の意志を遂行する爲めに選ばれて居るので、自分の意志を行ふためにあげられて居るのではない、――自分の利益の爲めではなくて、社會共同の利益のためであり、慣習を維持し、これを堅くするためんであつて、決してそれを打破する爲めに選ばれて居るのではない。こんな次第で、首長としてあげられて居ながら、彼は只だ公共の僕であり、その古郷に於ての尤も自由を持たない人である。

[やぶちゃん注:「厭惡」「えんを(えんお)」。厭(いや)がって嫌い憎むこと。

「藉りて」「かりて」。]

 ヰグモア教授がその『舊日本に於ける土地所有權竝びに地方制度所見』“Notes on Land Tenure and Local Institutions in Old Japan.” の内に飜譯し、且つ公刊した幾多の文書は、德川將軍時代の田舍の地方に於ける社會生活に關する、詳細な規則に就いての驚くべき考へを與ヘて居る。その規則の多くはたしかに高い權威者から下されたものであつた、併しその大部分は昔の地方の慣習を表はしたものである。此種の文予書は組【註】帳  Kumi-enactments  云はれて居る。そしてこの組帳なるものは、村の團體の全員が遵守すべき行爲の規則を定めたものである、かくしてその社會に於ける利益は莫大なものである。私一個の探究に依り、私はこの國の諸地方に、この組帳に記されて居たものに酷似せる規則が、なほ村の慣習に依つて勵行されて居る事を知つた。私はここにヰグモア教授の飜譯から二三の例を引用して見る―― 

    註 封建時代の終りに至るまで、國中
    の人々の多分は、大都會に於けると、
    村に於けるとを問はず、行政的に扱幾
    個かの家族或は家の群に依つて分かた
    れて居た、それを稱して組則ち『仲間』
    と云つた。組に於ける家の普通の數は
    五つであつた、併し處に依つては六軒
    十軒の家から成る組もあつた。組を作
    つて居る家家の主人達は、その内から
    頭を選んだ、――それが組の全員の代
    表になったのである。この組の組織の
    起原及び歷史は不明である、これと同
    樣な組織は支那にも朝鮮にもある。
    〔日本の組の組織は、軍事上から來て
    居るといふ事をヰグモア敬授は疑つて
    居るが、その理由は心服するに足るも
    のである〕正しくこの組織は非常に行
    政の上に好都合であつた。上長の權威
    に對して責任をもつたものは一個の家
    でなくて、組がその責任の衝に當つた
    のである。

[やぶちゃん注:「『舊日本に於ける土地所有權竝びに地方制度所見』“Notes on Land Tenure and Local Institutions in Old Japan.” ウィグモアが一八九一年に発表したもの。但し、これにはPosthumous Papers of D. B. Simmons (John Henry Wigmore, editor)”(D・B・シモンズなる人物の遺作論文をウィグモアが編集したという意味)という添え題があるから、純粋な彼の論文ではない。

「衝」「しよう(しょう)」と読む。要所・大事な任務の意。]

 『組の内の一人が、兩親に對し好意をもたず、兩親をなほざりにし、若しくはその言ふ事をきかぬ樣な事があれば、吾等はそれを隱匿し、若しくは差しゆるしたりする事なく、それを報告するであらう……』

 『吾等は子供達のその兩親を尊敬し、僕婢のその主人に服從し、夫妻、兄弟、姉妹の和合して暮らし、若者の年長者を畏敬し愛撫する事を求める……各組は(五軒の家から成る)その部員の行狀を注意して監視し、非行のないやうにすべきである』

 『百姓にせよ、商人にせよ、また職人にせよ、何人でも組の一人が怠惰であり、仕事に精勵しなければ、番頭(主なる役人)はそのものに注意を與へ、忠告をし、その行をなほすやうに指導する。若しそのものが忠告をきかず、怒りまた剛情であるならば、そのものは年寄(村の長老)に申し出される……』

 『喧嘩を好み、また家を出て夜遲くまで流連し、勸告をきかぬものは訴へられるであらう。若し他の組で斯樣な事を怠る事あれば、それに代つて左樣なものを訴へるのが吾等の義務の一つである……』

[やぶちゃん注:「流連」音「リウレン(リュウレン)」当て読みして「ゐつづけ」(居続け)とも訓ずる。原義は、「幾日もの間、家を離れて他の所に留まること」で、特に「遊里などで幾日もの間、泊まり続けて遊ぶこと」(「一夜切(いちやぎり)」の対語)の意もあるが、ここは前者。]

 『親族と爭ひをなし、その親切な忠告をきかず、或は兩親の言葉に背き、或は同村の人人に不親切であるものは、みな(村の役人に)申し出されるであらう……』

 『舞踊、相撲、その他公の觀覽物は禁止の事、藝娼妓は一夜たりとも村に滯在する事を許されず……』

[やぶちゃん注:この条、末尾は「許されず」で截ち切れている。前後からリーダと二重括弧閉じるを補った。]

 『人々相互の喧嘩は禁斷の事、爭ひの場合、事情は申告すべし。若し申告なき時は、雙方とも等しく罰せらるべし……』

 『他人の事を惡目し、公に他人を惡人とふれまはるが如き事は、たとへそれが事實であるとしても、それは禁斷である』

 『孝行及び主人への忠實なる奉仕は、當然の事ながら、特に左樣の事に忠實に勤直なるものは、吾々より政府へ推薦するため、必らず左樣の者を申し出る事にする。……』

 『組の仲間として、吾等は親族に對するより以上に友誼を篤くし、相互の幸福を增進し、また相互の悲みを頒かつ事をする。若し組の内に非道不怯のものあれば、吾等一同はそのものに對する責任を分擔するものである』

    註 『舊日本に於ける土地所有權竝び
    に地方制度所見』‘Notes on Land
    
Tenure and Local Institutions in Old Japan.
    ――『日本亞細亞協會』第十九卷第一
    部所載論文。私は各種の組帳から以上
    を選拔して引用し、説明に都合の良い
    やうに排列した。

    譯者註 以上の諸項は小泉先生も言は
    れて居る通り、ヰグモア教授の飜譯か
    ら拔萃したとの事であるが、五人組の
    規約なるものは地方々々に依つて無數
    にあり、多少の相違もある。先生のあ
    げて居られるやうな個條を、五人組制
    度に依り、竝びに『德川禁令考』に依
    り、探して見たが、正確に合ふのは見
    當たらない、併し大略同じやうなもの
    を二三見つけ出した故、左にその一二
    をあげて置く事にした。

     第一親に孝行を盡くし、下人は主
    能順ひ主人は又召仕を憐み夫歸仲よく、
    兄第親類に親しく、友立は老たるを敬
    ひ、物毎賴母しく諸人に對し不體惡口
    不仕……又村中に勝れて親に孝行かる
    もの有之候は、其容子を見屆け委く申
    上ぐべし……ガサツ口論を好み夜アル
    キ不作法にして行跡不見屆のもの有之
    候はゞ名主五人組異見申すべし、若不
    用候はゞ其申上隱置後日顯れ候はゞ其
    五人組共越落たるべし…。

     不孝の輩於有之は急度曲事行はる
    べくの間、若し左樣の族御坐候はゞ、
    有體に申上べく候、隱し置き脇より顯
    はるるに於ては、名主五人組まで越度
    に仰せ付らるべくの旨奉畏候事。

[やぶちゃん注:「德川禁令考」ウィキの「徳川禁令考によれば、『明治初期に新政府の大木喬任が旧幕臣の司法省官吏菊池駿助らに命じて編纂した江戸幕府の法令集で』、『「武家諸法度」など江戸幕府が出した主要な法令の多くが収録されているが、幕府が出した法令自体の数が余りにも膨大過ぎるためその全ては収録されていない。また、「公武法制応勅十八箇条」のように今日では幕法であることが疑問視されている法令、「慶安御触書」「禁裏御所御定目」などのように誤伝により幕法とされてきた法令が載せられている。その一方で、「生類憐れみの令」のように幕府の権威を失墜させた法令は収録されていないとされる』とある。

「下人は主能順ひ」「下人は主」に「能」(よく)「順」(したが)「ひ」。

「友立」友達。

「物毎賴母しく」「ものごと」に「たのもしく」。どのような出来事に対しても頼もしい存在としてあり。

「不體惡口不仕」「不體(ふてい)・惡口(あつく)仕らず」。「不體」は不逞(勝手に振る舞うこと・道義に従わないこと)のつもりであろう。

「行跡不見屆のもの」「ぎやうせきみとどけざるの」者と読んでおく。何をしでかすか分からない要注意人物の謂いであろう。

「越落」読み不明であるが、これは次の末の方にある「落度」(おちど:手落ち・誤り。「越度」とも書く)と同義であろう。或いはこれで「おちど」と当て読みしているのかも知れぬ。

「奉畏候事」「たてまつりかしまつてさふらふ」と訓じておく。]

 以上は單に道德上の規約を示した例に過ぎないが、この外に道德以外の義務に就いてのもつと詳細な規約もある――例へば――

 『出火の際は、各自みな手桶に一杯の水を携へ、直にその現場へ行き、役人の指揮の下に消火ににつとむべし……出場せざる爲のは罰せらるべし』

 『他郷の人にして、此の地に居住せんとするものある時は、その出身の村を尋ね、當人より保證を差し出さすべし。……旅客は一夜たりとも旅宿以外の家に宿泊すべからず』

 『盜賊夜襲の報知は、梵鐘その他の方法に依つてなさるべし、其報知を聞くものは犯人の捕縛さる〻まで、共に追跡すべし。故意にそれを避けるものは糺問の上罰せらるべし』

 『村中火の用心可入念自然火事有之は火元え駈付消ベし藏近所出火之節は別而精を出かこひ可申候若遲出合候者有之は穿鑿の上急度可申付之――。

一 在々所々惡黨有之時はナリを立べし、然ば先の村々より出合可召捕之、御褒美可被下、若し不出合郷中は穿鑿の上可爲曲事事。

[やぶちゃん注:「ナリ」は底本では傍点「ヽ」。これは恐らくは「鳴り」で、半鐘のようなものをそれと判るように打って近在の隣村に伝達することを指すのであろう。]

一 行衞不知者は一夜なり共宿貸候儀堅仕間敷候、尤御傳馬宿場之旅寵屋は勿論、其外町並往還通り有之所と共に總て往來の旅人、一夜泊りは格別、二夜三夜共泊り申度と申候はば請人立させ、其子細篤と聞屆け、問屋名主五入組へ相斷り吟味の上……。

[やぶちゃん注:「行衞不知者」「ゆくへしれざるもの」で目的地が不明な旅人のことであろう。

 なお、平井呈一氏の「日本 一つの試論」(一九七六年恒文社刊)では、ここにやはり、前の戸川氏の訳注と同様の平井氏の訳注が挿入されている。則ち、以上は本文を現代語で訳したことを踏まえ、『穂積博士の編纂された「五人組法規集」正続、野村博士著「五人組帳の研究」に一々当って見たが、著者が排列を組みかえた以上の個条に、正確に相当するものがないので、ここには原文の訳だけを掲げ、それにやや該当すると思われるものを、二、三抄録して、読者の参考に供しておく。』という前振りを以って、この戸川訳の「道德上の規約を示した例」と「道德以外の義務に就いてのもつと詳細な規約」に相当する組帳記載を以下に六箇条、示しておられるのである。ここでは、その平井氏の提示されたものを、恣意的に漢字を正字化して引用しておくこととする(一部の崩し字を正字化してある。また、それぞれの最後の引用原本の注記は平井氏の底本では下インデント二字空けであるが、ブログのブラウザの不具合を考えて上に上げた)。

   《引用開始》

一 第一親に孝行を盡し、下人は主人に能隨(シタガ)ひ、主人はまた召使を憐(アハレミ)、夫婦中能、兄弟親類睦敷、友達老たるを敬(ウヤマヒ)、物毎賴母敷、諸人ニ對し不禮惡口不仕、つゝましやかにし家業第一に、所之法を背べからず、又村中ニ勝れて親に孝行成者有之侯ハゝ、其樣子を見屆ケ、委(クハシ)ク可申上、常々耕作こも不入精、博奕ケ間敷義、がさつ口論を好み、夜歩行、不作法にして、行跡見屆かさる者有之候ハゝ(名主)五人組異見可申候、若不用候ハゝ、其段可申出、隱置後日ニ顯侯ハゝ、其五人組共ニ可爲越度‥‥

一 喧嘩口論出來候ハゝ、所之者出合相留埒明可申候、若内々ニテ不相濟義ニ候ハゝ、雙方申分可訴出、勿論手負えものに候ハゝ、押置早速可申出候、縱過候テモ疵付候共、其子細即時可訴來候、尤他村ニテ喧嘩等有之候節、不可馳集候、人を殺、立退候者有之候ハゝ、(隣郷之者迄出合、揚取、早速)可遂注進、捕候儀難叶候ハゝ、跡を慕落付所申屆ケ、其段早々可訴出事。

 ――明和四年 武藏國高麗郡藤村 五人組帳

一 勸進能・相撲・操り其外諸見物類可爲停止事

一 若火事出來之節ハ、人別ニ手桶ヲもち、火事へかけ付、消し可申候。若不罷出もの有之ハ可爲曲事事

 ――元祿十五年 上野國安中郡上野尻村 五人組帳

一 遊女・野郎惣テ遊者之類、一切當村に置申間敷候、一夜之宿をも借申間敷候事

 ――享保十五年 武藏國荏原郡久ケ原村 御法度御仕置五人組帳

一 在々處惡盜有之時分ハ、なり立べし、其時者先々村々よりも出合、召からめ候は御褒美可被下候由被仰候へバ、若出不申候ハ曲事ニ可被仰任候。

 ――元祿四年 下總國葛飾郡三ツ堀村 五人組帳

   《引用終了》]

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