北條九代記 卷第九 山内御山莊に於いて喧嘩
これを以って「北條九代記 卷第九」は終る。
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○山内御山莊に於いて喧嘩
同七月四日、山内御山莊に於いて、大屋(おほやの)二郎と笠木(かさきの)平内と口論を仕出(しだ)し、兩方互に太刀を拔いて、散々に切合ひければ、折節、有合ひける人々、是を取支(とりさ)へんとする程に、太刀鋭(さき)に當りて血を流し、或は腕頸(うでくび)を打落(うちおと)され、殿中、大に騷立(さはぎた)ちて、兩人が召使ひける郎從共、この由を聞付けて、御山莊に走來(はしりきた)り、左右に別れて打合ひければ、手負(ておひ)、死人、多く出で來り、親類、與力の輩(ともがら)、贔屓(ひいき)々々に方人(かたうど)して、事夥(ことおびただしく)しくなりければ、すはや、大事に及ぶぞ、とて、百姓等、周章狼狽(あはてうろた)へ、資財を取除(とりの)け、子を倒(さかさま)に負ふて、騷逃(さはぎにぐ)る間(あひだ)、鎌倉中の御家人等(ら)、何事とは知らず、甲冑を帶(たい)し、馬に策(むちう)つて、將軍家へ集(あつま)るもあり、相州の亭に來るもあり。その間に、かの兩人は雌雄を決して、相互(あひたがひ)に切死(きりし)にければ、手負は自身の過(あやまち)になり、方人(かたうど)は時の扱(あつかひ)の爲(ため)と稱して、殊故(ことゆゑ)なく靜(しづま)りけり。相州、仰せられけるは、「大屋、笠木の兩人、共に弓馬の藝に於いては、隨分に嗜みて、物の用に立つべき者と思ひける所に、この比に至つて大に奢(おごり)を起(おこ)し、兩人ながら家作(いへづくり)壯麗(きらびやか)に、身の出立も分際(ぶんさい)に過ぎたり。奢付(おごりつ)きぬれば、邪欲になり、後暗(うしろぐら)き覺悟も出來(いでき)ぬらん。奉公の躰(てい)、更に心の外に見えて、物云ふ事、首尾、調(と〻の)はず、他を慢(まん)じて無禮を行ひ、見苦しき有樣、多かりき。斯(か〻)る行跡(かうせき)のある故に、思(おもひ)の外の口論を仕出し、一時に身命(しんみやう)を失へり。凡そ知行俸祿(ほうろく)を與へて、此身に限らず、妻子に至るまで、朝夕(てうせき)の養(やしなひ)を心易くせさする事は、國家の一大事に臨む時に、その身命を召されんが爲なり。然るを、私(わたくし)の遺恨を仕出(しいだ)して、我人共(われひととも)に打果(うちはた)す事、是(これ)、偏(ひとへ)に、不忠不義の惡者、主君を取倒(とりたふ)す盜賊に非ずや、惣じて、誰人(たれひと)に依らず、君を蔑如(べつじよ)し、他を侮り、邪説を行ひ、侈(おごり)を起(おこ)し、主(しゆ)を謗り、僞(いつはり)を構へ、世に名ある輩を刺(そし)りて、その短を擧げ、法を破り、爭(あらそひ)を生じ、仁を忘れて人を妬(ねた)むは、是、則ち、國家を亂す根(ね)となり、世間を損(そん)ざす基(もとゐ)となる。佞奸(ねいかん)の甚しき、誠に大盜賊の張本なり。誡めずはあるべからず。是に依て、大屋、笠木が跡に於いては、假令(たちひ)、器量の子ありとも、立つべからず、他國に追放すべし」とぞ仰せ出されける。諸將諸親、是を聞きて、道理に伏して一言を申出す人もなく、彼(かの)兩人が一跡(せき)、悉く沒收(もつしゆ)して、妻子郎從殘なく他国へ追放(おひはなた)れけり。一朝(てう)の怒(いかり)を忍(しのび)ずして、其身命を失ふのみに非ず、科(とが)なき妻子まで禍(わざはひ)に罹(か〻り)て家門を滅亡せし事、諸人の誡(いましめ)、是にあり。前車(ぜんしや)の覆(くつがへ)るを見て、愼(つつしみ)を思はざらんや。忍(にん)の一字は、上世後代(じやうせいこうだい)不易の行(おこなひ)たるべき事、貴賤、能く守るべし、是、身を持(たも)つの大要なり。
[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻五十二の文永二(一二六五)年七月四日の条に基づくが、「吾妻鏡」には争った二人の姓名は記されていない。というより、『四日庚子。未尅。於山内御山庄。侍二人起鬪亂決雌雄。相互死畢。依之鎌倉中騷動。御家人等馳參。』(四日庚子。未の尅、山内の御山庄に於いて、侍二人、鬪亂を起して雌雄を決し、相互に死に畢んぬ。之れに依つて、鎌倉中騷動し、御家人等、馳せ參ず)という、ごくごく短い、一見、つまらぬ記事である。
「山内御山莊」場所は定かではないが、この時、執権北条時宗の山内泉亭なるものがあった。父時頼の最明寺(廃寺)御亭の敷地内か、或いは「泉」という名からは、泉ヶ谷、浄智寺山門附近を想起は出来る。孰れにしても時宗の本宅ではあるまい。
「有合ひける人々」傍(そば)にいた人々。
「取支(とりさ)へん」引き分けて静かに治めんと。
「殿中」その「山内御山莊」の意。以下の処罰から見ても、得宗家たる時宗の正式な本邸、或いは別邸である。従って、彼らは身内人かそれに準ずる人物である。だから最後に非常に厳しい処断が下されるのである。
「方人(かたうど)」助太刀。加勢。
「事夥(ことおびただしく)しくなりければ」事件が、ただの私的な喧嘩を越えて、重大な事件に発展しかけた(「すはや、大事に及ぶぞ」!)のである。
「相州」北条時宗。
「手負は自身の過(あやまち)になり」これは少しひどい。止めに入って怪我を負った者は勝手に当該人が行った結果の、自己責任というのである。だったら、皆で、始めっから、二人に決闘させればよいと言うのかい?! このクソ時宗が! しかも、助太刀の「方人(かたうど)」は「時の扱(あつかひ)の爲(ため)と稱して、殊故(ことゆゑ)なく靜(しづま)りけり」(事態の経過の中で止むを得ない仕儀であったということで、特にお咎めもなく鎮静化した)ったあ! なんじゃい! クソ時宗!! どうも前の陰陽師もいかすかねえ!! 時宗よ! お前は、執権に向いてねえんじゃねえか!?!
「この比」「このごろ」。
「身の出立も分際(ぶんさい)に過ぎたり」その服装や振る舞いも、頗る度を過ぎた奢侈なものであった。われ! こら! そう、思うておったら、こんなことになる前に何とかするんが、手前の義務だろうがッツ! クソ時宗がッツ!!
「後暗(うしろぐら)き覺悟も出來(いでき)ぬらん」今年(二〇一六年)の有象無象の富山県の議員(あいつらが二度と浮かばれることのないように富山県民は奴(きゃつ)らの名をよく覚えておけ!)のように、領収書の前に一字数字を加えたり、偽造の領収書を作ったりするような、後ろ暗いこと(悪いこととして実は内心、確かに思っていることという意味の「覺悟」)も、自ずと生じてきたに違いない、という意味。
「更に心の外に見えて」極めてそうした軽薄無慚な不誠実さが心の外、実際の言動によく見えており。――だったら! さっさと! 馘首するのがお前の義務だろ!! このクソ得宗時宗がッツ!
「他を慢(まん)じて」須らく他者に対して慢心して。
「蔑如(べつじよ)」蔑視。さげすむこと。
「主(しゆ)を謗り」ダブって五月蠅い。筆の滑り過ぎ。
「刺(そし)り」「謗(そし)り」。
「佞奸(ねいかん)」口先巧みに従順を装いながら、心の中は悪賢く、致命的に拗(ねじ)けていること。また、そうした人物。
「大屋、笠木が跡」大屋と笠木の後継ぎ。
「諸親」親族。
「彼(かの)兩人が一跡(せき)」大屋と笠木の一族全部。
「一朝(てう)の怒(いかり)を忍(しのび)ずして、其身命を失ふのみに非ず」実質上の主君である北条時宗の憤怒を、その当事者が死を以って失っただけに留まることなく。
「前車(ぜんしや)の覆(くつがへ)るを見て、愼(つつしみ)を思はざらんや」眼の前を行く車が引っ繰り返って牽く者や乗る者が惨たらしく事故死するのを見ても、用心しない馬鹿というのは、これ、いるだろうか? いや、いない!
「忍(にん)の一字「忍の一字」何事を成し遂げるにも忍耐することが一番大切だという諺。ここは時宗の厳しい事件への処断を緩和・正当化するために配されてあるのであるが、私はすこぶるつきで、「イヤナカンジ」である。]