甲子夜話卷之二 23 寇萊公、崖州竹の事
2―23 寇萊公、崖州竹の事
前人又云ふ。寇萊公、崖州竹の事、不思議なることのやうなれども、あるべきことゝ思はるゝは、一年の夏、眞珠蘭の盆土に小竹幹を插して、其柔條を助しに、やがて竹幹より葉出で、日に隨て繁り行く。その冬に至り枯れたり。拔て見れば少し計根を生じて有けり。枝先の細き所の根を生ずべき理なし。いかなることにや。又庭中の櫻の木の枯れたりしを伐りて、餘木の倒れかゝれるを助くる杭に打しが、翌年その櫻木花を開き葉を生ず。夏月は枯るべしと思しに、遂に生長して今に年々花葉とも榮ゆ。但しさまでには生長せず。いつも同じ樣にてあり。又或人の家にて、門松を取除けたる跡に、松枝を插したりしが、根を生ぜりと云。奇なることもあるものなり。
■やぶちゃんの呟き
「寇萊公」「こうらいこう」。北宋の大臣で厳格な忠臣として知られる寇準(こうじゅん 九六一年~一〇二三年)。ウィキの「寇準」より引く。『字は平仲。諡は忠愍。萊公』(らいこう)『と敬称される』(封侯された地名「萊」由来)。華州下邽(陝西省渭南市)の人。『性格は剛直で知られ、『宋名臣言行録』には「寇準上殿、百僚股栗」(寇準が御殿に登ると部下共はふるえあがる)という話が出ているほどである』。九八〇年に『進士に及第。同年の進士に王旦・向敏中・蘇易簡・張咏・晁迥・謝泌・馬亮など北宋初期の名臣と称される者が多い』。九九四年には『参知政事となり、真宗の即位後は工部、刑部、兵部で職を歴任』、一〇〇四年には『同中書門下平章事(宰相)の職に就く。同年冬、契丹が聖宗の親征により軍を南下させ河北の瀛洲などを包囲し、北宋の朝廷は狼狽し』、『王欽若らが南遷を主張する中、寇準は真宗の親征を主張し、親征が実現。澶州で戦線は膠着状態』となり、澶淵(せんえん)の盟(北宋と遼の間で結ばれた盟約。国境の現状維持・不戦・宋が遼を「弟」とすること、宋から遼に対して年間絹二十万疋・銀十万両を送ることなどが決められた)が結ばれる。一〇〇五年に『中書侍朗と工部尚書を兼任』したが、翌年に『王欽若の讒言により罷免され』、一〇一七年に宰相に復職したものの、詐年後にはまたしても『丁謂・銭惟演らの讒言により宰相を追われ、雷州司戸参軍に左遷され、任地で没した』。死後十七年経った一〇三四年に名誉回復されている、とある。
「崖州竹」単子葉植物綱イネ科タケ亜科ホウライチク属ホウライチク変種崖州竹 Bambusa textilis var.
gracilis。崖州は現在の海南省三亜(さんあ)市に相当する古くからの広域旧地名。
「前人」前話「狂言の大名を堀田參政評判せる事」の話者である林家第八代林述斎。従って、本話柄はニュース・ソースの明記から、前の話と同時期の聴き取りの可能性が極めて高いことが判る。
「崖州竹の事、不思議なることのやうなれども、あるべきことゝ思はるゝ」寇準についてのこちらのサイト(邦文)に(改行で書かれてある引用元を( )で文の後に配し、注記号を除去した)。
《引用開始》
公が雷州で死ぬと、朝廷は洛陽への帰葬を許した。道すがら公安を過ぎると、民が出迎え、公の喪に哭し、竹を斬って地に植え、紙銭を燃やした。後々、筍が生えて竹林となった。地元ではこれを相公竹とよんだ。こういうことがあって、竹林のそばに公の廟を立て、たいそう丁重に祭ることになった。劉貢父と王楽道の二人は、各々この逸話を文字に書き写し、石に刻んだ。(『麈史』及び『名臣伝』より)
〔異説〕
公は左遷先の雷州に赴く途中、道すがら公安に立ち寄った。竹を斬って神祠の前に指し、祝辞を述べて言うならく、「私の心、もし朝廷に背くことあらば、この竹は必ずや死なん。もし朝廷に背かずんば、この枯竹はまた生き返らん」と。はたして竹は生き返った。(『東軒筆録』より)
《引用終了》
とあるのを指すか。雷州は現在の広東省雷州市で、竹の産地らしき崖州とは近い。
「一年の夏」。ある年の夏のこと。以下は林の実体験を語る。
「眞珠蘭」これは金栗蘭、モクレン亜綱コショウ目センリョウ科チャラン属チャランChloranthus
spicatus のことではなかろうか? 中国南部原産で、本邦へは江戸時代に渡来、高さ三十~六十センチほどになり、葉は厚紙質の楕円状倒卵形で対生する。春に穂状花序を出し、芳香のある淡黄色の花を咲かせる。和名は葉が茶の木の似ていることに由来する。参照したこちらの植物図鑑に画像がある。
「盆土」盆栽の土。
「小竹幹」両端を切除した短い竹の幹の加工した小片。
「其柔條」その真珠蘭の撓んでいる草体。
「助しに」「たすけしに」。支えとして添えたところが。
「拔て」「ぬきて」。
「計」「ばかり」。
「枝先の細き所の根を生ずべき理なし」「理」は「ことわり」。林先生、これは別におかしなおことでも何でもない。そんなことを言ったら、挿し木は、これ、みんな、理不尽な現象ということになりますぜ? 林先生、名前の割りに植物学は苦手でござんしたか?
「餘木」「よぎ」か。他の灌木の謂いか。
「杭に打しが」「くひにうちしが」。支えの杭として斜めに添えて地面に打ちこんだところが。
「花葉」「はな・は」
「取除けたる」「とりのけたる」。
« 譚海 卷之一 下野飯沼弘教寺狸宗因が事 | トップページ | 諸國百物語卷之三 十一はりまの國池田三左衞門殿わづらひの事 »