甲子夜話卷之二 30 以前の大的の事
2―30 以前の大的の事
今大的とて、御旗本御家人などの射る物は、憲廟より前は、人形(ヒトカタ)と云て、五尺ばかりに紙を長く繼て、掛軸の如くし、竹竿にかけて射たりしを、憲廟の御時、治世に人がた射んこと不祥にして且不仁也と有て、これを改められ、竹を曲て輪とし、今の大的の大さに爲て、其中を通りたる箭を中(アタ)りとしけり。然を又德廟の御時、其物に中りて響なきは快からず迚、今の紙に張る的を制して射さしめらる。是よりいづ方も今の的になりしと也。先年同姓忠右衞門【信義】語れり。
■やぶちゃんの呟き
「大的」「おほまと」。現行のそれは和弓の歩射(かちゆみ)に用いる射場(いば)の大きな的を指し、直径は五尺二寸(約一・五八メートル)である。この条はその起源説に相当する。因みに、対する「小的(こまと)」は直径一尺二寸(約三十六センチ)以下のものを指す。
「憲廟」徳川綱吉。
「人形(ヒトカタ)」後で綱吉が不快に思う如く、太平の世に遇って戦場での対人射撃を忘れぬための呼称であろう。
「云て」「いひて」。
「五尺ばかり」一・五メートルほど。江戸時代の男性身長の平均は一五五~一五八センチとされる。なお、ここに出る徳川綱吉は一二四センチの小人症(低身長症)であったという記事がこちらに出る。
「繼て」「つぎて」。
「不祥」「ふしやう(ふしょう)」縁起が悪いこと。不吉。
「且」「かつ」。
「不仁也」「ふじんなり」。無慈悲極まりない行いである。
「有て」「ありて」。
「曲て」「まげて」。
「爲て」「して」。
「其中」其の竹の話の中空内。
「箭」「や」。「矢」に同じい。
「然を」「しかるを」。
「德廟」吉宗。
「其物に中りて」「それ、ものにあたりて」と訓じておく。
「響」「ひびき」。
「迚」「とて」。
「制して」これは「製して」ではない。「規定として定めて」の謂いである。念のため。
「同姓忠右衞門【信義】」自分と同姓の松浦(まつら)信義ということであろうが、不詳。