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2016/10/06

諸國百物語卷之三 五 安部宗兵衞が妻の怨靈が事

     五 安部宗兵衞(そうびやうへ)が妻の怨靈が事


Jyakennni

 ぶぜんの國速水(はやみ)のこほりに、安部宗兵衞といふものあり。つねづね、女ばうにじやけんにあたりて、食(しよく)物もくわせず。女ばう、これをくちをしくおもひて、わづらひつきけれども、くすりも、のませず。なをなを、つらくあたりけるが、女ばう、十九といふはる、つゐに、はかなくなりにける。すでに、まつごと云ふとき、宗兵へにむかつて、とし月、つらかりしうらみをいひ、

「いつの世にかは、わすれ申さん。やがておもひしり給へ」

とて、あひはてけるが、しがいを山にすて、とぶらひをもせざりしが、しゝて七日めの夜半のころ、かの女ばう、こしよりしもは、ちしをにそまり、たけなるかみをさばき、かほはろくしやうのごとく、かね、くろくつけ、すゞのごとくなるまなこを見ひらき、口は鰐(わに)のごとくにて、宗兵へがねまにきたり、こほりのごとくなる手にて宗兵衞がねたるかほをなでければ、宗兵衞も身をすくめゐたりければ、女ばう、からからとうちわらひ、宗びやうへがそばにねたる女ばうを七つ八つにひきさき、したをぬき、ふところへ入れ、

「もはや、かへり候ふ。また明晩まいり、とし月のうらみ申さん」

とて、けすがごとくに、うせにけり。宗びやうへ、おどろき、貴僧高僧をたのみ、大はんにやをよみ、きたうをし、あくる夜は、弓、てつほうを口々にかまへ、ようがいしてまちければ、夜はんのころ、かの女ばう、いつのまに、きたりけん。宗びやうへがうしろへきたり、つくづくとながめゐたり、宗びやうへ、なにとやらん、うしろ、さむくおぼへ、見かゑりみれば、かの女ばう、きつと見て、

「さてもさても、ようじん、きびしき事かな」

といひて、宗びやうへがかほをなづるとみへしが、にわかにすさまじきすがたとなり、宗びやうへをふたつにひきさき、あたりにゐたる下女どもをけころし、天井をけやぶり、こくうにあがりけると也。

 

[やぶちゃん注:挿絵の右キャプションは「安部の宗兵衞つま事」か。一部、字が潰れて読み難い。

「ぶぜんの國速水(はやみ)のこほり」現在、旧豊後国である大分県速見(はやみ)郡(日出町(ひじまち)を一町を含む)が行政郡として現存するが、旧郡域は遙かに広く、現在の別府市の大部分及び杵築市の大部分、宇佐市の一部と由布市の一部を含んでいた。

「じやけん」「邪險」「邪慳」。意地が悪く、人に対して思いやりのないさま。薄情。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の本文は「邪見」とするが、とらない(当該書はひらがなを編者が漢字化している)。この「邪見」は仏教用語で、「五見」(教義に反する五つの誤った考え。自己の実在を考える「我見」及び周囲の物(者)が自己に所属すると考える「我所見」を合わせた「身見」、自己の死後の永続を信じる「常見」及び死後の断絶を信ずる「断見」を合わせた「辺見」、因果の道理を否定する「邪見」、誤った見解を信じる「見取見(けんじゅけん)」、誤った宗教的行為を信じる「戒取見(かいじゅけん」を指す)・「十惑」(「貪(とん)」・「瞋(しん)」・「痴(ち)」・「慢」・「疑」・「見(けん)」の「六煩悩」の中の「見」を、さらに「有身見」・「辺執見」・「邪見」・「見取見」・「戒禁(かいきん)取見」の五つに分け、合わせて十とした十煩悩)の一つとされる、「因果の理法を否定する誤った考え」を意味し、一般語としても、正しくない見解・よこしまな考えの意しかないからである。

「はかなくなりにける」「死ぬ」の忌み言葉。

「まつご」「末期」。と云ふとき、宗兵へにむかつて、とし月、つらかりしうらみをいひ、

「いつの世にかは、わすれ申さん。やがておもひしり給へ」

「こしよりしもは、ちしをにそまり」下半身が血染めというのは所謂、妊婦の妖怪とされる「産女(姑獲鳥)(うぶめ)」に特徴的なものである。ウィキの「産女」によれば、『死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという概念は古くから存在し、多くの地方で子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられている。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もある』。妖怪としての「産女」についてはリンク先を読んでもらいたいが、或いはこの苛め抜かれた若き女房は、安部の子を妊娠していたのではなかったか? 栄養不良のために、発育せず、胎内で死に、しかもそれによって母体も衰弱した結果、彼女は死んだのではなかったか?! 少なくとも、筆者はそうした措定をこの少女妻にしているように、私には思われるのである。

「たけなるかみをさばき」「丈なる髮を捌き」。この「丈なる」は単に長いの意、「捌き」はざんばら髪にしての意。

「かほはろくしやうのごとく」「顏は綠靑の如く」銅が錆びた青緑色であるが、蒼白い霊の肌(はだえ)の色の表現としては最適である。

「かね」「鉄漿(かね)」。お歯黒。

「すゞのごとくなるまなこ」「鈴の如くなる眼(まなこ)」まんまるの鬼灯(ほおずき)の如き真っ赤な目玉であろう。

「鰐(わに)」ここは「鮫」でもよいが、仏具の鐘鼓を二つ合わせた形状、鈴(すず)を扁平にしたような形をしている「鰐口(わにぐち)」の、その下側半分の縁に沿って細く開いている口をイメージする方がわかりがよい。要は「口裂け女」である。

「宗兵へがねまにきたり」「宗兵衞が寢間に來たり」。

「こほりのごとくなる手」「氷の如くなる手」。

「宗兵衞がねたるかほをなでければ」「宗兵衞が寢たる顏を撫でければ」。

「身をすくめゐたり」「身を竦め居たり」。 

「宗びやうへがそばにねたる女ばう」「宗兵衞が傍(そば)に寢たる女房」。宗兵衛の妾(めかけ)か後妻。

「したをぬき、ふところへ入れ」この仕儀がダメ押しにキョワい!

「大はんにや」「大般若」。「大般若波羅蜜多経」略して「大般若経」とも称する。一切の大魔の念を降伏(調伏)させる功徳を持つとされる仏教の中でもとびっきりの経典であるが、如何せん、全十六部六百巻に及ぶ。まあ、ぱらぱらやる転読をしたのであろが、いい加減なそんなんより、亡くなった少女妻の方が恨みは遙かに真実骨髄まで染み亙るものだったことであろう。

「きたうをし」「祈禱をし」。

「てつほう」「鐡砲」。「てつはう」か「てつぱう」で歴史的仮名遣は誤り。

「口々に」門・戸口・窓口という、ありとある閉鎖した家屋内の内側からの隙間に。

「ようがい」「要害」。防備・警固。

「うしろ、さむくおぼへ」「後ろ、寒く覺え」。「おぼへ」の歴史的仮名遣は誤り。

「見かゑりみれば」「見返(かへ)り見れば」、歴史的仮名遣の誤り。

みれば、かの女ばう、きつと見て、

「さてもさても、ようじんきびしき事かな」

「にわかにすさまじきすがたとなり宗びやうへをふたつにひきさき、あたりにゐたる下女どもをけころし、天井をけやぶり、こくうにあがりけると也」「俄かに、凄まじき姿となり、宗兵衞を二つに引き裂き、邊りに居たる下女どもを蹴殺し、天井を蹴破り、虛空に揚がりけるとなり」。「にわかに」は歴史的仮名遣の誤り。]

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