諸國百物語卷之三 二十 賭づくをして我が子の首を切られし事
二十 賭(かけ)づくをして我が子の首を切られし事
紀州にて、ある里に、さぶらひ、五、六人よりあひ、夜ばなしのついでに、
「その里より、半みちばかり行きて、山ぎわに宮あり。宮のまへに、川あり。この川へ、をりをり、死人(しひと)、ながれきたるまゝ、たれにてもあれ、此川へ、こよひゆきて、死人(しひと)の指を切りきたらんものは、たがいの腰の物をやらん」
と、かけづくにしければ、たれも行かんと云ふもの、なし。その中に、よくふかきをくびやうものありて、
「それがし、參らん」
と、うけあひて、わがやにかへり、女ばうにかたりけるは、
「われ、かやうかやうのかけをしたれども、むね、ふるいて、なかなか、ゆかれず」
と云ふ。女ばう、きゝて、
「もはや、へんがへ、なるまじき也。それがし參りて、指をきりてまいらん。そなたはそこにるすせられよ」
とて、二つになる子を、せなかにをひ、くだんの所へゆきにける。此川のまへに、壱町ばかりあるもりありて、物すさまじきをゆきすぎて、かのみやのまへにつき、橋の下にをりてみれば、女のしがいありしを、ふところより、わきざしをぬきいだし、ゆび、ふたつ、きり、ふところにいれ、もりのうちをかへりければ、もりのうへより、からびたるこへにて、
「足もとをみよ」
と云ふ。をそろしく思ひて、見れば、ちいさきつとに、なにやらん、つゝみて、有り。とりあげみれば、おもき物なり。いかさま、これは佛神のわれをあわれみ給ひて、あたへ給ふ福なるべし、と思ひ、とりて、かへる。男は女ばうのかへるをまちかね、よぎをかぶり、かたかたとふるいてゐたりしが、やねのうへより人廿人ばかりのあしをとにて、どうどうとふみならし、
「なにとて、なんぢは、かけしたる所へ、ゆかぬぞ」
とよばはる。男は、なをなを、をそろしくて、いきをもせずして、すくみゐたり。その所へ女ばう、かへり、をもての戸をさらりとあくるをと、しければ、さては、ばけ物、はいる、と心へ、男、
「あつ」
といひて、めをまわしけり。女ばう、きゝて、
「われなるぞ、いかにいかに」
と、ことばをかけゝれば、そのとき、男、氣つきて、よろこびける。さて、女ばう、ふところより、ゆびをとりいだし、男にわたし、
「さて、うれしき事こそあれ」
とて、くだんのつとをひらきて見れば、わがうしろにおひたる、子のくび也。こはいかに、となきさけびて、いそぎ、子をおろしみければ、むくろばかりありけり。女ばう、これをみて、なげきかなしめども、かひなし。されども男は、よくふかきものなれば、かの指をもちゆきて、腰の物をとりけると也。
[やぶちゃん注:挿絵の右キャプションは「かけづくにて子のくひを切事」(「切事」は「きること」。「きらるること」と読むのが正しかろうが、それは少し無理がある)。木の上をご覧になられたい。まさに本話の妖異の者が、烏天狗として形象されてあるのが判る。なお、頁末尾に「諸國百物語卷之三終」とある。
本話こそ、小泉八雲の“Kottō”(「骨董」 明治三五(一九〇五)年刊)に載る、かの知られた名作怪談“The Legend of Yurei-Daki”(「幽霊滝の伝説」)の原型であると私は思う(それは私が小学校五年生の時に読んだ(昭和四二(一九六七)年角川文庫刊(三十三版)の田代三千利稔(みちとし)氏訳になる「怪談・奇談」)、私の最初の八雲体験の衝撃の一作であった)。「英語学習者のためのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」の原文と田部隆次氏訳を並べたそれをリンクさせておく)。八雲の直接の原典は明治三十四年発行の『文藝倶樂部』第七巻第十一号の「諸國奇談」十九の一篇「幽靈瀧」(松江・平垣霜月著)ではあっても、そのプロト・タイプはどう見てもこれである。
「半みち」「半道」。一里の半分。半里。二キロ弱。
「此川へ」「このかはへ」。
「こよひゆきて」「今宵行きて」。
「指を切りきたらんもの」「指を切り來らん者」。指を切ってそれを持って帰った者。この手の肝試しのやり方は概ね、行った証拠を当該地に残しておき、翌日の昼間に当事者らで出向いて、確認の上、「賭(か)けづく」、賭けた金品(ここは皆々の佩刀)を渡すのが通常。ここはそのかったるい翌日の検証をすっ飛ばして手っ取り早く、その夜の内に賭け物を提供しよう、というものである。しかし、如何にも忌まわしい仕儀である。
「よくふかきをくびやうもの」「欲深き臆病者」。この設定が、通奏低音の陰惨な本話柄に、滑稽味を添えてはいる。いるが、どうも、この侍、非常に気に入らぬ。
「うけあひて」「請け合ひて」。
「わがやにかへり」「我が家に歸り」。
「女ばうにかたりけるは」「女房に語りけるは」。
「むね、ふるいて」「胸、震ひて」。歴史的仮名遣は誤り。
「へんがへ」「變改(へんがへ)」。約束を変えること。
「そこにるすせられよ」「其處に留守せられよ」。
「二つになる子」数えであるから、この年に生まれたばかりの乳飲み子。
「せなかにをひ」「背中に負ひ」。
「壱町ばかり」百九メートルほど。
「もり」「森」。
「物すさまじきをゆきすぎて」「もの凄まじきを行き過ぎて」。
「かのみやのまへにつき」「彼(か)の宮の前に着き」。
「をりて」「降(お)りて」。歴史的仮名遣は誤り。
「女のしがい」「女の死骸」。
「もりのうちをかへりければ」「森の内を歸りければ」。
「からびたるこへにて」「枯らびたる聲にて」。しゃがれた声で。
「ちいさきつと」「小さき苞(つと)」。小さな藁苞(わらづと:藁の中に食い物や物品を入れて持ち運ぶために包みとしたもの。挿絵を参照)。
「いかさま」副詞。「如何にも!」「きっと!」「これ、恐らくは!」。
「よぎをかぶり」「夜着を被り」。
「かたかたとふるいてゐたりしが」「かたかたと震いて居たりしが」。がたがたぶるぶると震えて蹲っていたが。「震いて」は「震ひて」の転訛。
「やねのうへより人廿人ばかりのあしをとにて」「屋根の上より、人、二十人許りの足音にて」。
「どうどう」どんどん。オノマトペイア(擬音・擬態語)。
「すくみゐたり」「竦み居たり」。
「その所へ女ばう、かへり、をもての戸をさらりとあくるをと、しければ、さては、ばけ物、はいる、と心へ、男、「あつ」といひて、めをまわしけり」救い難い男の滑稽が、寧ろ、悲しくなってくる。
「むくろ」「骸(むくろ)」。言わずもがな、赤ん坊の首のない亡骸である。]