谷の響 一の卷 五 怪獸
五 怪獸
往ぬる嘉永六癸丑の年九月の事なるが、目谷(めや)の澤の勝景を探れる時、此村市の子之丞が家に寄宿(とまり)けるが、そこに川原平村の者のよしにて享年(とし)六十に餘れる老父(おやじ)ありて、その形貌(かたい)いと魁偉(おほき)く筋骨(ほねぶし)逞しき者なるが、希(めつ)らしき話やあると問ぬるに老父の曰く、己盛壯(さかり)の時は山を舍(いへ)とし澗(たに)を棲(すみか)とせるなれば、いかなる幽遠(ふか)き陰地(ところ)といへど歩獵(あるか)ざるはなく經(へ)ざるはなしとて、萬山(やまやま)の嶄嵒(けはし)き千溪(たにだに)の險絶(さかし)き、あるは當地(ところ)の産物(なりもの)に至るまでいと委曲(つはらか)に語りけるに、己言へらく、かく突(ふかき)谷(たに)高(たかき)嶺(みね)を蹊(わた)りて怪(あやしき)物を見ざるやと問れば、さる妖物(まがもの)は見たる事もなく怪異(あや)しきものも知らざれば、畏冽(おそろし)と思ひし事など心に覺えず。只川狩して僅に怪しと思ひしこと囘(ひとたび)りき。[やぶちゃん字注:「嵒」は底本では上下「品」と「山」が逆転(「山」が上で「品」が下)の字体。表記出来ないのでこちらで示した。]
そは往(い)にし文化初年の四月の事なるが、赤石川の水源(みなもと)サルコ淵といふ澤に至り、網を下して漁(すなと)り行きしうち忽ち波浪(なみ)の激鬪(さやけ)る響(おと)の聞えけるから、網を扣(ひか)えて見眺(みやり)たるに其長(たけ)七尺許りにして一把(ひとつ)の蓑(みの)を懸たる如き物、澗(さは)の眞中に賁然(のつき)と停立(たて)り。朦月(うすつき)にすかし見れど面目(つら)も手足もさらに分たず、たゞ毛のうちに螢火(ほたる)に等しきもの百許もありてそれが滿躰(みうち)に點着(つけ)り。何ものならんと卽便(そのまゝ)進み寄りて摑み蒐(かか)るに、かの怪物身を起して一跳(ひとはね)して、七八間飛退(の)きたるまま水中に沒りて再び見えずなりしが、掌の中に唯一握の毛存(のこ)れり。夜明けて見るに長さ一尺四五寸、太さは馬の鬣(たてがみ)に倍して色紅黑く端(はし)不殘(みな)兩又(ふたまた)なり。如何なる怪物にや、今に二個(ふたり)と見しものありとしも開かず。
さるにおかしきは、此こと何人か話(はなし)せるにやその時この毛を乞ふ者數十人に及べり。何事に用ると問へば、疫病除の禁厭(まつない)なりと言へり。世の人の物好き笑ふべきことなり。しかして與へ盡して今は一個(ひとつ)も無しと語りき。いかなる怪獸にや有けん、其毛を見ざるは遺憾(ざんねん)なり。
却説(さて)、この老父【名を聞きたれど忘れたり、未だ存生するや否や。】、希代の稟質(うまれつき)にて、麼什(いか)なる深き淵に沒(い)るとも泳ぐといふことなく、みな徹底(そこ)に草鞋を印(つ)けて陸地の如くに歩き、又いかなる屹(たかき)峰(みね)絶岸(きりきし)なりとも坦々地(ひらち)を駈𢌞るが如くにして、更に餘の人どもの爲し得べき業にあらずとなり。其處に馴るればかかるものも有けるなり。
[やぶちゃん注:【 】は底本ではポイント落ち二行割注。
「嘉永六癸丑」グレゴリオ暦一八五三年。干支も正しく「みづのとうし」である。
「目谷(めや)」前条「四 河媼」の「雌野澤(めやのさわ)」の私の注を参照されたい。
「村市」前条「四 河媼」の「村市村」の私の注を参照されたい。
「子之丞」前条「四 河媼」の最後に話者として名が出る人物で、前条の聞き取りとの時間的共時性が高いか。
「川原平村」底本の森山泰太郎氏の補註に『西目屋村川原平(かわらたい)。目屋村の最南端の部落で、弘前市まで三二キロ、秋田県境まで一六キロという』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「享年(とし)六十に餘れる老父(おやじ)」この老人は寛政六(一七九四)年以前の生まれということになる。
「希(めつ)らしき」ルビはママ。
「問ぬるに」「とひぬるに」。
「己盛壯(さかり)の時」己は「われ」と読んでおく。儂(わし)が壮年の頃は。無論、ここの「己」はこの老人の一人称である。
「幽遠(ふか)き」二字へのルビ。
「陰地(ところ)」二字へのルビ。
「歩獵(あるか)ざる」二字へのルビ。所謂、「マタギ」のような生活をしていた者らしい。但し、一般に「マタギ」は集団を形成する猟師であるが、この老人は若い時から単独の川漁を専門とする漁師であったようだ(マタギはウィキの「マタギ」を参照されたい)。
「險絶(さかし)き」二字へのルビ。山などが高く険しいさまを謂う形容動詞「嵯峨(さが)」を形容詞化した謂いであろう。
「委曲(つはらか)に」詳(つまび)らかに。
「己言へらく」私が言うたことには。こちらの「己」(われ)は筆者平尾魯僊自身の自称。
「問れば」「とふれば」。
「妖物(まがもの)」禍々(まがまが)しき物。
「怪異(あや)しき」二字へのルビ。
「畏冽(おそろし)」二字へのルビ。
「文化初年」「初年」を文化元年とするなら一八〇四年で四十九年も前で、この老人が満十一歳の少年だった頃の話となる。
「赤石川」同じく森山氏の補註に『西目屋の奥の山中に源を発し、西北』に流れて『西津軽郡鰺ケ沢町赤石で日本海に入る』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「サルコ淵」不詳。識者の御教授を乞う。
「激鬪(さやけ)る」二字へのルビ。「騒ぐ」の意の「さやぐ」の「さやぎける」「さやげる」で「バシャ!」という強い水の跳ね飛ぶ音がし、の意か。
「扣(ひか)えて」大事な網を手繰り引いて漁を止め。
「七尺」約二メートル十二センチ。
「賁然(のつき)と」同じく森山氏の補註に『「のつきと」は津軽方言』で、「のちそりと」『という意をあらわす副詞』とある。
「停立(たて)り」二字へのルビ。佇立しているのである。
「たゞ毛のうちに螢火(ほたる)に等しきもの百許もありてそれが滿躰(みうち)に點着(つけ)り」「許」は「ばかり」と読む。本話の妖しくも美しい幻想的シーンである。
「蒐(かか)る」「蒐」には「春に行う狩猟」の謂いがある。時期は「四月」で、まあ、漁師の彼には相応しい動詞ではある(冬の狩猟は「狩」)。
「七八間」十二・八~十四・五四メートル。かなりの距離である。私はこれは青鷺(脊椎動物亜門鳥綱ペリカン目サギ科サギ亜科アオサギ属アオサギ Ardea cinerea )の大型個体ではないか? と当初は思ったことを言い添えておく。一つの可能性としては満更、見当違いではないように思われるように今も感じてはいる。但し、彼らの羽の形状が、ここで語られるものと同一かどうかは検証していない。大方の御叱正を俟つものではある。
「水中に沒りて」後の文のルビからは「沒りて」は「もぐりて」ではなく、「いりて」である。
「飛退(の)きたるまま」「退」へのルビであって「とびのきたるまま」。
「一尺四五寸」四十二・四~四十五・四五センチメートル。
「禁厭(まつない)」呪(まじな)い。
「却説(さて)」二字へのルビ。
「存生」「ぞんしやう(ぞんしょう)」。
「希代の稟質(うまれつき)」極めて稀にみる生まれつきの特性。「稟」(正式音「ヒン」(「リンは慣用音)には「天から授かった生まれつきの性質(たち)」の意が単漢字で、ある。
「徹底(そこ)」二字へのルビ。川だろうが淵だろうが、水に浮かぶことなく、川底に完全に沈んで、足を水底に完全に押しつけるようにして水中を陸と歩くのと同じように、自在に歩くことが出来るというのである!
「草鞋」「わらぢ(わらじ)」。なお、やったことがない人は意外と思われるだろうが、現在でも山の沢登りは草鞋が最も適しているのである。
「印(つ)けて」履いて。
「餘の」「よの」。他の。]

