谷の響 二の卷 九 蝦蟇の智
九 蝦蟇の智
弘化の頃なるよし、弘府(ひろさき)の一向宗眞教寺の院主庭の中を徜徉(ながめまはり)しに、木蔭に蟇と蛇とありて、蛇蟇を呑んとする勢ひなるを見て、蛇を逐(やら)ひ蟇を援けて互に遠く逐ひやりしに、其明る日復(また)その處に蛇と蟇と相對してありけるに、又々蟇を救ひて蛇を逐(お)ひやりぬ。斯の如きこと已に三四囘、其後二三日過て下僕(けらい)なるもの庭の中を掃除するに、大なる蛇の死して在るを見て住僧に告げければ、住僧來りてこれを視るに、蛇の肚内(はらうち)高く起りて動めく樣子なるに、僕をしてその肚を割(さ)かしむるに嚮(さき)の蟇ありていまだ死にもやらで、其手に一寸ばかりの鐡釘(かなくぎ)の穗先針の如くなるを持てり。僧も僕も蟇の智に感ぜしとなり。こは玄德寺の住僧の譚(ものがたり)にてありし。
又、これと類(ひと)しきことは知遇(しるひと)なる八木橋某の話に、同じく庭の中に蛇と蟇とありて、蛇蟇を呑んと口を張りて立向へば、蟇手を擧げてその頭を擊(たゝ)くに蛇首を縮め、少時(しばし)して蛇又蟇を呑んとするに蟇も亦その頭をたゝく。斯の如くすること累囘(たびたび)なりしが、蛇の頭遂に血を流せり。八木橋氏甚あやしみ、蛇を逐(やら)ひ蟇を捕へてこれを視るに、手に五六分ばかりの錢釘を持てるが、その釘の先尖りて針のごとくありし。その智あやしむべきものなりと、この八木橋氏語りしなり。
[やぶちゃん注:この話、読みながら、比較的近年(二十年以内)の単行本で読んだ(書庫の底に沈んで出てこない)、沖繩でハブを撲滅するために実験された新しい事例で、ヒヨコの脚に、中央で発条(バネ)状に円を描いた針金の両端を動物性物質で出来た結節バンドで閉じ止めたものを附け、そのヒヨコをハブが習性上から丸呑みし、そのハブの腹の中で、そのバンドが溶け、その両端の針金が真っ直ぐに戻って、ハブを腹の中から外へと両側(そく)で突き刺し、それによってハブを弱らせて死に至らしめるというやり方を思わず思い出した。しかし、その後、その方法でハブが撲滅出来たという話も聞かない。実用化は案外、難しかったのだろうか? 必ずしも針金が上手くハブを串刺しにしないのではないか、という疑問は読んだ時に感じはしたのを思い出す。
「弘化」一八四四年から一八四七年。
「眞教寺」底本の森山泰太郎氏の本話の補註に『弘前市新寺町にある法輪山真教寺。浄土真宗東本願寺派に属する。天文十九年』(ユリウス暦一五四九年)『の開基といい、慶長年間』(一五九六年~一六一五年)『弘前に移る、寺禄三十石』とある。Yuki氏のブログ「くぐる鳥居は鬼ばかり」の「真宗大谷派 法涼山 円明寺(圓明寺)& 平等山 浄徳寺 & 法輪山 真教寺(弘前市新寺町)」で画像が見られる(因みに、この方の記事はなかなか面白い)。現在、日本庭園があるようである。ここ(グーグル・マップ・データの航空写真)。
「徜徉(ながめまはり)しに」「徜」(ショウ/ジョウ)も「徉」(ヨウ)も「彷徨(さまよ)う」の意で、音も意味も「逍遙」と同系の単語のように見えるが、現代中国語を調べると「逍遥徜徉」という表現があり、訳して「のんびりとぶらつく」とあるから、音の近似性は偶然か。
「一寸」三センチメートル。
「鐡釘(かなくぎ)の穗先」人工の鉄製の釘の尖った方。
「玄德寺」同じく底本の森山氏の補註に『弘前市新寺町にある浄土宗法源寺塔頭であった大会山玄徳寺。文禄四年』(一五九四年)『南津軽郡浪岡に開創、慶安三年』(一六五〇年)『弘前に移転したという。今はない』とある。法源寺は先の真教寺の真西に専徳寺という寺を挟んで現存するから(先のYuki氏のブログ「くぐる鳥居は鬼ばかり」にはこの「遍照山法源寺(弘前市新寺町・大浦城の移築門)」もある)、この法源寺の周辺(グーグル・マップ・データ)にあったのであろう。それにしても、まさに新寺町というだけに現在も軒並み寺が密集している。
「五六分」一・五~一・八センチ。]