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2016/10/02

諸國百物語卷之三 一 伊賀の國にて天狗座頭にばけたる事

 

 諸國百物語卷之三 目錄

 

一  伊賀の國にて天狗座頭にばけたる事

二  近江の國笠鞠(かさまり)と云ふ所せつちんのばけ物の事

三  大石又之丞地神(ぢしん)のめぐみにあひし事

四  江州(がうしう)白井介(しらいすけ)三郎が娘の執心大じやになりし事

五  安部(あべ)宗(そう)びやうへが妻の怨靈の事

六  ばけものに骨をぬかれし事

七  まよひの物二月堂の牛王(ごわう)にをそれし事

八  奧嶋檢校(をくしまけんげう)山の神のかけにて官にのぼりし事

九  道長の御前にて三人の術くらべの事

十  加賀の國あを鬼の事

十一 はりまの國池田三左衞門どの煩(わづらひ)の事

十二 古狸さぶらひの女ばうにばけたる事

十三 慶長年中いがの國ばけ物の事

十四 ぶんごの國西迎寺(さいかうじ)の長老金(かね)に執心をのこす事

十五 備前の國うき田の後家まんきの事

十六 下總の國にて繼子(まゝこ)を惡(にく)みてわが身にむくふ事

十七 渡部新五郎が娘若宮の兒(ちご)に思ひそめし事

十八 いがの國名張にて狸老母にばけし事

十九 艷書(ゑんしよ)のしうしん鬼(に)をとなりし事

二十 賭(かけ)づくをしてわが子の首を切られし事

 

諸國百物語卷之三

 

    一 伊賀の國にて天狗座頭(ざとう)にばけたる事


Tanguzatou

 伊賀の國に里とをき山に堂あり。このどうに、ばけ物ありて、七つすぐれば、人、ゆくことなし。わかきさぶらひ四、五人、よりあひて、

「たれか、此うちに、かのどうへ行きて、一夜をあかすもの、あらんや。もし、ゆくものあらば、われわれが腰の物をやらん」

といふ。そのなかに、とし、三十二、三なるわかもの一人、すくといでゝ、

「それがし、參らん」

と云ふ。さらばとて、たがいに腰の物をかけづくにして、さて、くだんのわか者は家につたわりたる大小に、九寸五分のよろいどをしを、ふところにさし、かのどうへゆき、なに物にてもきたらば、たゞ一うちにせんとて、錢箱(ぜにばこ)にこしをかけ、あたりをにらんで、まちゐけるに、その夜、もはや四つすぎとおぼしきころ、よろぼいたるあしもとにて、つえをつききたるをと、しけるが、ほどなくどうの上へあがり、しやうじをあけて、はいらんとす。そのとき。かのわか者、聲をかけて、

「なに物なれば、夜ふけてこゝにきたるぞ。われは、ようじんするものなれば、あたりへよりたらば、たゞ一うちにせん」

とて、刀に手をかけゐたりければ、かのもの云やう、

「さては此どうのうちに人の御座候ふや。御めんなされ候へ。われは此あたりちかきざいしよにすまいする座頭にて候ふが、さるしゆくぐわんの候ひて、よなよな、此どうへ、こもり申す也。すこしも御きづかいなさるゝ者にては、なく候ふ。さて、そのはうさまには、いかなる人にてましますぞ。心もとなく候ふ」

といふ。

「われは上野あたりのものなるが、さるしさいありて、こよい、此どうに一夜をあかす也。いかほど座頭にさまをかへ、われをたぶらかさんとするとも、たやすくあざむかるゝものにてはなし。ちかふよりて、けがするな」

と、いよいよ心をゆるす事なし。座頭きゝて、

「御ようじんは御尤にて候ふ。しからば、われはゑんに出でゝ、へいけなりとも、かたり申すべし。夜あけて、まことの人か、へんげの物か、御らん候へ」

とて、琵琶ばこより琵琶をとりいだし、よきこゑにて、へいけをかたりける。をもしろさ、たとへんかたなし。かのわか者も、おもしろくおもひ、いつとなく心うちとけて、

「われもさびしきに、よきとぎをもうけたり。さらばこれへ、はいれ」

とて、しやうじをあけてうちにいれ、いろいろ物がたりなどして、たがいに心をかずに、はなしける。

「さらば今一ふし、へいけを、しよもういたさん」

といへば、座頭、

「かたじけなし」

とよろこび、びわをとりあげ、なにかはしらず琵琶ばこより松やにのいろしたる、手まりのごとくなる物をとり出だし、びわのいとにひきけるを、かのわか者みて、

「それはなにぞ」

とゝふ。

「これは、いとのほどけたるとき、引き申すもの也」

と云ふ。

「そと、みたき」

といへば、

「やすき御事」

とて、さしいだす。わか者、これを手にとりければ、手にとりつきて、はなれず。かた手にてはらいをとさんとすれば、兩の手にとりつき、のちには兩の指ひとつにとぢあひて、はなれず。さては、かのばけ物にあざむかれたる事のくちをしさよと、はがみをなしてくやめども、かいなし。あまりの事に、

「此玉をはなしてかやせ」

といへば、座頭からからとうちわらひ、

「さてさて、われをたいらげんとて、ぶへんをいわるゝ御侍のありさまのおかしさよ。それにてゆるゆると夜をあかし給へ」

とて、大小に、ふところなる小脇指までひつたくり、ゆくゑもしらず、きへうせけり。さてさて、むねんのしだいかな。此うへは舌をくいきり死なん、と、をもふ所へ、四、五人のこゑにて、どうへあがるをとしけるが、そのとき、手あしも一度にはなれ、玉(たま)もうせぬ。さて、くだんの人をみれば、みなみな、かけづくしたる侍ども也。人々、おどろき、

「さて、ばけ物のありさま、いかゞぞ。あまりに心もとなくて見まいにきたり」

と云ふ。かくさんとおもへども、大小をとられたれば、かくすべきやうもなく、はじめをはりをかたりければ、人々おどろき、

「さてさて、それはすさまじき事かな。去(さり)ながら腰の物をとられたるは、おかしや」

と、いちどに、どつとわらひて、かの四、五人の侍ども、かのわか者が顏を、ひとりひとり、なでゝ、かきけすやうに、うせにけり。そのとき、かのわか者も氣をうしなひて死にいりけるが、夜もやうやうあけがたになりければ、かの賭したるまことのさぶらいども、かの堂へゆきみれば、丸ごしになり死してゐたり。やがてよびいけ、氣つけをのませなどして、やうやうよみがへり、さて事のやうすをたづねければ、うつらうつらと物がたりして、みなみな、つれだち歸る所に、くだんの腰の物、三腰(みこし)ながら、五、六町ほどかたはらの杉の木のえだに、かけをきたり。かのわか者、あまりにぶへんにかうまんせしゆへに、天狗のなすわざにてありしと也。そのゝち、かのわか者も心うつけて、氣ちがいのやうになりしと、その所の人、かたり侍る。

 

[やぶちゃん注:「曾呂利物語」巻三の「六 をんじやくの事」(温石の事)に基づく(本来、「温石」とは火で焼いて熱くした石を布に包んだ携帯用の暖房具であるが、原話ではそれを以って糸に塗る仕草をする)。原典では「信濃國末木(すゑき)の觀音」(一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 中」の「曾呂利物語」の方の「をんじやくの事」の同寺の脚注に、現在の『長野県北佐久郡にある釈尊寺か』とするとする(現在は同寺の住所は長野県小諸市大久保に行政変更されている)。また、原話では座頭が巨大な角をはやした鬼となるシーンがあり(本話ではない)、本話の方のエンディングの、座頭が若者の三刀を持ち去って後にそれが杉の木の枝にかけられていたというシークエンス、若者の傲慢ゆえに天狗が災いをなしたものとし、後に若者が狂人と化したとする人の話(教訓的因縁譚)はなく、原話の方がややポジティヴである。

「七つ」午後四時頃。

「かのどう」「彼の堂」。

「すくといでゝ」すっくと立ち上がって。

「かけづく」「賭づく(かけずく)」で、何かを賭けにすることの意(「日本国語大辞典」は「賭けをすること」とし、「ずく」は接尾語とのみ記す)。三省堂の「大辞林」の「賭け徳(かけどく)」の項には「勝負事に賭ける金品」また、「賭け事」と解説し、「どく」は「ろく(禄)」の転とも「づく」の転とも言うという解説が附されてある。

「九寸五分のよろいどをし」そもそもが、刃の部分の長さが九寸五分(約二十九センチ)の短刀を「鎧通し」と呼称する。身幅が狭い割に重ねが極端に厚い、極めて頑丈な造り込みの反りのない短刀の総称で、白兵戦での組み打ちに際し、敵の武士の鎧の隙間から致命的な刺傷を加えたことからこの呼称がある。このシーンのように左腰に大小を差した場合は、佩刀の煩わしさを避けることを主として、多くは「右手差(めてざし)の拵え」(右腰に逆差しに佩用して瞬時の使用に有効性を持つように製刀に配慮がなされること)であったとも言われる。ここでは「ふところにさし」とあるから、懐の、やはり反対の右の帯の内側部分にそれを差したと考えてよい。

「四つ」午後十時頃。

「しゆくぐわん」「宿願」。

「そのはうさまには」「其の方樣には」。

「心もとなく候ふ」(かえって目の見えぬ我らが方が)不安で仕方がなく、気掛かりにて御座いまする。

「上野」「うへの」。伊賀上野(うえの)。現在の三重県伊賀市の旧上野市を指す別称。俳聖芭蕉の出身地として知られる。

「ゑん」「緣」。

「へいけ」「平家物語」。

「琵琶ばこ」「琵琶箱」。琵琶を収納するケース。

「よきとぎをもうけたり」「良き伽(とぎ)を儲けたり」。願ってもないよい夜伽の相手を得た。

「たがいに心をかずに」互いに遠慮をすることもなく親しく。

「しよもういたさん」「所望致さん」。

「松やにのいろしたる」「松脂の色したる」。

「手まり」「手毬」。

「びわのいとにひきける」「琵琶の糸に引きけるに」。この「引く」は「糸の上に塗る」の意。以下の「座頭」の説明からは、それによって糸巻で締めた糸が緩み難くなるものを指すようである。

「そと」一寸(ちょっと)。

「手にとりつきて、はなれず。かた手にてはらいをとさんとすれば、兩の手にとりつき、のちには兩の指ひとつにとぢあひて、はなれず」となると、若者が最初に見かけた際の松脂に酷似した性質のものとして、多くの読者には認識されるよう、筆者は予め伏線を張っていたということが判明する。

「かやせ」「返(かや)せ」。「返(かへ)せ」という命令形の発音が転じたもの。

「たいらげん」「平らげん」。

「ぶへんをいわるゝ」「武邊を言はるる」。歴史的仮名遣は誤り。勇猛果敢をご自慢なさる。

「きへうせけり」「消え失せにけり」。歴史的仮名遣は誤り。

「さてさて、むねんのしだいかな。此うへは舌をくいきり死なん」若侍の心内語。

「をもふ」「思ふ」。歴史的仮名遣の誤り。

「手あしも一度にはなれ」描写されていないが、両手がくっついてしまった若侍は、恐らくそれを足で引き剝がそうとして、遂には四肢がヨガのポーズのようにくっついてしまっていたことが判る。この話は、原話のように実は映像的にはかなり滑稽で面白いものなのである。

「見まい」「見舞ひ」。様子見(み)。歴史的仮名遣は誤り。

「かくさん」「隱さん」。名折れの恥じもいいとこだから、変化に化かされたことを隠そうとしたのである。

とおもへども、大小をとられたれば、かくすべきやうもなく、はじめをはりをかたりければ、人々おどろき、

「すさまじき事かな」「何とも。もの凄くも酷(ひど)いことじゃ!」

去(さり)ながら腰の物をとられたるは、おかしや」

「かのわか者が顏を、ひとりひとり、なでゝ、かきけすやうに、うせにけり」この思いがけないダメ押しの幻術部分がこれ、またまた、面白く出来ている。但し、これは「曾呂利物語」の原話由来である。

「よびいけ」「呼び生け」で、「大声で呼んで生き返らせる」意の動詞「呼び生く」の名詞化したもの。「卷之二 二 相模の國小野寺村のばけ物の事」で詳細に既注。

「うつらうつらと」如何にも呆然とした感じで。

「五、六町」五百四十六~六百五十五メートルほど。

「かたはらの」ここは「近くの」の意。]

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