谷の響 一の卷 十四 筟子杼を脱れ鷹葉を貫く
十四 筟子(くだ)杼(をさ)を脱れ鷹葉を貫く
また世に筟の杼脱(をさぬけ)といへることありて、いといと奇怪(くす)びなることありき。そは、皆世の人の知れるごとく、機(はた)を織るには筟子に緯(よこ)糸を卷いて杼の懷穴(ふところ)に内(い)れ、その絲端(はし)を曳て傍(そば)なる小さき穴に通し是を縱(たて)糸に接(まじ)へて織なすなり。然(さ)るに此の筟の、杼の懷穴と小穴とを脱出て斷切(きれる)ことなく機中(はた)に連接(つづ)けり。こを機神の遊行(あそび)玉へる日なりとて神酒を供えて休息(やすむ)となり。かゝることは機織る人にまゝありて世多く知れり。
又、鷹の葉貫(ぬき)といへるもこれと等しき一奇事なり。こも世の人の知れる如く、鷹を役(つか)ふに其脚に早緒(を)と言ふを附て放ちやれば、その鷹鳥を追ひて樹の間(あはひ)を飛翔るに、いかなる拍子にやあらん、一片(ひら)の葉を貫くことありて、其葉また緒の中間(なか)に係りてその緒の頭(さき)は鷹の脚に着き、後の端は役ふ人の掌中にあり。これも鷹役ふ人にはまゝあることゝて、古川某語りしなり。是等は實に奇(くす)びの中の奇びと言ふべし。
[やぶちゃん注:本条は前の「十三 自串」の不思議、所謂、空間的に両端が閉鎖されている――ようにしか見えない(この「見かけ」こそが本現象を解明し得る一つのミソであろうとは思う)――その間に、ある物体が中央付近を貫かれて存在し、しかもその貫かれている対象物体にはその中央の貫かれた部分へ向かうような切れ目や断裂が一切ないという超常現象の続篇と考えてよい。
さて、標題の「筟子(くだ)杼(をさ)を脱れ鷹葉を貫く」の、
●「筟子(くだ)」本文の「筟」(くだ)と同じで、これは「玉管」「管」とも書き(後の知人の引用を参照されたい)、機織(はたお)りに於いて横糸を巻いて杼(ひ:後述)に入れる道具のことを指す。これは近現代の整理用の糸巻である「ボビン」と同様のものとし考えてよいようである(ウィキの「ボビン (裁縫)」によれば、「ボビン」はラテン語の「Balbum」を語源とし、原義は「ごとごと音を立てて回るもの」だとされており、それが西欧各地に伝播して最終的にフランス語の「糸巻き」を表す「Bobine」に変化して現在に至っていると言われている、とある)。
●「杼(をさ)」は、前の説明の「ひ」と同義で、「梭」とも書き、現代仮名遣では「おさ」とも呼ぶようではある(但し、別にやはり機織りに於いて、竹又は金属の薄片を櫛の歯のように並べて枠をつけた、縦糸を整えて横糸を打ち込むのに使う道具を「筬(おさ)」と読んでおり、少なくとも現代ではこの「杼」を「おさ」とはあまり呼ばないらしい。後の知人の引用を参照されたい)。これは機織りで横糸を巻いた前の説明の「筟子(くだ)」=「筟」=「管(くだ)」を入れて、縦糸の中をくぐらせる小さな舟形の道具で、所謂、細長い紡錘形をした「シャトル」(shuttle)のことである。
●「鷹葉を貫く」「たか、はをつらぬく」。鷹(たか)(が鷹匠との間の閉区間であるはずの糸に木の葉を)貫き通す、の意。
私自身、機織りをしたことがないので、上手く説明出来ないのであるが、しかし、どうも私はこの最初の段落で西尾が不思議だと言っている、その「不思議」な部分が、これ、よく判らないのである。
そこで私のミクシィの古い知人で、日本文化でいろいろと判らないことがあると、いつも一方的にお世話になっている大先輩の女性が、機織りをなさっておられるので、この部分を検証して戴いた。すると、やはり、『これは少しも不思議なことが書かれてはいない』という回答を得た。以下、御本人の許諾も得ているので、私に「姐さん」(と私は敬意を込めて彼女をかく呼称させて戴いている)の解説を引用して第一段落の注に代えさせて頂くこととする。
《引用開始》
これを書いた人は、
よほどまっさらな子供のような純真な心を持った人のようです(*^▽^*)。世間ではごく当たり前のことなのに、不思議なことがあるものだとしています(*^▽^*)。
・「筟」は古くから「玉管」とか「管」と言っているようです。
[やぶちゃん注:ここで「稲垣機料株式会社」公式サイト内の「織機用具」の「杼・管」のページが紹介されてあるので、そこをリンクしておく。]
・「杼」は(ひ)または(おさ)ですが、「おさ」は別に「筬(おさ)」という部品があるので「おさ」とはあまり言わないようです。形は、だいたい、こんなものです。
[やぶちゃん注:以下、姐さんの写真。]
・懐穴:この真ん中の大きく刳ってあるところです。
・傍なる小さき穴:杼の横に空けてある、ちいさな穴のことです。古い杼では、この穴はもっと小さいようです。
で、玉管に糸を巻いて、杼の懐穴にセットし、糸が懐穴と小穴とを脱出したところが以下です。
本文にある「斷切(きれる)ことなく機中(はた)に連接(つづ)けり」ですね。「機中」は、これ(*^▽^*)
糸は勿論、機中を右左と移動し、切れることはありませんね(*^▽^*)
う〜〜む?? こんなことが不思議なのかな??
《引用終了》
愚鈍な私のために写真まで撮って説明して下さった「姐さん」に心から感謝申し上げます!
さて、ということは、やっぱり、西尾は当たり前のことを「超常現象だ!」と言っていたことになるのである。では、最後にある、
「こを機神の遊行(あそび)玉へる日なりとて神酒を供えて休息(やすむ)となり。かゝることは機織る人にまゝありて世多く知れり」
とは何か? これは訳そうなら、
――こうした超常現象が起こった時には、機織りをしている人々が「機神(はたがみ:機織りの神様。後注参照)が遊行(ゆぎょう)なさってここへ来られた日じゃ!」(この場合は、どこかへ遊びに行ったのではなくて、この機のある場所・部落に来臨されたという意味でとりたい。だからこそ「超常現象」が起こるのである)と呼び慣わし、お神酒(みき)を供えて皆々、機織りを止めて休息の祭日とするという。こうした不思議なることは機を織る人々の間では、ままあることとして、その職に従事する人々の世界では広く知られていることである。――
であろう。すると、何か見えて来る気がするのである。機織りは、ものによっては非常に長い時間がかかり、注文によっては休みむことも出来ず、夜も続けねばならぬ根気のいる重労働であった。さればこそ、その主な担い手であった女性たちが、束の間の一日の休息を設ける口実として、
「機神の遊行(あそ)び玉へる日」
と称し、
この「当たり前のこと」を「超常現象」を言い立てた
のではあるまいか?
男どもというものは、まさに私のように、やったこともない機織りのシステムには全く以って疎い。
「一本の糸が! 全く断ち切れることなく! 織物の中に! あら! 不思議! 繋がっているわ!」
と驚く(驚くことを演じている)女たちの言葉に、うまうまと凡愚な男どもはだまされたのではあるまいか? 見かけぬ漢語をお洒落に使う平尾魯僊もその例外ではなかったのではあるまいか? 私はやっぱり、女性は男性より、一枚上手だ! と感心すること頻り……ということで、この冒頭概説注を終えたいと思うのである。
「奇怪(くす)びなる」二字へのルビ。「くすび」は「神靈」を当て、「霊妙なこと・不思議なさま」の意の「くしび」(名詞・形容動詞:動詞「くしぶ」の連用形の変化したもの)と同義である。
「懷穴(ふところ)」二字へのルビ。先の知人の引用を参照。
「絲端(はし)」二字へのルビ。
「曳て」「ひきて」。
「脱出て」「ぬけいでて」。
「斷切(きれる)こと」二字へのルビ。
「機中(はた)」二字へのルビ。
「連接(つづ)けり」二字へのルビ。
「機神」底本の森山泰太郎氏の本話の補註に『むかしの自給自足の暮しでは、機を織ることが女の職分であったので、女が機織りの上達を祈願して祭った神。手作りの素朴な神体を家の神棚に祭り、織り上がるとその布の端を神体に着せて拝んだりした』とある。
「神酒」これで「おみき」と訓じたい。
「早緒(を)」「を」は「緒」のみのルビ。「早緒」は、一般に舟の櫓(ろ)を漕ぐ際、櫓を流さぬようにするために一方を船体に固定し、他方を櫓に掛けて用いる櫓綱(ろづな)。或いは、橇(そり)や車の引き綱の意であるが、これらは孰れも結びつける対象物を、元から外れたり、脱したりしないように操る、自由性を保ちながらも保持する繩であり、ここでの謂いも腑に落ちる。現代の鷹匠の用語として生きているかどうかは確認出来なかった。
「附て」「つけて」。
「飛翔るに」「とびかくるに」。]