諸國百物語卷之三 十六 下總の國にて繼子をにくみてわが身にむくふ事
十六 下總(しもふさ)の國にて繼子(まゝこ)をにくみてわが身にむくふ事
下總のくにゝ、松本源八(まつもとげんはち)と云ふ人あり。十二、三になるむすめ有りけるが、母むなしくなりて、源八、また、のちの妻をよびむかへける。繼母、此むすめをにくみて、あるとき、あたりちかき沼へつれゆきて、
「此むすめを沼の主(ぬし)にしんじまいらせ、むこにとり奉らん」
といひてかへり、そのゝち、五、六度も、かくのごとくしけり。あるとき、又、沼のほとりへゆきければ、にわかにそらかきくもり、すさまじく風ふき、大雨しきりにふりければ、おそろしくて、親子ともにたちかゑり、むすめ、父にはじめをはりを物がたりしければ、父源八も、まゝ母の心ざしをにくみ、切りころさんとも、おもひゐける所へ、そのたけ四五町がほどもつゞきつらんとおぼしき大じやきたり、くびをあげ、くれなひのしたをうごかし、此むすめにむかふ。源八これを見て、
「いかに大蛇、此むすめは、わが實子也。たとい、繼母がゆるすとも、それがしがゆるしなくては、此むすめは、かなふまじ。そのかわりに繼母を、なんぢにまかするぞ」
といひければ、そのとき、大じや、繼母のはうにむかつて、したをうごかす。そのまに、源八はむすめをつれて、にげさりぬ。大じやは繼母を七ゑやへにまとい、大あめ、いなびかりして、沼のうちにつれかへりぬ。まゝ子をにくみて、かへつて、その身にむくいしと也。
[やぶちゃん注:「此むすめを沼の主(ぬし)にしんじまいらせ、むこにとり奉らん」「此(こ)の娘を沼の主(ぬし)に進(しん)じ參らせ、聟(むこ)に取り奉らん」。「進じ參らせ、聟に取り奉らん」は「生贄として献上し申し上げ、沼の主(ぬし)さまを婿(むこ)として迎え申し上げ、この娘めを嫁として――煮るなり焼くなり八つ裂きにするなりご自由に捌くものとして――差し上げまする」の謂いである。
「むすめ、父にはじめをはりを物がたりしければ」この時、娘は初めて実父に継母がつねづねより何度も何度も「此の娘を沼の主に進じ參らせ、聟に取り奉らん」ことを誓約したことを告白したのである。
「そのたけ四五町がほどもつゞきつらんとおぼしき大じや」その全長が、これ、四百三十七メートルから五百四十五メートルにもなんなんとするかと思われるずるずると長々しい大蛇。
「七ゑやへ」「七重八重(ななへやへ)」。歴史的仮名遣は誤り。同じ「重」と判っていて何故、前を「ゑ」とするのか、よく判らないが、蜷局(とぐろ)を巻いた様子は、「へ」より「ゑ」を(字面も「うぇ」って響きも)感性的には使いたくなる気はしないでも、ない。
「まとい」「纏ひ」。歴史的仮名遣は誤り。
「むくいし」「報ひし」歴史的仮名遣は誤り。]

