譚海 卷之一 關西の國にて牛を焚ころす事
關西の國にて牛を焚ころす事
○亦關西いづれの山中にや、牛を焚(やく)ところあり。其民里の人家にて、年來(としごろ)遣ひ盡して用にたゝざる老牛を買(かひ)とり、深山中に牽(ひき)ゆき牛を入べきほどに大きなる穴をほり、穴の中に大きなるはしらをあまたたて置(おき)、扨(さて)牛を穴の内へ驅入(かけい)れ、此はしらに牛の動かざる樣によくくゝりつけ、牛のはらのあたる所にて堅炭(かたずみ)ををこし、牛の腹をあぶる。火の盛成(さかんなる)にしたがつて牛の口中より津液(しんえき)を吐出(はきいだ)すを、器にてとり盡(つく)しとり盡しすれば、果(はて)は津液とともに肉ながれ盡(つき)て、牛は皮と骨斗(ばかり)に成(なり)て死ぬる也。牛の號吼(がうく)する聲山谷(さんこく)に振(ふる)ひ、悲痛聞(きく)にたへがたき事とぞ。その骨をば婦人のくし・かふがひ・髮なで等の用にひさぎ、小なるはそろばんの目盛板(めもりいた)、小(ちさ)き角(こま)の細工等に用ひ、粉に成(なる)をば婦人のおしろひにまぜ用(もちふ)る事、少しも殘る物なく用に立(たつ)事なりとぞ。忍人のしわざ酸鼻(さんび)するに堪(たへ)たり。
[やぶちゃん注:「亦」前条「同所ほひろひ幷蠟燭の事」を受けた発語の辞。ここまでこれでもかと「酸鼻するに堪」得ぬ(「堪たり」とは「~値する」で「酸鼻する」(痛ましく惨たらしいこととして、ひどく心を痛めて悲しむこと」におぞましくも相応しいの謂いであろう)、おぞましい事実(かどうかは判らぬ)を記すところは、前の条で私が津村には関西人への差別は認められないとした見解を補正すべきかも知れぬ。しかし、寧ろ、「少しも殘る物なく用に立」てる、則ち、役に立たずなった老牛を、その骨の粉まで無駄にせぬことは、やはり、私には一つの人間のプラグマティクな首肯し得る才覚に他ならない、とも感じていることも、述べておくこととはする。
「堅炭」樫(かし)・楢(なら)・栗の木などで作った質が堅く火力の強い木炭。
「津液」漢方医学で「津」(しん:陽気に基づく水分で、清んで粘り気がなく、主として体表を潤し、体温調節に関与し、汗や尿となって体外へ排泄されるものを指す)と「液」(えき:陰期に基づく水分で、粘り気があり、体内をゆっくりと流れ、骨や髄を潤すもの。体表部では目・鼻・口などの粘膜や皮膚に潤いを与えるとされる)で構成される体内の水分の総称。源は飲食物で、胃や腸に入って水様性のものが分離されて作られる。別名を「水液」「水津」「水湿」などとも呼ぶ(以上はウィキの「津液」に拠った)。
「くし」「櫛」。
「かふがひ」「笄」。本来は髪を整えるための道具で、毛筋を立てたり、頭の痒いところを掻いたりするための、箸に似た細長いもの。但し、江戸時代には専ら、女性が髷(まげ)などに挿す髪飾りとなった。
「髮なで」ここは前の「くし・かふがひ」を含む整髪用の諸具の謂いで纏めたものであろう。
「ひさぎ」「鬻ぎ」。商品として売り。
「そろばん」「算盤」。
「目盛板(めもりいた)」算盤の枠に当たる縦横の板を指すか。
「小き角」「こま」は私の推定。所謂、算盤の珠(たま)の謂いでとった。
「忍人」前条にも出た。「ニンジン」と音読みしているか。残酷な性質(たち)の人の謂いであろう。]