甲子夜話卷之二 27 狂歌師、撰を請し者へ、冷泉家返歌の事
2―27 狂歌師、撰を請し者へ、冷泉家返歌の事
中村彌三郎が【富士見御寶藏番。和哥を善す】語しは、某【名忘】は江都にて名ある狂哥人、その道の宗匠とて居ける。或時狂哥集を撰て、これを京師に上せて、冷泉某殿【名忘】に點を乞けり。然に其後一向に沙汰なし。因復手寄を求て某左右を聞ければ、彼集を返されける。某喜で展覽するに、一首も點なし。こは何(イカ)にと再視すれども無し。然に册末に一首の歌を記せり。某よく視れば、冷泉殿の手跡と覺しく、
敷島の道を橫ぎるかま鼬
てんになるべき言の葉もなし
狂哥師これを讀んで、流石歌道の御家とて愧入たりしとなり。
■やぶちゃんの呟き
「狂歌師」「狂歌」は「戯言歌(ざれごとうた)」とも呼び、日常卑近の事象を題材とし、専ら、俗語を以って洒落や風刺を利かせた滑稽を旨とする短歌。「万葉集」の戯笑歌 (ぎしょうか)や「古今和歌集」の俳諧歌の流れを汲むものであるが、特に江戸中期以後に流行した。ここはそれを専業の生業(なりわい)とした「狂歌師で」の意。
「請し」「こひし」。
「冷泉家」「れいぜいけ」。近衛中将に代々任官された羽林(うりん)家(但し、鎌倉時代以降の公家の家格として発生)と呼ばれる家柄の公家。御子左家(みこひだりけ:藤原北家嫡流藤原道長六男権大納言藤原長家を祖とするが、特に平安末から鎌倉前期にかけて藤原俊成・定家父子が現れて歌道の家流として確立、以後は永く歌壇に君臨した。但し、「御子左」を家名として名乗った者はない。「二条家」とも呼ぶ)の分家。冷泉小路に家名は由来し、歌道の宗匠家の内の一つで現在も冷泉流歌道を伝承している。なお、室町中期には上(かみ)冷泉家と下冷泉家に分かれ、両家ともに現在に続く名家であるが、現在一般に「冷泉家」として知られるのは、江戸時代から京の屋敷が移転していない上冷泉家の方である(以上はウィキの「冷泉家」及びそのリンク先のウィキ等に拠った)。このウィキの叙述から上冷泉家で本「甲子夜話」の執筆(文政四(一八二一)年)前後の当主となると、第十九代当主冷泉為全(ためたけ 享和二(一八〇二)年~弘化二(一八四五)年)である。因みに下であれば、冷泉為訓(ためさと 宝暦一四(一七六四)年~文政一〇(一八二七)年)である。
「中村彌三郎」「【富士見御寶藏番。和哥を善す】」「善す」は「よくす」。不詳。「富士見御寶藏番」とは江戸城内の富士見櫓脇の藤見多聞(長屋造りの櫓の一種で武器庫)の横にある、現在、「石室(いしむろ)」と称されるものがそれらしく、江戸城の抜け穴・御金蔵という説もあるものの、大奥御主殿・御納戸の脇という場所柄から考えて、非常時の大奥の調度品や文書類などの貴重品を納めた「富士見御宝蔵」の跡と考えられているとある(KD氏の個人ブログ「城館探訪記」の「江戸城② ~富士見櫓・天守台~」に拠った)、そこの警備担当官であろう。
「語しは」「かたりしは」。
「某」「なにがし」。中村弥三郎でないのは、以下の割注で「名は忘る」とあるから明白。歌を善くしたなどと前にあるので、誤読し易いかと思い、敢えて注した。
「江都」「カウト(コウト)/えど」。二様に読める。私は音読みしたい人間である。
「撰て」「えらみて」。作品(この場合は総てが自作の狂歌)を集めて書物を作って。
「京師」「けいし」。京都。元来、「京」は「大」、「師」は「衆」の意で、多くの人々の集まる所の意である。
「上せて」「のぼせて」。
「點を乞けり」「てんをこひけり」。「點」は和歌・連歌・俳諧などに於いて批評添削 すること(その評価を表すために通常、作品の頭に打った印が点や丸印であったことに由る)。
「然に」「しかるに」。後のも同じ。
「因復」「よつて、また」。
「手寄を求て」「たよりをもとめて」。冷泉家と関係のある手蔓(てづる)の者、伝手(つて)を探して。
「左右を聞ければ」「さうをききければ」。返事を重ねて乞うたところ。
「彼」「かの」。
「喜で」「よろこんで」。
「再視すれども」「さいしすれども」。再びよく見て見たが。
「册末」「さつまつ」。
「手跡」「しゆせき」。
「敷島の道を橫ぎるかま鼬/てんになるべき言の葉もなし」「しきしまのみちをよこぎるかまいたち てんになるべきことのはもなし」我流で訳すと、
――「敷島の道」(歌道)を「橫ぎる」(乱暴に吹き荒んでおぞましくも人の肌を切り裂く)妖怪「かま鼬」なんどの作れる歌は、所詮、一つの点にも値せぬ駄歌ばかりにて、所詮「鼬」は「貂(てん)」に成れる、「言の葉」歌語を操って以って歌人に化け得る(「狐が葉を翳しておこがましくも人に化ける如く」のニュアンスであろう)力など、ありはせぬわ――
ここで「鼬」は、
食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属
Mustela のイタチ類、或いは、その本邦の代表種ニホンイタチ(イタチ)Mustela
itatsi
を、「貂」は、
イタチ亜科テン属ホンドテン Martes melampus melampus
を指す。孰れも毛皮として珍重されるものの、後者のホンドテンの中でも黄色や黄褐色で頭部が白い(黄貂(キテン)は最高級とされる。そうした有意な価値の差異を引っ掛けてある。因みに、「鼬」も「貂」もともに化けるとされるが、伝承によっては貂は、かの実在動物変化(へんげ)のチャンピオンたる狐や狸を上回る変化(へんげ)能力を持つともされ、また、「鼬」が数百歳を経て始めて魔力を持つ妖怪「貂」となるとする叙述もある(鳥山石燕「画図百鬼夜行」の「鼬」。題の漢字は「鼬」であるが、読み仮名は「てん」と振る)。そうした現実や幻想の二層の異なった時空間でも「貂」と「鼬」とでは階層の上下が致命的に異なる点でも、この冷泉当主の「戯れ歌」の皮肉は強烈と言えるのである。
「流石」「さすが」。
「愧入たりし」「はぢいりたりし」。
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