野間 宏 梅崎春生
昨年木下順二が家を建てた時、ずいぶんかざりっ気のない無趣味な家を建てたんだってね、と私が言うと、木下はちょっと考えて、うん、無趣味だけれども野間君の家よりもかざりっ気があるよ、と返事した。
そのかざりっ気のない野間邸に、私は昨日初めて訪問したのだが、なるほどあの家には全くかざりがない。実にさっぱりとして、剛直な感じがするくらいだ。そして家の機能だけは完全にフルに果たしているところが、いかにも野間式らしく、私は感服した。男の中の男という言葉があるが、これはある意味において、家の中の家である。
家はこのようにして剛直だが、現在この家の主の健康はあまり剛直ではないようだ。
私が野間君と初めて顔を合わせたのは、九年ほど前になるが、あの頃彼は筋肉質な身体で、むしろほっそりとしていた。ところが今ではずいぶん肥って、むくんでいるようにさえ見える。同じくあの頃ほっそりしていた椎名麟三、中村真一郎の両君もいつの間にか現今はすっかり肥り、肥らないのは私だけのような感じがして淋しい。肥った人と対座すると、私は何だか圧倒されるような気がするのだ。
野間君は本や紙筆を出して、自分の病気を説明してくれた。現今彼をなやましているのほ、胆石であり、胆囊(たんのう)炎であり、肝臓肥大である。私も時々肝臓を悪くするから知っているが、この病気は身体がだるく、何もしたくない、何をする意欲も出ない、という特徴を持っている。それに胆石、胆囊炎が加わっては、これはたいへんなことだろうと私は同情し、そしてそういう状態で「地の翼」のような大きな作品を、着々と書き続けて行くことに、すっかり感服した。並たいていな精神力ではやれることでなかろう。
「地の翼」は目下連載中だから論評出来ないけれども、この大作の筆致には、ゆるぎないものを摑(つか)んだという強い自信のようなものが感じられる。全部で七百枚ぐらいの予定で、一週間の間の事件を取り扱うつもりだとのことで、これが完結すると今度は「時計の眼」を書きつづけたいと彼は言う。ここしばらく沈黙していたのは、上述の病気のせいであるが、近頃は摂生によって徐々になおりつつある方向にむかい、目方もひところより一貫目減少した(と言ってもまだまだ肥っているが)というから、ようやく仕事のめどがついて来たのだろう。
ビールを御馳走になり(彼もー緒に飲んだが、ビールは肝臓によくないのではないか)ゆるやかな坂道を表通りまで送ってくれる時、今度は量的に仕事をして行きたい、と彼は私に語った。これは皆が待ち望むことであるし、期待することでもある。早く健康を回復していい仕事をして貫いたいと、その時口には出さなかったけれども私はそう思い、今でも思っている。
[やぶちゃん注:昭和三〇(一九五五)年十二月号『文芸』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。傍点「ヽ」は太字に代えた。
「野間 宏」野間宏(大正四(一九一五)年~平成三(一九九一)年)は梅崎春生にとって第一次戦後派の文学的戦友である。私は実質上の文壇デビュー作である「暗い絵」(昭和二一(一九四六)年『黄蜂』)を一番に薦す。春生と同年。
「木下順二」(大正三(一九一四)年~平成一八(二〇〇六)年)は春生より一つ年下であるが、熊本五高三年次を春生が落第したために春生と同級になっており、それ以来であるから、つき合いとしては長い。
「地の翼」は上巻が昭和三一(一九五六)年に河出書房より刊行されたが、書き継がれることなく未完に終わった。私は未読。
「時計の眼」昭和三二(一九五七)年以前の作品であるが、不詳。識者の御教授を乞う。]

