祖父遺品の絵葉書から――「(滿州國安東縣名勝)冬の鴨綠江スケート大會」
[やぶちゃん注:左下に同英文があるが、「winten」と誤植している。
「安東縣」現在の中華人民共和国遼寧省南部にある、鴨緑江を隔てて、朝鮮民主主義人民共和国と接する国境の街、丹東市の旧名。ウィキの「丹東市」によれば、『朝鮮族が』二十『万人以上居住している。中朝貿易最大の物流拠点であり、その』七『割以上がここを通過すると言われている』とある。一九三一年(昭和六年)に『満州事変が勃発すると直ちに日本軍に占領され、満州国は』一九三四年に『安東省を新設、安東県を省城とした』。一九三七年(昭和十二年)、『安東県は安東市に昇格している。この時代には多数の日本企業が安東に進出した』。一九四五年、『日本の降伏後は中国共産党軍が接収し、朝鮮戦争』(一九五〇年~一九五三年)『では中国人民義勇軍の兵站前線となった』。一九六五年、『安東市は丹東市に改称された』とある。ということは、この絵葉書には「安東縣」とあり、安東が市になる前、昭和一二(一九三七)年よりも前の製造になるものであることが判る。
「鴨綠江」(おうりょくこう:北京語:Yālù Jiāng(ヤールージャン/朝鮮語(北朝鮮)アムロッカン/(韓国)アムノッカン)は現在の中華人民共和国東北部と朝鮮民主主義人民共和国との国境となっている川。同じく国境にある白頭山(中国語:チャンパイシャン/朝鮮語:ペクトゥサン)に源を発し、黄海に注ぐ。ウィキの「鴨緑江」によれば、『水の色が鴨の頭の色に似ていると言われたことからこの名前がある』。『日露戦争時には日本軍とロシア軍が激戦を繰り広げた(鴨緑江会戦)』川でもあった。]
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