祖父遺品の絵葉書から――「ホロンバイル 蒙古風俗」
[やぶちゃん注:「ホロンバイル」現在の中華人民共和国内モンゴル自治区北東部に位置するフルンボイル市。市名はモンゴル語で、地区に含まれる湖である呼倫湖(フルン・ノール)と貝爾湖(ボイル・ノール)に因む。参照したウィキの「フルンボイル市」によれば、『フルンボイル地方は遊牧に好適な草原地域であり、匈奴、鮮卑、室韋、キルギス、契丹、タタルなど、古来様々な遊牧民が興亡した。また、東方の森林地帯からは女真をはじめとするツングース系の民族も入り込んでおり、現在のオロチョン、エヴェンキの先祖となった』。『モンゴル帝国のもとではチンギス・ハーンの末弟テムゲ・オッチギンがこの地方に遊牧し、モンゴル高原東部から遼東にかけて絶大な権勢を誇った。元の北走後も北元にとっての重要な拠点であったが』、一三八八年に『この地でトグス・テムル・ハーンが殺害され、北元は崩壊した』。十七世紀には『バルグ(今日のブリヤート人に近いモンゴル系部族)、ダフール(モンゴル系民族)、エヴェンキ、オロチョンなどが住んでいたこの地方は清の支配下に置かれた。清は領土の北辺にあたるこの地方を支配するに当たり、八旗に準じて諸部族をソロン八旗(ソロンはエヴェンキの満州語名)に編入し、清朝皇帝の隷臣として扱った』。十八世紀には『外モンゴルのハルハの隷属民であったバルグの別派がフルンボイルに移住されてバルグ八旗に編成され、黒竜江将軍の支配下に置かれた』。『清末においてもこの地方は北方の辺境であったために漢族の流入や定住農耕化が比較的遅れ、その後も長い間遊牧生活が保たれた』。一九一二年に『ロシアとモンゴルのボグド・ハーン政権の援助で勝福や貴福らによって分離独立するも』一九一五年に『中国の特別区域となり』、一九一九年には『高度な自治権も解消された。満洲事変が起こると日本の勢力下に入り、満洲国』(一九三二年(昭和七年)三月一日満洲国建国)『に編入されて南のジェリム盟と合併、興安省が置かれた。さらに興安省が分割されるとフルンボイルのうち嶺東地区は「興安東省」、嶺西地区は「興安北省」が設置された。満州国崩壊後、興安北省省長だったエルヘムバトは侵攻してきたソ連とモンゴル人民共和国の連合軍に支援されてフルンボイル地方自治政府を分離独立させる』。一九四八年に『中国共産党のウランフの工作が実り、ホロンバイル盟が設置されて内モンゴル自治区に属すことになった』とある。本絵葉書は年次を示すデータがないが、満洲国に編入されてからのものである。
冒頭の封筒(画像ファイルm0)の「屆先」の「笠井直一」(なおかず)が私の母方の祖父(私の父母は従兄妹なので母方の祖母の兄でもある)、住所「九州鹿児島県岩川後町」(「後町」は「うしろまち」と読む)、差出人欄「ハルピンにて」「松崎博一」は祖父の友人。]
●「(蒙古風俗)頑健なる子供と精悍な親達」(画像ファイルm1)
表のキャプション。以下、やや異なるが、英文キャプションが附帯しているが、省略する。
●「(蒙古風俗)奇妙な面を覆る羅漢踊り」(画像ファイルm3)
●「(蒙古風俗)宿營地に於ける食事の用意」(画像ファイルm4)
●「(蒙古風俗)奇觀を呈する喇嘛僧の讀經」(画像ファイルm5)
●「(蒙古風俗)盛裝せる蒙古人の一族」(画像ファイルm6)
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