フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 祖父遺品の絵葉書から――「ホロンバイル 蒙古風俗」 | トップページ | 進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(5) 五 習性の變異 »

2016/10/16

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(4) 三 他の動物の變異 / 四 内臟の變異

     三 他の動物の變異

 

 下等動物には變異の甚だしいものが頗る多い。中にも海綿の類などは餘り變異が烈しいので、種屬を分類することが殆ど出來ぬ程のものもある。現に海綿の或る部類は種屬識別の標準の立て方次第で、一屬三種とも十一屬百三十五種とも見ることが出來るといふが、これらの動物ではたゞ變異があるばかりで、種屬の區別はないといつて宜しい。その他蝸牛などがまた變異の盛な動物で、何處の國に行つても、多くの變種のないことはない。フランスの或る學者の調によると、「森蝸牛」といふ一種には、百九十八の變種があり、「園蝸牛」といふ一種には九十の變種がある。我が國などでも、蝸牛の標本を數多く集めて見ると、一種每になかなか變異が多くて、往々自分の手に持つて居る標本が執れの種に屬するか、判斷に困ることがある。といつて宜しい。

[やぶちゃん注:「森蝸牛」「園蝸牛」孰れもこんな和名は聴いたことがない。フランス語で検索もしてみたが、当該種と思われるものを発見出来ない。個人的には、変種数の多さから見て、これは「森林性カタツムリ」(地上性と樹上性の二種がいるが、多くは湿度が一定以下に低下すると生きて行けない種群が多いとは思われる)と「都会性カタツムリ」(我々が日常的に観察出来る、人家の近くや庭、かなり人工の手の入った公園をフィールドする種群。但し、環境がかなり自然状態に近い自然公園の場合には森林性カタツムリが有意に観察されている)といった生息域による、現在ではやや非科学的な旧分類に基づく、別種を変種扱いにしているようにも思われる。識者の御教授を乞う。私は実は陸産貝類はテリトリでない。]

 

 蛤、「あさり」等の貝殼の斑紋にも、隨分變異が多い。或は全部白色のものもあり、或は全部色の濃いものもあり、または波形の模樣あるもの鋸の齒の如き斑あるものなど、一つ椀の中にあるだけでも全く同一のものは決してない。之は單に貝殼の外面の模樣に過ぎぬから、殆ど何の意味もないことと思ふ人もあるかも知れぬが、かやうに色の違ふのは、やはり之を生ずる内の方に一定の相違があるに基づくことであらう。

[やぶちゃん注:「内」ハマグリやアサリの生体として軟体部本体。その色や形状の違いを産み出すところの、分泌物や分泌システム、或いは殻を構成する際のシステムの手順の微妙な相異は、単に環境に対する適応・不適応の個体単位の反応のみでなく(それも無論、多い)、その種の中のある群の中に特徴的に遺伝的に組み込まれており、それが代々保存されている可能性を丘先生は示唆しているのであろう。]

 

 以上掲げたのは最も手近な例を二三選み出したに過ぎぬが、今日の生物測定學の結果を見ると、如何なる生物でも變異を現さぬものは一種もない。然も執れも隨分著しい變異を示して居る。

 

     四 内臟の變異

 

 動物各種の變異は身長・斑紋等の如き單に外部に顯れた點に於てのみではない。内部の細かい構造にもなかなか著しい變異がある。併し動物か一疋每に解剖することは、たゞ身長を測つたりするのとは違ひ、大に手數のかゝるもの故、多數の標本を解剖して比較した例は甚だ少い。たゞ解剖學者が解剖する際に、偶然發見した變異を記錄して置いたものだけであるが、それだけでも變異の甚しい例が既に澤山にある。

 脊骨の數、肋骨の數なども往々一種の動物内で變異があり、一二本多過ぎたり、足らなかつたりすることは、決して珍しくはない。通常、解剖の書物には煩を避けるために、何事もたゞ模範的のものだけが掲げてあるから、初學の者は總べてこの如きものばかりであると思ひ込み、實際解剖して見て書物と違ふので大に驚くことがあり、また氣の早い者は一廉(かど)の新事實を發見した積りで、非常に騷ぐこともある。どの器官にも多少の變異はあるが、血管・神經の配布などには特に變異が甚しい。

[やぶちゃん注:私の昔の同僚の生物の先生は肋骨の最下部の第十二肋骨が左右とも生まれつきないとおっしゃっていた。作家の竹中労氏の父君で画家として知られた竹中英太郎氏は内臓逆位(Situs inversus:内臓の配置が鏡に映したようにすべて左右反対であることを指す。百万に一人と言われる)であった。]

 

 次の表は獨逸國の水産局の係の人が、一つ處で取れた鯡(にしん)を三百疋ばかり解剖して調べた脊骨の數の變異を現すものである。縱の線は脊骨の數を示し、橫の線は百分比例で疋數の割合を示すやうに出來て居るが、總數の殆ど四割五分は五十五個の脊骨を有し、略々四割は五十六個の脊骨を有するに反し、五十七個の脊骨を有するは僅に一割、五十四個を有するは僅に五分に過ぎない。五十八個或は五十三個を有するものは總體の中に僅に五六疋よりない。かやうに疋數の多少には著しい相違はあるが、鯡の脊骨の數は少きは五十三個、多きは五十八個で、都合六個の變異がある。

[やぶちゃん注:「鯡」条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii。]

 

Misinsekituikotu

 

[鯡の脊椎の數の變異]

[やぶちゃん注: 国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。縦軸が「百疋に付」、横軸が「脊椎の數」。]

 

Kareisiribire

 

[鰈の臀鰭の線の數の異變]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。縦軸が「百疋に付」、横軸が「臀鰭の線の數」。]

 

 尚一つ掲げたのは、蝶(かれい)の臀鰭の骨の數の變異を示す表であるが、蝶は人の知る通り海底に橫臥して居る魚で、左右兩側は全く色が違ふて恰も他の魚類の背と腹との如くに見え、眞の背と腹とは却て他の魚類の左右兩側の如くに見える。而して斯く背と腹との同じく見えるは、普通の魚類では腹の後部にあるべき臀鰭といふ鰭が、非常に大きくて殆ど背鰭と同じ位になつて居る結果であるが、この臀鰭の骨の數を算へると、種々の變異を發見する。こゝに出した表はイギリス國のプリマスで取れた一種の蝶に就いてその變異を表したものであるが、四十二本・四十三本を有するものが最多數で、稀には三十八本に過ぎぬのもあれば、また四十八本もあるのも何疋かある。而して面白いことには同一種の蝶でも、産地によつてこの數が違ひ、ドイツ國北海岸の西部では、四十一本・四十二本のものが最多數で、東部へ行くと三十九本のものが最も多い。之を表に造れば産地が東へ寄る程、曲線の山の頂上に當る所が表の左方へ進んで行く譯である。

[やぶちゃん注:「蝶」条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科 Pleuronectidae に属するカレイ類であるが、私はこれは、ある程度、臀鰭(カレイ類の臀鰭とは頭部の傍にある小さな腹鰭から尾鰭の根元まで続く(多くの種では右に頭とした場合の手前の鰭。背鰭は有意に頭部近い位置から始まって尾鰭の根元まで)の骨を数え易い大型種で、しかも食用だけでなく、大型で単純な釣りとしても人気があり(とすれば、検体個体としても入手し易い)、更にプリマスの位置する北大西洋からドーヴァー海峡を経て北海ドイツ沿岸に多く分布するという点では、この「鰈の一種」とはオヒョウ属タイセイヨウオヒョウ Hippoglossus hippoglossus ではなかったかと推理している。]

 

 斯くの如く縱橫に線を引き、之によつて生物の變異の有樣を現すことは、今日生物測定學で最も普通に用ゐる方法である故、特にその例を示したのであるが、この法によれば生物の變異は何時も一つの弧線によつて現され、その弧線の形狀により變異の多少は素より、一種每の變異の爲樣(しやう)の特異の點までを一見して直に知ることが出來る。

« 祖父遺品の絵葉書から――「ホロンバイル 蒙古風俗」 | トップページ | 進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第五章 野生の動植物の變異(5) 五 習性の變異 »