進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(5) 五 習性の變異
五 習性の變異
外部の形狀、内部の構造の變異は數字を以て表に示せるが、動物の習性の變異の如きは、そのやうに精密には現せぬ。倂し習性にもなかなか變異の多いものであることは、次の二三の例でも解るであらう。抑々動物の習性に變異があるかないかといふことは、生物進化の往路を考へる上に大關係のある問題で、若し動物の習性に決して變異はないものとしたならば、動物の進化も容易には出來ぬ理窟である。それ故、近頃動物を研究する人は特にこの點に注意して居るが、丁寧に觀察して見ると、どの動物も習性の變異が隨分多くある。先年來アメリカの鳥類だけを專門に調べた某氏などは、その報告書の中に、鳥類の習性は決して從來人の思つて居た如くに一定不變のものではなく、一種中にも一疋每に多少の相違があり、産地が異なれば更に甚だしい相違があると特書した。
[ネストル]
[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]
ニュージーランドの中央の島の山地に棲むネストルといふ奇妙な鸚鵡があるが、この鳥は他の鸚鵡の如く從來、花の蜜を吸い、果實を食つて生きて居たものであるが、西洋人が移住し來つてから、その習性に思ひ掛けぬ變異が起つた。或る時羊の生皮が日に乾してある處に來て、之を喙(ちば)んだのが始(はじまり)で、急に肉食を好むやうになり、千八百六十八年即ち我明治元年頃から牧場に居る生きた羊の脊を喙み、肉に食い入り、殊に好んで腎臟を食ふやうになつた。羊は無論そのために死んでしまふ。斯く突然大害を生ずるやうになつたので、牧羊者は捨て置く譯に行かず、力を盡してその撲滅に從事したから、この面白い鸚鵡の種類も今では極めて稀になつた。孰れ遠からぬ中には全く種が盡きてしまふであらう。元來鸚鵡の種類は決して肉食せぬもの故、爪の丈夫なのも嘴の太く曲つて居るのも、皆たゞ樹木を攀ぢ、枝の上を巧に運動するためであるが、一旦習性が變ると、形の相似たのを幸に、直に之を鷲・鷹同樣に、肉を裂き食ふために利用する具合はなかなか妙である。
[やぶちゃん注:「ネストル」オウム目フクロウオウム科ミヤマオウム属ミヤマオウム Nestor notabilis 。ウィキの「ミヤマオウム」によれば、『マオリ語ではケア(Kea)。ほかに、ケアオウム、キアとも』。『ニュージーランド南島固有種』で、全長四十六センチメートル。体重七百グラムから一キログラムにも達する。『全身はオリーブグリーン色の羽毛で覆われ、翼下部の羽毛は赤い。頭部から腹部の羽毛は灰色がかっており、蝋膜』(ろうまく:猛禽類やオウム・インコなどの上の嘴の付け根を覆う肉質の部分)と『眼は濃い灰色』。幼鳥(零歳から三歳)は、『蝋膜、目の周りとくちばしが黄色』。『ミヤマオウム属は、カカ』(Nestor
meridionalis)、『ミヤマオウム、絶滅種キムネカカ(ノーフォーク島カカ)』(Nestor
productus)の三種を含む。三種類全ては千五百万年前の『ニュージーランドで『プロト・カカ』から分化したと考えられる』。『ミヤマオウム属に最も近い親類はフクロウオウム(カカポ)』(フクロウオウム属フクロウオウム Strigops habroptilus)『と考えられ、併せてフクロウオウム科 Strigopidae に分類される。この科はミヤマオウム科 Nestoridae とも呼ばれるが、先に記載された「Strigopidae」が有効である』。『高山帯の森林や草原等に生息する。別名は鳴き声に由来し、日本語話者には「きーあー」と聞こえる。食物の少ない環境に対する適応として知能や体力、学習能力、好奇心、協調性、適応性が極めて高く、ゴミ箱の蓋を外す、ボルトナットを外す、自転車のタイヤに噛み付いてパンクさせるなど、極めて簡単にこなせ、集団で協力して様々ないたずらをする』。『食性は雑食で、葉や花の蜜、果実、昆虫類、鳥類の雛等を食べる。穴居性の海鳥(ミズナギドリなど)の雛を襲う時は鋭い嘴で巣穴を掘り拡げ、中に潜む雛を掴み出して噛み殺す』。『入植者が植生を破壊し』、『羊を放牧する様になった後、集団で羊を襲ってその背中の肉を食べることがあったため』、『多数が射殺されたが、絶滅寸前になったため』、『一九八六年以降は法令によって保護されている』(レッド・リストの絶滅危惧種の絶滅寸前種(CR)指定)。『冬期にパン、バター、ファーストフード等の残飯を漁って食べる、スキー場のロッジで飲酒するなどの個体が認められ、冬期には、これら高カロリー食品を簡単に入手できる山岳地帯のスキー場の近傍に営巣するつがいも出現している』とある。グーグル画像検索「Nestor notabilis」をリンクさせておく。]
またヨーロッパからニュージーランドに輸入して放した雀類の小鳥なども、その習性が大に變じて、ヨーロッパに於けるとは根本的に形の違ふ巣を造るやうになつた。「ひわ」は雀と同じく元來穀物を食ふ鳥であるが、ハワイ附近のレイサン島に居る一種は海鳥の卵を食ふやうになつた。一體、習性といふものは餘程までは眞似(まね)に基づくもので、通常は餘り變異せぬもののやうに見えるが、一疋何か變つたことをするものが現れると、直に他のものが之に習つて、ここに新しい習性が出來る。それ故異なつた場所に移すと、動物の習性に變異を生ずることが比較的に多いのであらう。
[やぶちゃん注:「ひわ」スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する鳥の中で一般的には種子食で嘴の太くがっしりした小鳥の総称。英語の「フィンチ」(finch)は、以前は、ヒワ亜科に似た穀食型の嘴をもつ他の科の鳥もひっくるめた総称として用いられたため、現在でもヒワ亜科でない別種の鳥にも英名「フィンチ」の残っている種が多い。ヒワ亜科には約百二十種が含まれ、ユーラシア・アフリカ・南北アメリカに広く分布し、日本でもヒワ亜科カワラヒワ属マヒワ Carduelis spinusなど十六種が棲息する(なお、「ヒワ(鶸)という和名の種は存在しない)。孰れも穀食型の短く太い嘴を持ち、主に樹木や草の種子を摂餌する。一般に雌雄異色で、雄は赤色又は黄色の羽色を有する種が多く、日本の伝統色である鶸色は、先のマヒワの雄の緑黄色に由来した色名である(以上は主に小学館「日本大百科全書」を参照した)。
「レイサン島」レイサン島(Laysan:ハワイ語:Kauō)はホノルルから千五百キロートル北西に位置する火山島。ウィキの「レイサン島」によれば、面積四平方キロメートルの長方形を成し、中心部にレイサン湖がある。この湖はハワイに五つだけ存在する貴重な天然の湖の一つであり、温泉が湧き出している。現地ハワイ語名の「Kauō」は「卵」を意味する。レイサン島では『固有種、固有亜種』で『人間の密猟や戦争行動、外来種の脅威によって絶滅』したツル目クイナ科ヒメクイナ属レイサンクイナ Porzana palmeri や、カモ目カモ科マガモ属レイサンマガモ Anas laysanensis(CR指定)、『絶滅寸前の』ヒワ亜科ハワイミツスイ族 Telespiza 属レイサンハワイマシコ Telespiza cantans (絶滅危惧種の絶滅危急種VU指定)といったもいるとあり、恐らくこの最後のレイサンハワイマシコ Telespiza cantans は、まさに丘先生の言う人間が持ち込んだヒワ類によってこういう状態に陥ったものとも思われる。]
以上は動物の習性の變異の最も有名な例である。斯く著しい例は餘り多くはないが、前にも述べた通り多少の變異は極めて普通であるから、親子の間と雖も、習性が全く同一とは限らぬ。また同じ子孫の中でも、或るものは舊習性を守り、或るものは新習性を取ることもあり、その間に自然に相違が現れるのは素よりである。
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