谷の響 一の卷 八 蛇塚
八 蛇塚
岩木山の腰なる枯木平村の先に淸水淵といふ淵ありて、この淵より十四五町去りて蛇塚といふあり。文政三年の頃御藏町の伊勢屋善藏といへる者、鯵ケ澤の北なる音平の砂壇(はま)より鐡砂を取り、この淸水淵の傍(ほとり)にて鎔造(ふき)たりしが、一日(あるひ)吹士(ふきこ)の者一人この蛇塚といふ土(ところ)に至りて見るに、一株(ほん)の大木ありてその根の側(わき)に徑(わたり)五六寸も有るべき穴あり。その穴より白ナブサ【方言也。漢名白蛇也。】といふ蛇の二隻(ひき)首をさし出して有しかば、蛇塚とは此の穴ならめと思ひ、立倚(より)て柴をもつてその穴を搔き𢌞せしに大小の蛇ども多く出たりしが、此吹士不惕(ふてき)者にて快(きみよ)き慰(なくさみ)とて又その穴を突き廣げしに、蛇いよいよ出來てその數いとすさまじくかの大木の幹に上り枝に這ひ、またたくうちに地上十間四面ばかりに充滿して、其數幾千萬といふを知らず。
爾してこの蛇、吹士が脛(はぎ)に這ひ上らんとするに愕き(おとろ)き恐れて倉卒(いそぎ)逃歸り、善藏等に斯くと語りければさこそ好き觀(みもの)ならめと假舍(こや)に有あふもの共悉(みな)往(ゆき)て見るに、吹士が言ひしに違はで極太(いたく)多かる蛇どもの或は頭を擡(もた)げて紆々蟠結(なはになり)、或は背を興(は)りて岨蟉透迤(のたれまはり)何さま十四五間の方(あひだ)、隙地(すきま)もなく蠢々緣蔓(うごめきわたれ)る有狀(ありさま)は目冷(さま)しかりし事なりき。されど人を逐ふ事もなく嚙こともなく又異(こと)に大きなるもあらで、僉(みな)三尺足らずのもの而已なり。
かくて翌る日復(また)此處に至りて見るに、かゝる多かる蛇の何地(いつち)に行けん、又舊(もと)の穴に籠れるにや唯一隻(ひき)もなかりしなりと、この善藏の語りしなり。
[やぶちゃん注:「岩木山」「いわきさん」。現在の青森県弘前市及び西津軽郡鰺ヶ沢町に跨る火山で、標高は千六百二十五メートル。青森県の最高峰。古くから信仰の山として知られ、伝説も多い。ウィキの「岩木山」によれば、『岩木山は、古くから山岳信仰の対象とされていて、山頂には岩木山神社奥宮がある。岩木山神社には、五大柱の神である岩木山大神が祀られている』。『丹後国の郎党大江時廉の陰謀によって滅ぼされた岩城正氏の子、安寿と厨子王丸の伝説が残されており、安寿が岩木山に祀られているため、岩木山の神は丹後国の人を忌み嫌うという言い伝えがあった』。『丹後国の人が当地に入ると風雨がうち続く悪天候となり、船の出入りができないとして厳しい吟味が行なわれ、入り込んだ丹後国の人は追い出された』。幕末の安政五(一八五八)年五月二十四日の布令にさえ、「頃日天氣不正に付、御領分へ丹後者入込候哉も難計(はかりがたき)に付、右體(みぎてい)之者見當候者(みあてさふらはば)、早速送返候様(やう)、尚亦、諸勸進等も吟味仕候樣(つかまつりさふらうやう)被仰付候間(おほせつけられさふらふにつき)、御家中竝(ならびに)在町寺社共(とも)不洩候樣(もらさずさふらふやう)、此段(このだん)被申觸候(まうしふれられそあふらふ)以上。御目付」と書かれてある、という(引用元の漢字を恣意的に正字化し、訓読も私が行った)。サイト「龍学」の「竜神の刀」には、まさにこの話柄に強い親和性(竜蛇・鍛冶)を持った、しかもロケーションも近い青森県西津軽郡鰺ヶ沢町湯舟町の「鬼神太夫(きじんだゆう)の刀」の伝承が書かれている。必読!
「腰」麓の謂いであろう。
「枯木平村」底本の森山泰太郎氏の補註には『岩木山の西麓で』、今、『中津軽郡岩木町常盤野字枯木平(かれきたい)。元和年間』(げんな:一六一五年~一六二四年)、『津軽藩の牧場として開かれたところ』とある。この附近(グーグル・マップ・データ)。
「淸水淵」不詳。
「十四五町」千六百メートル前後。
「蛇塚」不詳。
「文政三年」一八二〇年。
「御藏町」現在の青森県弘前市浜の町のことと思われる。ここ(goo地図)。「弘前市」公式サイト内の「古都の町名一覧」の「浜の町(はまのまち)」に、『参勤交代のとき、もとはここを経て鯵ヶ沢に至る西浜街道を通って、秋田領に向かっていました。町名は、西浜に通じる街道筋にちなんだと思われますが』、宝暦六(一七五六)年には『藩の蔵屋敷が建てられ、「御蔵町」とも呼ばれました』とある。
「伊勢屋善藏」不詳乍ら、本「谷の響」にはこの後も出る、筆者平尾魯僊の情報屋の一人である。
「鯵ケ澤」現在の西津軽郡鰺ヶ沢町(あじがさわまち)。日本海に面し、旧津軽藩の要港で、北前船も寄港し、米の積出し港として繁栄した。
「音平」不詳。識者の御教授を乞う。
「砂壇(はま)」二字へのルビ。浜。
「鐡砂」砂鉄。
「鎔造(ふき)たりしが」鍛冶(たんや)を生業(なりわい)としていたが、の意。
「吹士(ふきこ)」鍛冶作業に於いて、専ら、火を起こしては一定の高温で安定させるために鞴(ふいご)を吹くことを担当した職人のことであろう。
「徑(わたり)五六寸も有るべき穴あり」直径十六センチから十八センチほどもある有意に大きな自然に出来たとは思われない穴があった。
「白ナブサ【方言也。漢名白蛇也。】」小学館「日本国語大辞典」に「なぶさ」の項があり、方言とし、『蛇、あおだいしょう(青大将)』とあって、青森県南部地方・岩手県九戸郡・静岡県磐田郡・愛知県北設楽郡などの採集地を挙げる。橘正一氏の「方言讀本」(昭和一二(一九三七)年厚生閣刊)によれば、青森・信濃・遠江・三河の他、仙台の他、丹波の「ナブソ」、阿波名東郡の「ナブサン」、石見八上村の「ナグサ」、播磨佐用郡の「オーナメソ」「オナグソ」、さらにはまさに本「シロナブサ」に酷似する香川県小豆島の「シロナグサ」「シロナミサ」、そうして遂には秋田県鹿角郡の「シロナブサ」を挙げている(グーグル・ブックスのこちらの箇所を視認した。なお同書は同サイトのこちらで無料で全文が読める)。即ち、これは爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora の白化個体(アルビノ(albino))である。ウィキの「アオダイショウ」によれば、『本種の白化型は「神の遣い」として、信仰の対象とされることもあ』り、特に『山口県岩国市周辺に白化型が多く、これは信仰の対象として駆除されずに残され、アルビノの形質が固定されたからであると考えられている』とある。通常体色は『主に暗黄褐色から』、『くすんだ緑色であるが、個体差が大き』く、『北海道には青みの強い個体が多い』とある。『脱皮前の個体は色みが濃く』、逆に、『脱皮直後の個体は青みが強い』。また、背面に四本の『不明瞭な黒褐色の縦縞が入る個体が多いが、縦縞がない個体もある』。『脱皮前の個体では縦縞が明瞭になる』とある。
「不惕(ふてき)者」前項に既出既注であるが再掲すると、「惕」には「恐れる」の意味があるから、「(大胆)不敵(なる)者」(恐れを知らぬ者)の謂いである。
「快(きみよ)き慰(なくさみ)」面白い楽しみもの。「面白れえじゃねえか!」と。
「十間四面」凡そ十八メートル強四方。
「倉卒(いそぎ)」「倉」には「俄か・慌てる」の意がある。
「好き觀(みもの)」「好(よ)き見物」。
「假舍(こや)」二字へのルビ。
「有あふもの共悉(みな)」居合わせた者ども、皆。
「違はで」「たがはで」。
「極太(いたく)」二字へのルビ。
「紆々蟠結(なはになり)」四字へのルビ。くんずほぐれつなって繩の如くになって。これは蛇の雄雌の一般的な交尾行動である。非常に長時間であることが知られている。
「背を興(は)りて」背の部分を聳らかせて。興奮している状況からも交尾行動であることが知れる。
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