戦争のもつ悪に反抗 レマルク著『生命の火花』 梅崎春生
戦争のもつ悪に反抗
レマルク著『生命の火花』
この小説の舞台は、ドイツのメレルン強制収容所。時はナチス・ドイツ敗退期から崩壊期まで。収容所の内部のみを描くことによって、戦争の悪や不合理や非人間性、そしてそれに抵抗して立ち上る人間の生命を描こうとしている。題名の「生命の火花」はそういう意味である。一九四六年に発表された『凱旋門』から六年を経て、昨年(一九五二)一月発表されたものである。
主人公は「五〇九号」と呼ばれる五十歳の男。物語は大体この男を中心として動いて行く。収容所の囚人たちはほとんど生に望みを失い、生きる希望から離れているが、収容所の市が爆撃され始めたことから、ナチスの崩壊の間近きを知り、初めて生への可能性を知り、立ち上ろうとする。立ち上って最後の闘いの用意をする。この点において「五〇九号」は『凱旋門』のラヴィックと異なり、自らを行動の場に置こうとする決意がある。これはこの六年間の世界情勢の変転が、作者レマルクにもたらした必然的な変化なのであろう。すなわちラヴィック的な生き方は敗北主義に過ぎないといったようなことだ。
しかし作の効果という点から見れば、たとえば私利保身をはかる親衛隊連隊長など、しごく類型的な摑み方であるし、収容所の日常性(どんな苛烈な環境にも日常性はある)がほとんどとらえられていない。そのことがこの作家に、一本の現実的な筋金を通していないように感じられる。これは『西部戦線異状なし』などにくらべて、この題材を得るために作者が生身の犠牲を払っていない、その点にかかるかとも思う。
[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年四月三十日号『社会タイムズ』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。
「レマルク」後に出る第一次世界大戦を舞台とした名作「西部戦線異状なし」(Im
Westen nichts Neues 一九二九年:翌一九三〇年(日本公開も同年)にはアメリカでルイス・マイルストン(Lewis Milestone 一八九五年~一九八〇年)監督によって映画化され(英語原題“All Quiet on the Western Front”)て大ヒットした)で知られるドイツの小説家エーリヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque 一八九八年~一九七〇年)。
『生命の火花』(Der
Funke Leben)はレマルクが一九五二年に発表した作品。本評が発表された同年に山西英一訳で潮書房から刊行されている。私は未読。
「メレルン強制収容所」調べてみると、固有名詞の「メレルン」は原文では“Mellern”のようだが、こうした名の強制収容所を当時のドイツ国内に見出せない。或いは小説上の架空のそれかも知れぬ。識者の御教授を乞う。
「ナチス」ドイツ語“Nazis”。第一次大戦後、ヒトラーを党首としてドイツに台頭したファシズム政党“Nationalsozialistische
Deutsche Arbeiterpartei”(国家社会主義ドイツ労働者党)の 略称“Nazi”(ナチ)の通称複数形。一九一九年に結成され、大恐慌下、大ドイツ樹立・ベルサイユ条約破棄・ユダヤ人排斥などをスローガンに支持を拡大、一九三三年に政権を掌握、統制経済・再軍備・ユダヤ人及び共産主義者らへの虐待殺戮といった独裁政治を断行、ヨーロッパ征服を目指して軍備拡張を行い、第二次大戦を起こしたが、敗れ、一九四五年六月五日に消滅確認がなされた。
「凱旋門」(Arc de
Triomphe)はマルクが一九四六年に発表した作品。第二次世界大戦中のパリを舞台とし、一九四八年にアメリカで「西部戦線異状なし」と同じルイス・マイルストン監督によってシャルル・ボワイエ(Charles Boyer 一八九九年~一九七八年)とイングリッド・バーグマン(イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman 一九一五年~一九八二年)の名コンビの共演でヒットした映画「凱旋門」(Arch of
Triumph:日本公開は昭和二七(一九五二)年)の原作。
「ラヴィック」Ravic。「凱旋門」の主人公の名。ナチスを逃れてフランスに不法入国したオーストリアの医師。]