佐渡怪談藻鹽草 枕返しの事
枕返しの事
小木町、鴻池市郎兵衞方へ享保のはじめ、相川より、飛脚のもの來りて居けるが、三日めに、
「何卒今日は歸りたし」
と、ひたすら返書を乞(こふ)。あるじ申けるは、
「返書いまだ、調ひ兼(かね)る事侍れば、最一兩日居給へ」
といゝければ、飛脚のもの言(いひ)けるは、
「是非もなし、去(さり)ながら、とても逗留いたす事ならば、別宿へ遣わし給わるべし」
とひたすらに賴みける。亭主聞(きゝ)て、
「心得ぬ事哉(や)、何ぞ氣に障りし事もや候ひける、家内とても、手狹(ぜま)なれば、窮屈には候わんなれど、拙者が不斷、寢臥の所なれば、指(さし)て、御嫌ひ筋も有(ある)まじ。若(もしく)は、召遣(めしつかひ)のもの、僻言(ひがげん)にても、申(まうす)を御聞候(きゝさうらひ)ての事か、何にもせよ、某(それがし)に、不包(つゝまず)御語(かたり)候得」
と、懇(ねんごろ)に問へば、飛脚も理に伏(ふ)し、
「さらば、樣子を明(あか)し申(まうす)べし。一昨夜臥り候處、壁ひとへにて、
『其元(そのもと)樣は、能(よく)御休(おやすめ)』
と聞(きこ)へ、某(それがし)はねられず、漸(やうやく)、七ツ頃にもあらん、とろとろとまどろみ候とき、念なく枕返しに合(あひ)て候程に、けしからず、存(ぞんじ)候。夕邊又、前の如く寢られず。七ツ時頃眠れば、又枕返し逢(あひ)たり。其有樣、何か物の來りて、打(うち)かへす樣に覺へて、心惡(あし)く、今夜も又返され候わんと思へば、氣に障りて、心地惡敷(あしく)候間、無據(よんどころなく)、右の通りに候。必(かならず)、心に御かけ被下間敷(くだされまじく)」
と語りければ、亭主打(うち)うなづき、
「是は、大きに拙者が誤(あやまり)なり。今夜其事あらば、決(けつし)て、拙者再び、面をむけ申間敷(まうすまじく)、止(とま)り給へ」
とて止(やみ)ぬ。飛脚も、
「扨(さて)は、心得のあるらん」
と、賴母敷(たのもしく)て、泊れば、案の如く、其夜は、床へ身を付(つく)るより寢入(いり)て、夜明(あけ)て覺(さ)めけるに、枕もかへされず、不思議に思ひて、其故を問ふに、笑ひて答へざりしとぞ。其後番所の役人、何某(それがし)に語りけるは、
「先年、ケ樣ケ様の事候ひて、迷惑致(いたし)候、必(かならず)寢間の中に靈天骸を置(おき)給ふな。極て枕を返す事ぞ。右の時も、手合の藥に入(いり)候とて、靈天骸を求(もとめ)て、常は脇へ釣置(つりおき)しが、飛脚の來る同日故、紛れて同間にかけ置【紙袋に入て釣置しぞと】たれば、其爲に、枕をかへされし」
とぞ語りぬ。
[やぶちゃん注:「枕返し」妖怪名として知られるが、この記載は「枕返し」を引き起こす原因物質が挙げられている点で特異である。但し、「壁ひと」つ隔てて、「其元(そのもと)樣は、能(よく)御休(おやすめ)」という不思議な言葉が飛脚に聴こえてくるところは妖怪的存在として描いている側面もあると言える。以下、一般的なそれをウィキの「枕返し」から引いておく。『枕返し、反枕(まくらがえし)とは、日本の妖怪の一つ。夜中に枕元にやってきて、枕をひっくり返す、または、頭と足の向きを変えるとされている。具体的な話は江戸時代・近代以後に多く見られ、その姿は子供、坊主であるともいわれるが、明確な外見は伝わっていない。江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』には小さな仁王のような姿で描かれている』。『妖怪と見なされるほか、その部屋で死んだ人間の霊が枕返しになるとも考えられていた。宿泊した大金を持った旅人(座頭、六部、薬売りなど、話される土地によって職業などは異なるがいずれも各地を移動する旅行者)をその家の者がだまして殺害し、金を奪ったところ、その旅人の霊が夜な夜な泊まった人の枕を動かしたという話などがある』。『東北地方では、枕返しは座敷童子(ざしきわらし)の悪戯と言われることが多い。民話研究家・佐々木喜善の著書『遠野のザシキワラシとオシラサマ』によれば、枕を返されるほかにも、寝ている人が体を押しつけられたり、畳を持ち上げられたりし、周りには小さな足跡が残っていたという。同書によれば、岩手県九戸郡侍浜村(現・久慈市)南侍浜や下閉伊郡宮古町(現・宮古市)字向町のある家では不思議な柱があり、枕をその柱に向けて寝ると枕返しに遭い、とても眠れないという』。『岩手県下閉伊郡小本村では、ある家で亡くなった人を棺に入れて座敷に置いておいたところ、火事で棺も畳も焼けてしまい、その後に畳を替えたにもかかわらず、その畳の上で寝た者は枕返しに遭うといわれた。この枕返しの正体は諸説あり、タヌキやサルの仕業ともいわれた』。『群馬県吾妻郡東吾妻町でいう枕返しはネコが化けたものである火車』(かしゃ:悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪であるが、形状は空中を飛翔する正体不明の獣様のものであるが、ウィキの「火車」によれば、「北越雪譜」の「北高和尚」に天正時代のこと、『越後国魚沼郡での葬儀で、突風とともに火の玉が飛来して棺にかぶさった。火の中には二又の尾を持つ巨大猫がおり、棺を奪おうとした。この妖怪は雲洞庵の和尚・北高の呪文と如意の一撃で撃退され、北高の袈裟は「火車落(かしゃおとし)の袈裟」として後に伝えられた』とある)『の仕業とされていて、東向きに寝ている人を西向きに変えたりするといわれる』。『枕をひっくり返す童子姿の妖怪を枕小僧(まくらこぞう)と呼ぶ地方もある。静岡県磐田郡では枕小僧は身長』約三尺(約九十センチメートル)で、『一人で寝ていると枕を返すなどの悪戯をするといわれる』。『特定の部屋や建築物の中で枕返しに遭うという話は、日本各地の寺院にいくつか見られる』。(中略)『寺院での枕返しには、寺の本尊の霊験を物語るような例も見られる。栃木県栃木市大平町西山田の大中寺には「枕返しの間」という部屋がある。かつて旅人がこの部屋に泊まり、本尊に足を向けて寝たところ、翌朝には頭の方が本尊の方へ向いていたといい、大中寺の七不思議の一つに数えられている』。『美濃国小金田村(現・岐阜県関市)の白山寺という寺には「枕翻(まくらがえし)の観音」という観音菩薩がまつられており、その堂内にいるとなぜだかしきりに眠くなってしまい、仏前にもかかわらず居眠りをしてしまうが、この際に夢の中で枕が返ることが願いが成就するあかしなのだという』。『単に悪戯をするだけでなく、枕返しが人間の命を奪うという伝承の例もある』。『石川県金沢のある屋敷には美女の姿の枕返しが出たというが、その屋敷の草履取りが屋敷の前で枕返しに笑いかけられた途端に気を失い、そのまま死んでしまったという』(以下、アラビア数字を漢数字に代えた)。『和歌山県日高郡のある村では、七人の木こりが小又川のそばのヒノキの大木を切ったところ、その夜に眠っている七人のもとに木の精が現れて枕を返し、七人とも死んでしまったという。おなじく和歌山に伝わる類話では、八人の木こりがモミの大木を切ろうとし、一日では切れないので途中でやめたところ、翌日には切り口が元通りになっていた。不思議に思ってその夜に木を見張っていると、木の精が現れて切り屑を切り口に詰めていた。そこで木こりたちは、木を切るときに屑をすべて焼き払うことで、ようやく切り終えた。するとその夜、木こりたちのもとに木の精たちが現れ、枕を返していった。一人の木こりは一心に般若心経を唱えていたところ、木の精たちは彼を信心深い者と見なして枕を返さずに帰って行った。翌朝、彼以外の七人はすべて息絶えていたという』。『夢を見ている間は魂が肉体から抜け出ており、その間に枕を返すと魂が肉体に帰ることができないという信仰が古くは日本人の間にあったと考えられている。平安時代末期の歴史物語『大鏡』にも、藤原義孝が自分の死に際し、死後も必ずこの世に帰るために通常のしきたりのような葬儀をするなと遺言を残したにもかかわらず、枕の位置を北向きに直すなどして通常の葬儀が行われたため、蘇生することが叶わなかったとの記述がある』。『民俗学者・武田明は、枕には人間の生霊(いきりょう)が込められており、枕を返すことは寝ている人間を死に近づけることを意味するとしている』。『民俗学者・宮田登は、かつての日本では、夢を見ることは一種の別世界へ行く手段と考えられており、夢を見るために箱枕(はこまくら)に睡眠作用のある香を焚き込むこともあった。そのために枕は別世界へ移動するための特別な道具、いわば異次元の交錯する境界とみなされており、眠っている間に枕をひっくり返されるという「まくらがえし」は、すべての秩序が逆転する異常な事態であることを示していたのではないかと考察している』。『このような枕に対する民間信仰が、枕返しの伝承の元になっており、枕返しをされてしまうことは人間の肉体と魂が切り離されてしまう異常な事態であるとして恐れられていた』『が、徐々にその信仰が廃れるにつれ、枕返しは単なる悪戯と見なされるようになったと見られる』とある。
「小木町」「おぎまち」と読む。現在の小佐渡の南端にある佐渡市小木(おぎ)。
「鴻池市郎兵衞」不詳。
「享保のはじめ」「享保」一七一六年から一七三五年。始めであるから、一七二二年ぐらいまでか。
「最一兩日」「もういちりやうじつ」。もう一日、二日。
「是非もなし」「仕方ない。」。
「とても」けれども。しかし。
逗留いたす事ならば、別宿へ遣わし給わるべし」
とひたすらに賴みける。亭主聞(きゝ)て、
「寢臥」「いねぶし」と訓じておく。
「僻言(ひがげん)」普通は「ひがこと」「ひがごと」と読む。失礼なこと。
「臥り」「ふせり」。
「七ツ頃」定時法でとる。午前四時頃。
「念なく」思いもかけず。
「夕邊」「ゆうべ」。昨夜。
「寢られず」「いねられず」。
「必(かならず)、心に御かけ被下間敷(くだされまじく)」「決して、御主人様や御家内の方々に関わって、宿替えを求めておるのでは御座いませぬから、そこは、どうか、御心痛なさいませぬように。」。
と語りければ、亭主打(うち)うなづき、
「拙者再び、面をむけ申間敷(まうすまじく)、止(とま)り給へ」「拙者、貴殿に対して二度と顔向け出来ぬ。(さればこそ、こちらも覚悟の上でその枕返し、これ、起こらぬように致すこと覚悟致して御座れば)どうか、せつに、まずは我が家へ今一晩、お泊り下されよ。」。
「止(やみ)ぬ」と言葉を結んだ。
「扨は、心得のあるらん」『さては、この主人、何か、枕返しを起こす原因に心当たりがあるようだ。』という心内語。
「其後番所の役人」「其後、番所の役人」。しかし以下の直接話法からは、この「番所の役人」は「鴻池市郎兵衞」その人としか読めない。
「靈天骸」「レイテンガイ」と音読みしておくが、全く不詳。近似する文字列も見当たらない。漢方或いは民間の生薬の類いと思われる。湿気を嫌うこと、吊るして保管する(出来る)こと、「靈」の字が含まれていること、「骸」は乾燥した硬い時間の経った死者の遺体(ミイラ)のような色をしているのであろうこと、「テンガイ」は「天蓋」を想起させることなどから推定するなら、これは或いはかの漢方で延命の霊薬とされた「霊芝(レイシ)」を私は候補として挙げておきたい気はする。因みに「霊芝」は菌界 Fungi 担子菌門 Basidiomycota 真正担子菌綱 Homobasidiomycetes タマチョレイタケ目 Polyporales マンネンタケ科 Ganodermataceae マンネンタケ属 Ganodermaレイシ Ganoderma
lucidum。
「極て」「きはめて」。必ずと言っていいほど。
「手合の藥に入(いり)候とて」「手合」は「てあひ」。適当ないつも日常的に服用している薬に調合して入れようと。
「脇」居間(応接の間)の脇。
「同間」飛脚に客間として宛がった部屋。]