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2016/10/25

諸國百物語卷之四 五 牡丹堂女のしうしんの事

     五 牡丹堂(ぼたんどう)女のしうしんの事

 

 もろこしに牡丹堂と云ふ所あり。人、しすれば、はこにいれ、そのはこのまわりに牡丹の花をかき、かの堂にもち行きて、かさねをくと也。ある人、つまにおくれ、かなしびのあまりに、よなよな、かの牡丹堂へゆき、夜ねぶつを申す事、日、すでにひさし。ある夜、わかき女、くびにかねをかけ、ねぶつを申し、牡丹堂へきたりければ、かの男ふしぎにおもひ、

「女の身として、なにとて此ところにきたり給ふぞ」

とゝふ。かの女、云ふやう、

「わが身、つまにはなれ候ふゆへ、かくのごとく」

とかたる。さぞあらんとて、なみだをながし、それより、つれだち、あなたこなたの墓所をねんぶつ申しあるく事、毎夜なりしが、いつのほどか、たがいにあさからぬちぎりをなし、のちには男のやどへもきたり、夜とゝもにさかもりなどしてあそびけるを、となりの人、ふと、のぞきみければ、女のしやれかうべとさしむかい、さかもりしてゐたり。となりの人、ふしんにおもひ、夜あけて、かの男にかくとかたりけれ。男もをどろき、その日のくるゝをまちければ、かの女、またきたるをみれば、まことにしやれかうベ也。それより物すごくなり、三年。ひきこもり、物いみしてゐけるが、三年すぎて、きばらしにとて、小鳥をおとしにいでけるが、すゞめを一ひきおふてゆくほどに、このすゞめ、牡丹堂のうちへ、にげいりぬ。かの男、この堂のうちまでおひゆくとみへしが、ほどなく、みへず。下人ども、ふしぎにおもひ、はこどものかさねてあるを見れば、血のつきたるはこあり。このはこのうちをみければ、女のしやれかうべ、かのをとこのくびをくわへてゐたりけると也。かの女のしうしん、三ねんすぎたれども、つゐに、男をとりけると也。

 

[やぶちゃん注:本話は、かの知られた明代に瞿佑(くゆう)によって著された怪異小説集「剪灯新話(せんとうしんわ)」の「卷二」に所収する「牡丹燈記」に基づく翻案怪談で、本「諸國百物語」の中で唯一の中国を舞台とした話である。

 原話は典型的な中国の民俗伝承として今も一部では強く信じられている冥婚譚で、元末(プロローグは至正二〇(一三六〇)年正月十五日元宵節(げんしょうせつ:現行でも「灯節」と呼ぶ。これは本行事の道教に由来する部分で燈籠を飾って吉祥を呼び込んで邪気を払う意味がある)の夜)の明州鎭明嶺下(現在の浙江省寧波市内)の「湖心寺」(本話の牡丹堂の原型)近くを舞台とし、主人公は書生「喬某」、「符麗卿(ふれいけい)」と「金蓮」(実は遺体に添えられた紙人形の女中)が亡霊と侍女の名である。前半は概ね、本話のような展開であるが、後半部があり、そこでは冥婚した二人と金蓮の霊の出現による騒ぎが発生、それを四明山の「鐡冠道人」が調伏し彼らを九幽の獄(所謂、仏教の地獄と同じい)へと送るという展開となっている。

 恐らく同原話の最初の本格的翻訳は「奇異雜談集」(貞享四(一六八七)年)であるが、それ以前に、舞台を本邦に移しながら、かなり忠実な翻案がなされてある浅井了意の「伽婢子(おとぎぼうこ)」の「卷三」の「牡丹燈籠」(寛文六(一六六六)年刊で本書(延宝五(一六七七)年刊)の十年前)があり、「西鶴諸國ばなし」(貞享二(一六八五)年)の「卷三」に載る「紫女」などを始めとして、多くの近世怪談に作り変えられ(その最も自由な換骨奪胎の名品は、私は、私も愛する上田秋成の「雨月物語」(安永五(一七七六)年刊)の「吉備津(きびつ)の釜」であると信ずる)、近代では三遊亭圓朝の落語の怪談噺「牡丹灯籠」にとどめを刺す。言わば「牡丹燈記」はそうした怪談の「流し燈籠」のようなうねりを持って連綿と続いている流れの、その濫觴であり、私も高校時代の漢文の授業で出逢って以来(厳密には担当の蟹谷徹先生のオリジナル翻案のお話として聴き、サイコーに面白かった記憶が最初である)、今に至るまで激しく偏愛してきている作品である。さしれば、以下の注では変則的に批判染みた文々(もんもん)のあることを最初にお断りしておく。悪しからず。

 

「牡丹堂(ぼたんどう)」読みはママ。「どう」は「だう」が正しい。これは「牡丹燈記」の「燈」(とう)の発音を単に誤ったもののようにも感じられる。太刀川清「牡丹灯記の系譜」(平成一〇(一九九八)年勉誠社刊)でも聞き誤りとされておられる。

「人、しすれば、はこにいれ」「人、死すれば、箱に入れ」。

「牡丹の花をかき」「牡丹の花(の意匠)を畫き」。

「かさねをくと也」「重ね置(お)くなり」。歴史的仮名遣は誤り。筆者はこの誤認した「牡丹堂」を、棺を仕舞い置く納骨所のような御霊屋(みたまや)と認識しているようである。

「つまにおくれ」「妻に遲れ」。妻に(先立たれて、自分はそれに、死に)遅れて。

「夜ねぶつ」「夜念佛」。これは後の様子から見ても、単に堂に籠って念仏をするのではなく(それならば「源氏物語」の「夕顔」の死の夜の無言念仏のように、普通に古く平安時代からある)、夜間に墓所などを巡りながら念仏を唱える、奇怪な勤行(こんなことを夜間にするのは本邦では呪いのようなもの以外ではあり得ない)のように思われる。

「かね」「鉦」。銅などで作った平たい円盆形の打楽器。ここでのそれは直径十二センチほどの小型の首から掛けるもので、小さな木槌か桴(ばち)状の撞木(しゅもく)で打つ伏せ鉦(がね)。

「つま」「夫(つま)」。

「はなれ」「離れ」。死別し。

「さぞあらん」さぞや、つらいことであろう、と。鰥夫(やもめ)となった我が身の悲しみと重層させての慰みの言葉である。

「あさからぬちぎりをなし」「淺からぬ契りを成し」。もう早速に関係を持ってしまうのである。

「夜とゝもにさかもりなどしてあそびけるを」「夜とともに(夜ともなれば)酒盛りなど(さえ)して(二人しっぽりと楽しく)遊びけるを」。最早、ともに亡き人の供養の思いは失せているのである。

「女のしやれかうべとさしむかい」「女の髑髏と差し向かひ」。「むかい」は歴史的仮名遣の誤り。なお、一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」のここへの脚注には、『男の死んだ妻が、別な女となって現れ、男と歓をつくすことを暗示』とするが、私は従えないこの女は、あくまで別な女――この牡丹堂に葬られた、恐らくは生前、男性と交わりのなかった処女の女の霊――と私は読むし、読みたい人種である

「ふしん」「不審」。

「かの女、またきたるをみれば、まことにしやれかうベ也」ここは叙述が粗く、何をどうしたら、彼女が髑髏(しゃれこうべ)と視認出来たのかをスポイルしてしまったために、話柄としてのリアルな落ち着き(これこそ怪談の要衝である)がなくなってしまっている。厠に行くふりをして、隣人と一緒に隣人の屋敷の塀の隙間なり、或いは戸外から外障子を垣間見するなりの、現実と異界との境界にあるスリット空間による衝撃の実相映像の提示シーンを添えなければ、怪談としては全く以って失格である。

「物すごくなり」「もの凄くなり」。激しい恐怖が襲ってきて。

「物いみ」「物忌み」。

「きばらし」「氣晴らし」。

「小鳥をおとしにいでける」鳥刺し(鳥黐(とりもち)を塗った竿を用いて小鳥を捕らえること。一般庶民の場合は遊興と専ら食に供するためである)に出た。殺生を成す男を描出するところは、筆者が男に応報性を持たせるように設定している臭さを私は感じる。こんなところに小手先の智恵を使うのだったら、もっと他の箇所の描き込みにこそ徹するべきであったと私は思う。

「下人ども」複数形であり、この主人公の男はそれを持てるだけの相応の人物であったことが知れる。

「はこどものかさねてあるを見れば」「箱(棺桶)どもの、重ねてあるを見れば」。

「血のつきたるはこあり。このはこのうちをみければ、女のしやれかうべ、かのをとこのくびをくわへてゐたりけると也。かの女のしうしん、三ねんすぎたれども、つゐに、男をとりけると也。」「血の附きたる箱あり。この箱の内を見ければ、女の髑髏(しやれかうべ)、彼(か)の男の首を銜(くは)へて居たりけるとなり。彼(か)の女の執心、三年過ぎたれども、遂(つひ)に、男を獲(と)りけるとなり。」。幾つかの歴史的仮名遣は誤り。このコーダのシークエンスは実にオリジナリティがあり、素晴らしく映像的である。それだけに中間部をもっと落ち着いて描いて欲しかった。そこが返す返すも残念である。]

 

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