谷の響 二の卷 三 蛇章魚に化す
三 蛇章魚に化す
文政二三年の頃にて有けん、鯵ケ澤の漁夫(れふし)ども一個(ひとつ)の章魚を捕へしに、その章魚の脚一條(すじ)は俗(よ)に白ナブサと言ふ蛇にして、しかも鱗文(うろこ)も全く倶はり、章魚の頭に附着(つけ)るところは蛇の頸の方にて、眼口は无(な)けれども餘(ほか)七條(ほん)の常の脚と長さもひとしく、三時ばかりの間(ほど)はこの蛇のあしのみ死もやらで動めきてありしとなりと。こは魚の荷を賣る岡田屋傳五郎と言へるものゝ語なりき。
又、蛸の足の末五六寸或は四五寸ばかり疣のなきものまゝあり。こはもと蛇の化(な)りたるものなれば其脚は切棄べし。萬一喰(くら)ふ時は人を傷ふものなりと、鯵ケ澤の漁夫藤吉と言ふもの語りしとなり。物の變化する、夫れ測るべからず。
[やぶちゃん注:民間伝承では蛇が蛸になる化生(けしょう)説は根強くあり、例えば先に電子化した「佐渡怪談藻鹽草 蛇蛸に變ぜし事」でも述べられている。但し、今回、本条の第一段落の事例を読みながら、「これは、もしや? あれでは?」と思ったものが、第二段落の記載で確信となった。これは所謂、 軟体動物門頭足綱鞘形亜綱八腕形上目八腕(タコ)目 Octopoda のタコ類の♂に見られる、私が博物学的に大好きな、
交接腕=ヘクトコチルス(Hectocotylus)
を誤認したものであるという確信である(私はこれについて何度も書いている。取り敢えず、例えば「生物學講話 丘淺次郎 第十一章 雌雄の別 三 局部の別 (5) ヘクトコチルス」を見て戴きたい。
♂のタコは交接腕という特化した触手を持ち、交尾の際にはその先端の吸盤のない溝の部分に精子の入った精莢(せいきょう)を挟み込んで、その腕をメスの生殖孔に突き刺すのである(この際、メスはかなり暴れるので相当な痛みがあるものと思われる)。その後、八腕(タコ)目マダコ亜目アミダコ科アミダコ Ocythoe tuberculate
や八腕(タコ)目アオイガイ科アオイガイ属アオイガイ(葵貝/カイダコ) Argonauta
argo 及び同じアオイガイ属タコブネ Argonauta hians(別名・フネダコ)などの種では交尾を完全なものとするために、♂はその先端部を自切する。一八五九年、この交接腕の先端断片をアミダコの解剖中に発見したフランスの博物学者キュビエは、これをタコに寄生する寄生虫の一部と考え、ご丁寧に、
Hectocotylus
Octopodis(ヘクトコチルス・オクトポイデス:百疣虫(ひゃくいぼむし))
と学名まで附けてしまった。なお、現在でも生物学では誤認ながらキュビエの交接腕断片の原発見の功績に敬意を表してタコの交接腕のことを「ヘクトコチルス」と呼称している。因みに、私の好きな萩原朔太郎の「死なない蛸」で知られるように、しばしば世間ではタコは自身の足を喰らうと信じられているが、もしかすると漁師たちは経験上、タコの腕の先端の一部が切れている個体があることを知っており(それはこのヘクトコチルスのそれよりもウツボなどの天敵襲われた際の自切現象によるものの方が目立つが)、そこから誤認して彼らが自然界で容易に自分で自分の足を食うと錯覚したのではないか私は考えている(水族館で見られるというタコの自身の足の自食行動(本当にそういう現象が多発しているとは私は実は信じておらず、これも朔太郎の詩辺りからの都市伝説の部類の話と考えている)は現在の知見では狭い水槽で飼育するために生じるストレスから生じた自傷行為と考えられている(軟体動物でもイカ・タコの類はナイーヴで、水族館でも飼育しづらい生物である)。
この第一段落のそれも、第二段落のそれも、いずれも尖端部分に疣のない足が一本だけあるという異常性を蛇との変生にこじつけたに過ぎないものと私は考えているのである。
「文政二三年」一八一九、一八二〇年。
「白ナブサ」「八 蛇塚」で既出既注。私はそこで爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora の白化個体(アルビノ(albino))に同定した。
「三時ばかりの間(ほど)はこの蛇のあしのみ死もやらで動めきてありしとなり」「三時」は「みとき」で六時間。これはヘクトコチルスだけがぴちぴち跳ねるとするには、ちょっと長過ぎる感じがする。他の部位が完全に運動性能を失っているのに、そこだけというのは、ちょっと説明がつかない。されば、或いはこれは(時間の記録が事実ならば)、何等かの線虫様(よう)の蛸の寄生虫が死んだタコから出て来て、のたくっていたのを誤認したと言う別の可能性を考えてもよいかも知れぬ。
「魚の荷を賣る」魚問屋であろう。
「五六寸或は四五寸ばかり」十二から十五、大きくて、十八センチほど。
「疣」「いぼ」。
「切棄べし」「きりすつべし」。
「萬一喰(くら)ふ時は人を傷ふものなり」私の知っている複数の寿司職人らも、必ずカットして捨てると言っている。]