三好十郎 梅崎春生
三好十郎について、何か書けと、「群像」子が言う。私じゃなくても、他に適当な人がいるだろうと断ると、適当な人が全然いないのだという答え。つまりそれほど、文壇附合いのない人なのである。そこで、近所に住んでいるだけの故をもって、私が素描を試みねばならないことになった。麻生三郎氏の素描は、まことに三好さんの全貌を適確にとらえているが、それほどの附合いもない私が、うまく行くかどうか。現実の人間をとらえるのは、私は全く不得手なのである。
三好さんの姿を京王線下高井戸駅附近で、私は時折見かける。背は高くないが、しごく厚味のある体つきで、時には現場監督みたいな感じを受けることもある。ベレー帽、マドロスパイプ。これらがまたそういう風貌にぴったりしているのは不思議である。そして三好さんは、空気を押し分けるようにして、のっしのっしと歩く。
十日ほど前も、駅前のパチンコ屋で、パイプを横ぐわえにして、せっせと玉を弾いている三好さんの姿を見た。玉の行方を一々見守るような素人(しろうと)芸ではなく、入れては弾き入れては弾く、あのクロっぽいやり方である。受皿をのぞくと、相当玉がたまっていたところを見ると、相当の手練だと思われた。パチンコ台の前でも、三好さんの姿はゆるぎはない。ぴったりしている。
強さ、がある。鋼鉄のような強さではなく、自然物の強さ。精練されて出来た強靭(きょうじん)さと言ったようなもの。一徹という感じ。
九州佐賀というところは、ムツゴロウだのガンヅケだの、他県では食べないようなものを名物とするほど、貧しい土地であるが、こういう土地からは、妙に強靭で頑固な性格の型が出る。三好的強さが、すべてそこから発しているとは思わないけれど、もっと複雑な後天的要素が加わっているとは思うけれども、いくらかはそこにも、関わりがあるだろう。
都会的な青白さと、正反対のもの。澄み渡ろうとするより、進んで濁りに赴くことで、自分の生を確かめようとする型。
そういう強さは、自らをとざす方向にも進むが、また強い影響で他をもとらえる。
三好さんの門弟(?)が組織している劇団がある。その舞台稽古を、下高井戸附近の某寺の本堂で、三好さんと共に見たことがある。その時の若い演出者の態度や姿勢や口ぶりに、私は三好的なものの影響を強く感じた。動作のはしばしにまで、影響顕著なのである。
どうもその時、稽古の若い女優さんたちに、元気がなかった。演出者がいろいろ注意するのだが、何だか銷沈してはっきりしない。演出者は躍気になる。
その時、鬱然とそれを見ていた三好さんが、ぐいと立ち上った。
「どうして元気がないんだい。え。何か訳でもあるのか。ひとう、体操をやろう、体操を」
そして三好さんは、自ら腰に手を当て、踵(かかと)を上げ膝を極度に深く曲げる体操を、大きな掛声をかけてやり始めた。この体操は、若い女性には、割に不向きなのである。自然と動作が中途半端になるのを、三好さんは叱咤した。
「だめだ。もっとぐつと曲げて。恥かしがって、何が出来るもんか。一、二、一、二」
気の弱い私などは、体操中の女優さんの恰好を正視することが出来ず、本堂の奥の仏像を眺めたり、扁額の文字を読むふりをしたり、そんなことばかりしていた。
三好十郎は、今まで自分流だけで進んで来たし、また死ぬまで、自分以外の流儀では歩かないだろう。その流儀の是非は別として、その行き方は、現代においては珍重すべきものであるだろう。現代には、あまりにも右顧左眄(うこさべん)の型が、多過ぎるのだ。
[やぶちゃん注:昭和二七(一九五二)年八月号『群像』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。
「三好十郎」(明治三五(一九〇二)年~昭和三三(一九五八)年)は小説家・劇作家。佐賀県佐賀市生まれ。早稲田大学英文科卒。ウィキの「三好十郎」によれば、『早稲田大学在学中から試作を発表し、プロレタリア劇の作家として活動を始めた。その後、左翼的な活動に疑問を覚えたとして組織を離脱』、『戦後は、近代の既成文学全般への批判を貫き、無頼派の一人といわれる』。代表作は「炎の人」(昭和二六(一九五一)年九月『群像』)。私は彼の舞台作品を幾つも見たが、遺憾ながら、感動したことは一度もない。従って、以下、注にもやる気が出ない。「三好さんの門弟(?)が組織している劇団」というのも、あそこかな? という気はするが、調べる気もさらに起こらない。悪しからず。
「麻生三郎氏の素描」底本ではこの後に全集編者による『この文章は「顔」という連載エッセイのために書かれたもので、この欄には毎号、著名画家による似顔絵が添えられていた。』とある。「麻生三郎」(大正二(一九一三)年~平成一二(二〇〇〇)年)は洋画家・武蔵野美術大学名誉教授。彼の絵にも私は心動かされたことはない。
「ムツゴロウ」条鰭綱 Actinopterygii スズキ目 Perciformes ハゼ亜目 Gobioidei ハゼ科 Gobiidae オキスデルシス亜科 Oxudercinae ムツゴロウ属 Boleophthalmus ムツゴロウ Boleophthalmus
pectinirostris。日本・朝鮮半島・中国・台湾に分布するが、日本での分布域は有明海と八代海に限られている。ウィキの「ムツゴロウ」によれば、『旬は晩春から初夏で、漁は引き潮の間に行われる。逃げるときはカエルのように素早く連続ジャンプするので、捕えるのは意外と難しい。巣穴に竹筒などで作った罠を仕掛けて巣穴から出てきたところを捕獲する「タカッポ」や、巧みにムツゴロウをひっかける「むつかけ」などの伝統漁法で漁獲される』。『肉は柔らかくて脂肪が多い。新鮮なうちに蒲焼にするのが一般的で、死ぬと味も落ちる。ムツゴロウの蒲焼は佐賀県の郷土料理の一つである』。罐詰のそれを食ったことがあるが、美味いとは思わなかった。
「ガンヅケ」甲殻亜門 Crustacea軟甲綱 Malacostraca 真軟甲亜綱 Eumalacostraca ホンエビ上目 Eucarida 十脚(エビ)目 Decapoda 抱卵(エビ)亜目 Pleocyemata 短尾(カニ)下目 Brachyura スナガニ上科 Ocypodoidea スナガニ科 Ocypodidae スナガニ亜科 Ocypodinae シオマネキ属 Uca シオマネキ Uca arcuata の肥大した鋏脚を塩漬けにした有明海沿岸地方の珍味。但し、現在は同種は本邦では絶滅危惧II類(VU)となり、販売されている「がん漬(づけ)」の原材料は総て中国産である。それでも結構、酒の肴としては、いける。
「右顧左眄」右を見たり、左を見たり、周囲の情勢を窺ってばかりで決断しないこと。]