谷の響 一の卷 十七 猫讐を復す
十七 猫讐を復す
文政八九年の頃なるよし、板柳邑の坪田嘉平次と言へるもの雌猫一疋飼ひけるが、春子猫を産みて日を經るまにまにいと愛らしくなりたりき。さるにこの人の邸裏(やしき)に梨子の大木ありて年々巣造る鳥ありけるが、當(この)年も亦巣を架作(つく)りて子を孵(かへ)して居たりける。一日(あるひ)この子猫ども椽頭(えんさき)に出て庭を駈走(かけ)りて遊戲(たはむれ)ありしに、巣なる親鳥飛來りて子猫一疋を抓(つか)みて巣に持行しが、その悲泣(なける)聲いと哀切(あはれ)にして杳(はるか)に聞え、見るものあれよあれよと言ふばかりなりしが、其隙に又一匹を攫ひ遂に三四日の間(うち)に四匹の子猫悉(みな)捕(とら)れたり。親猫いたく哀啼(な)いてその鳥を逐ひて木に昇りしに、多くの鳥群簇(むらむら)と飛び來りて却りて猫を殺さんとするに、嘉平次が嗣子(せがれ)なる者見堪(みこら)へかねて鳥を追ひ、猫を援(すく)ひて直ちに巣を落さんとするを、慈(なさけ)深かき親共なれば種々(さまざま)に制し侍るに、默止(もだし)がたくて歇已(やみ)たりき。
さるに其夜戌下(さが)る頃、巣の鳥どもいたく鳴噪(さはげ)るに、何事にやと燈を照して樹の下に到て見れば、五六羽の子鳥巣と共に地に墮(おち)て飛びも爲し得ず嘈々蠕々(がやめきまはれる)が、その側少し避(さ)りて親鳥一羽咽喉(のど)より血を流し未だ死もやらず發踏(ばたつき)しに、樹の上に猫の聲ありしが忽ち下りて、親鳥をはじめ子鳥をも不殘(みな)噬噉(かみくら)ひて殺しけり。家内皆希代の事として人に語れるに、聞く人その智のかしこきを稱(たゝ)へぬものはなかりしなりと、己が母なる人語りぬ。恩を報ひ讐を復(かへ)すの情、人にも劣らざりけり。
[やぶちゃん注:「讐」「あだ」。
「文政八九年」一八二五、一八二六年。
「板柳邑」既注。北津軽郡板柳(いたやなぎ)町。弘前市の北に現存する。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「架作(つく)りて」二字へのルビ。
「持行しが」「もちゆきしが」。
「悲泣(なける)」二字へのルビ。
「攫ひ」「さらひ」。
「哀啼(な)いて」二字へのルビ。
「却りて」「かへりて」。かえって。
「猫を援(すく)ひて直ちに巣を落さんとするを、慈(なさけ)深かき親共なれば種々(さまざま)に制し侍るに、默止(もだし)がたくて歇已(やみ)たりき」次の描写から見て、やや表現がぎくしゃくしている。「制し侍るに」の接続助詞「に」は逆接で、「默止(もだし)がたくて歇已(やみ)たりき」とは両親の行動に対する表現、則ち、巣を叩き落とそうとする嫡男の行動を黙って見ていることが出来ずに止めさせた、という謂いだからである。ここは正確には、息子が「猫を援ひて直ちに巣を落さんとするを、慈深かき親共なれば、默止がたくて、種々(さまざま)に制し侍りて、歇已(や)めさせたりき」とあるべきところである。
「戌下(さが)る頃」午後八時過ぎ頃から九時前まで。
「鳴噪(さはげ)るに」「なきさはげるに」。「さはげ」は「噪」一字へのルビ。
「到て」「いたりて」。
「嘈々蠕々(がやめきまはれる)」四字へのルビ。「嘈」は「喧(かまびす)しい・五月蠅い・騒ぐ」の、「蠕」は「這い回る」の意。
「側」「そば」。
「發踏(ばたつき)しに」二字へのルビ。
「噬噉(かみくら)ひて」「噬」は「嚙(か)む」の意。]