谷の響 二の卷 二 章魚猿を搦む
二 章魚猿を搦む
又この席に三浦某なる人ありて語りけるは、知某(しるひと)下舞(したまへ)村に住しとき、海の汀(ほとり)に十四五疋の猿の聚り居たるを見て、何ごとすらんと傍に寄りて見れば、大きなる鮹ありて一疋の猿の骹(すね)に脚を匝給(から)みて洋(うみ)へ曳入れんとする樣子なるに、邊傍(あたり)に居たる猿どもがこを曳かせずとて、搦まれたる猿に取つき力を添えてありけるが、この某を見るより四五匹の猿前に進み膝を折り掌を合せて伏したるに、可憐(ふびん)に思ひ刀を拔て章魚の脚を斬斷(きりはな)して猿を援けたれば、この猿は元より側(そば)に有つる猿どもが不殘(みな)掌(て)を合せて拜したること數囘(あまたゝび)にして、この某の歸るを見送れりしとぞ。さすがに人に近きものなりと語りしなり。又、東なる久栗坂の濱にも此と一般(ひとし)き話あり。こは二々(つぎつぎ)に載くべし。
[やぶちゃん注:「下舞(したまへ)村」底本の森山泰太郎氏の本話の補註に『北津軽郡小泊村下前(したまへ)。津軽半島の西側に突き出た権現崎の南岸にある漁村』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「猿」北限のサル、日本猿(哺乳綱サル目オナガザル科オナガザル亜科マカク属ニホンザル Macaca fuscata)というと、下北半島そればかりが有名だが北緯から言えば確かに北限はそっちだが、この津軽半島の一群のそれも、同じ北限のニホンザルの貴重なグループであり、しかも現在でも殆んど調査されいないそうである。川本芳氏の論文「北限のサル考」を参照されたい。
「聚り居たる」「あつまりゐたる」。
「鮹」「たこ」。
「骹(すね)」「脛(すね)」。
「匝給(から)みて」二字へのルビ。
「曳入れんとする」「ひきいれんとする」
「こを曳かせずとて」この絡まれた仲間を引きずり込ませまいとして。
「この某」前に併せて「このひと」と訓じておく。
「久栗坂」同じく底本の森山の補註に『青森市久栗坂(くくりざか)。陸奥湾沿岸で浅虫温泉付近』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「こは二々(つぎつぎ)に載(か)くべし」とあるが、ここで挙げた久栗坂の浜での類話というのは後には載ないようである。前にも同じような空振りがあったが、或いは平尾は続編「谷の響」を企図していたのかも知れない。]