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« 甲子夜話卷之二 12 似銀つかひ御仕置のとき、途中にて老職を罵る事 | トップページ | 砂川   梅崎春生 »

2016/09/08

諸國百物語卷之一 十七 本能寺七兵衞が妻の幽靈の事

     十七 本能寺七兵衞(しちびやうへ)が妻の幽靈の事

 

 京、本能寺と云ふ法花寺(ほつけでら)にしゆしやうなる僧あり。醫學をよくして療治などをしけるが、旦那に七兵衞と云ふものあり。この女ばう、あるとき、わづらひけるが、この僧をたのみて、りやうじしけれども、死病ゆへか、其しるしもなく、すでに末期(まつご)と云ふ三日まへに、又、かの僧、見まいけるに、この女ばう、髮の毛、上(かみ)へ、はへのぼり、貌(かほ)は朱のごとくあかくなりて、おそろしき事云ふばかりなし。僧もおどろき、歸りけるが、三日めに、つゐにあひはて、すなはち本能寺にとりおきける。そのゝち、三日めの事なるに、かの僧、兄弟、しやうじひとへへだてて、きんがくしてゐられけるが、夜半のころ、うらの口より、人の足をと、しけるを、弟、きゝつけ、

「ぬす人いりたり」

といへば、兄の僧もきゝつけ、

「心えたり」

とて、脇指をぬき、まちかまへゐければ、ゑんのしやうじをあけんとすれども、あかざりしゆへに、うらの口へまわりたるやうに聞へけるが、しばらくして、だい所に下人ふたり、ねむりゐけるが、にわかに大きなるこゑにて、

「あら、かなしや、かなしや」

と云ふ。兄弟、

「なに事ぞ」

といであひければ、二人の下人、あせ、しづくになりて、

「さてさておそろしや、七兵衞の内儀(ないぎ)きたりて、

『のどかわくほどに水をのませよ』

といわれけるが、あまりにをそろしく候ふほどに、

『それに水が有るほどに、のめ』

といひければ、水舟(みづぶね)にかゝり、かいげにて水をのみたるが、そのゝちはしらず」

と云ふ。ふしぎに思ひ、みれば、はしりに水ながれて、かいげもそこにすてをきぬ。おそろしき事也。

 

[やぶちゃん注:問題はこの女房の出現の意味である。「死病ゆへか、其しるしもなく、すでに末期(まつご)と云ふ」状態になったことを考えるならば、まずは女の生への執念を想起は出来る。しかし、この「三日まへに、又、かの僧、見まいけるに、この女ばう、髮の毛、上(かみ)へ、はへのぼり、貌(かほ)は朱のごとくあかくなりて、おそろしき事云ふばかりなし」という描写、及び亡霊となった女が寺の台所に至り、「のどかわくほどに水をのませよ」と乞い、「水舟(みづぶね)にかゝり、かいげにて水をのみたる」という描写は想像を絶する熱病(恐らくは「瘧(おこり)」即ち、マラリア)に罹患しており、それは当時の発想からは直ちに、生前より火炎地獄に堕ちたやに見えたか、或いは死後に地獄ではなく、餓鬼道に堕ちて水餓鬼になったかのように見える。しかし、末期に見舞った僧の前で女の「髮の毛」は炎の舞い上がるが如くに燃え立って、その「貌(かほ)は」烈火「のごとくあかくな」っていた、しかも本能寺に来た女の亡霊は最初にまず、僧の居る「ゑんのしやうじをあけ」ようとしていることに着目せねばならぬ。これは私は、この女房、療治して呉れたこの若き学僧に懸想してしまった、しかし、命短し、されど、情念の炎はいや盛んに燃え上がる、かくするままに、死に絶え、その僧への熱い思いの妄執に捕らわれたまま、中有(ちゅうう:中陰。人の死後、次の生を受けるまでの間の状態やその期間或いはその特異な宙ぶらりんの時空間を指し、本邦では四十九日とする)から彷徨い出でたものと考えられるように思うのである。そう読んだ時、若き殊勝なる僧の信心堅固、死を前にしてその僧に恋い焦がれてしまった女という字背に、何か一抹の哀感を私は覚えるし、それでこそ、ただの怪談ではないある種のウエット(そもそもが「水」が副主題である)なものを感じさせる。そう私が感じてこそ、また、「水」を呉れろと言った女房への「水」供養、「水」餓鬼への施餓鬼供養ともなるのでは、あるまいか?

「本能寺」「本能寺の変」(天正一〇年六月二日(一五八二年六月二十一日)勃発)で知られる、現在の京都府京都市中京区寺町通御池(おいけ)下ル下本能寺前町(しもほんのうじまえちょう)にある本門法華宗大本山(山号なし)本能寺。創建は応永二二(一四一五)年、開山は本門法華宗祖日隆。本話は江戸時代の話としてよいと思うが、参考までに述べておくと、仮にこれが「本能寺の変」以前の設定であったならば(その可能性はゼロに等しいと思うが)、当時の本能寺は現在地ではなく、京都油小路高辻と五条坊門の間、現在の京都市下京区内にあった(焼亡後、秀吉の命で現在地に移転)。因みに、信長の甥に織田七兵衛信澄という人物がおり、彼は明智光秀の娘婿で、共謀を疑われ、変の直後に殺害されているが、関係はあるまい。

「しゆしやうなる僧」「殊勝なる僧」。仏教修学や学問に熱心で優れた僧。後で判るように「兄弟」で同寺に修学している。主人公は兄の方であろう。

「りやうじ」「療治」。

「はへのぼり」「這ひ上り」の誤記と思ったが、早合点は禁物であった。調べると、「延(は)ふ」(伸ばし張る・張り渡す)の意のハ行下二段活用動詞があった。しかもこの動詞には別に「途絶えずに思い続ける」の意が別にあり、私の推理が正しければ、女房の若き僧への恋慕の思いを掛けている可能性が窺われる。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注には『この現象を「逆髪(さかがみ)」という。悪霊が憑いた現象と考えられていた』とある。

「しやうじひとへへだてて」「障子一重隔てて」。

「きんがく」「勤學」。

「脇指」脇差(わきざし)。

「ゑんのしやうじ」「緣の障子」。

「あら、かなしや、かなしや」下人の助けを呼ぶ叫び声である。「わぁあッツ! た、助けて! 助けてくれェエ!!!」。

「あせ、しづくになりて」「汗、雫(しづく)になりて」(或いは「漬(みづ)く」か。そうでなくても意味は同じい)。恐怖の脂汗にぐっしょりとなって。

「水舟(みづぶね)」水槽・水桶。

「かいげ」「搔笥」「匙笥」などと書き、厨房や風呂場などで水や湯などを汲む際に使う小さい桶(おけ)。片手桶。

「はしり」厨(くりや)の流し。流し口。]

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