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2016/10/29

諸國百物語卷之四 九 遠江の國にて蛇人の妻をおかす事

     九 遠江(とをとをみの國にて蛇人(ひと)の妻をおかす事

Hebidoutoku

 中(なか)ごろ、遠江のくににある山さとに、名ぬし、有りけるが、此女ばう、をつとのるすのまに、ねやに入り、ひるねしてゐけるが、名ぬし、ほかよりかへりて、ねやに入りみれば、たけ五、六尺ばかりのへび、女ばうを二ゑみへにまとい、口とくちとを、さしつけて、ふしたり。名ぬし、みて、つえをもつて、うちはなし、

「なんぢ、ちくしやうなれども、めがたきなれば、うちころすべけれども、ぢひをもつて此たびばかりは、たすくる也。かさねてひが事あらば、いのちをとるべし」

とて、つえにて、すこし、うちなやして、山のかたへ、すてにける。さて、あくるあさ、いつもより、名ぬし、あさねしけるが、家内(かない)の男女(なんによ)、おどろきさわぐ。

「なに事ぞ」

とて、名ぬし、おきあがりみれば、たけ一丈ばかりのへび、にわのまんなかにきたり、一、二尺より五、六尺までのへびをつれ、あき地もなく、なみゐて、かしらをあげ、くれなひのやうなるしたを、うごかしける。名ぬし、へびにむかつていひけるは、

「なんぢら、ちくしやうなれどもよく聞くべし。きのふ、わがめがたきを、ぢひをもつてたすけたるに、かへつて、かようにたゝりをなす事、ちくしやう也とても、物のどうりをもわきまへぬものどもかな、佛神三方天ぢん地ぎ、上はぼん天大しやく、四大の天わう日月せいしゆくも、御しやうらん候へ」

とて、さもあらゝかに道理をつくしていかりければ、大へびをはじめ、のこるへびども、一どにかしらをさげ、大へびのそばに、ゐたり。きのふのへびとおぼしきを、かずのへびどもたかりかゝつてかみころし、みそみそとして、山のかたへ、みな、かへりて、べつの事もなかりしと也。名ぬし、さかしきものにて、ときのなんをのがれ、へびは、ちくしやうなれども、物のどうりをきゝうけゝるこそふしぎなれ。

 

[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「へひ妻をおかする事」。

「遠江(とをとを)の國」「遠江」は歴史的仮名遣では「とほたうみ」が正しい(これは「遠淡海(とおつおうみ)」の転。これは「琵琶湖」を「近(ちか)つ淡海(おうみ)」というのに対し、都から遠い湖(うみ)の意で「浜名湖」及びそこを含む広域地名としての遠江国)。現在の静岡県の西部に相当。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注には、『「蛇」を神として信仰すること』の『多い土地であった』と記す。必ずしも遠江に限らず、身体を邪神とするのは非出雲系の土着神に広汎に見られ、例えば諏訪大社系のそれや、中世以降の仏教の弁財天信仰に習合した宇賀神などがそれに当たる。ただ、確かに静岡付近には大蛇伝承が、かなり多く見られることは事実のようである。個々の事例はサイト「龍学」の「静岡県の竜蛇」に詳しいので参照されたい。

「中(なか)ごろ」叙述当時から見て、あまり古くない時代の意。「諸國百物語」は第四代将軍徳川家綱の治世である延宝五(一六七七)年四月に刊行されているから、中世末期の室町・戦国・安土桃山から江戸時代の前期までが含まれようか。

「をつとのるすのまに、ねやに入り、ひるねしてゐけるが」「夫の留守の間に、閨(ねや)に入り、晝寢して居けるが」。

「ほかよりかへりて」「外より歸りて」。

「五、六尺」一・五~一・八メートル。

「二ゑみへにまとい」「二重三重(にへみへ)に纏ひ」二箇所は歴史的仮名遣の誤り。

「口とくちとをさしつけて、ふしたり」寝ている女房の口に、蛇がおぞましくも自分の口を差し附けて(キスをして)、女房と蛇とが、ともに添い臥して寝ていたのである。

「つえをもつて」「杖を以つて」。「持つて」でもよいが、私は前者で採る。

「うちはなし」「打ち離し」。

「なんぢ」「汝」。

「ちくしやう」「畜生」。

「めがたき」「妻敵・女仇(めがたき)」。江戸の法にあっては、夫の社会的面目が丸潰れとなるゆゆしき事態であり、討ち果たすのが当然の決まりとしてあり、許すことは逆に不作為犯として処罰の対象ともなり、そうでなくても、道義に反することとして夫の方が軽蔑された。

「うちころすべけれども」打ち殺すのが筋であるが。前注参照。

「ぢひ」「慈悲(じひ)」。歴史的仮名遣は誤り。

「たすくる也。」「助くるなり。」。「助けてやるのだ。」。

「かさねてひが事」「重ねて僻事あらば」。再度、このような不埒な行いがあったならば。

「うちなやして」「打ち萎(なや)して」。「萎す」「なやす」は最早、古語化して使われなくなったが(徳田秋声「黴」「十二」末『痛い頭を萎(な)やそうとして、笹村は机を離れてふと外へ出て見た。そして裏の空地を彷徨(ぶらぶら)して、また明るい部屋へ戾つて見た。』(明治四四(一九一一)年『読売新聞』初出))、他動詞で、「気力や体力などを失わせてぐったりさせる・萎えるようにさせる」「なよなよとさせる・やわらかにする」の意。打ち叩いて、ぐったりくたくたになるまで弱らせて。

「一丈」約三メートル。

「一、二尺」凡そ三十センチから六十一センチ弱。

「五、六尺」一メートル五十二から一メートル八十二センチ弱。

「あき地もなく」「空き地もなく」。庭の土の表面が全く見えないほどに。

「なみゐて」「並み居て」。庭全面にびっしりと並び居て。

「かしらをあげ」「頭を挙げ」。鎌首を擡(もた)げて。

「くれなひのやうなるした」「紅(くれなゐ)の樣なる舌」。歴史的仮名遣は誤り。

 

「なんぢら、ちくしやうなれどもよく聞くべし。きのふ、わがめがたきを、ぢひをもつてたすけたるに、かへつて、かようにたゝりをなす事、ちくしやう也とても、物のどうりをもわきまへぬものどもかな、佛神三方天ぢん地ぎ、上はぼん天大しやく、四大の天わう日月せいしゆくも、御しやうらん候へ」大方を漢字正字表記に書き変えたもの(一部、平仮名化或いは漢字を正しいものに訂しもし、読みも補った。誤った歴史的仮名遣は正して示してある)を、まず、以下に示す。

「汝等(ら)、畜生なれどもよく聞くべし。昨日、我が妻敵(めがたき)を、慈悲を以つて助けたるに、却つて、斯樣(かやう)に祟りを成す事、畜生なりとても、物の道理(だうり)をも辨(わきま)へぬ者共(ども)かな、佛神三方(寶)(ぶつしんさんぱう)天神地祇(てんじんちぎ)、上(かみ)は梵天(ぼんてん)帝釋(たいしやく)、四大(しだい)の天王(てんわう)日月星宿(じつげつせいしゆく)も、御照覽(しやうらん)候へ」

以下、●で、この名主の台詞(後者の書き変えを見出しとする)内の語釈を施す。

「佛神三方(寶)」から台詞の最後まで総ては、蛇集団への言葉ではなく、神仏に誓文を唱える際の神仏習合の神々の名を言上げする慣用表現。「三方」とは神道の神事に於いて使われる神饌(しんせん)を載せるための台であるが、それは神への奉仕であり、同時に神と対面することと等しい謂いであると同時に、神仏習合であるからして、「三寶」、則ち、仏教に於ける「仏」(ほとけ)・仏の教えである「法」・その教えをひろめる「僧」の神聖にして不可欠な三者「仏法僧(ぶっぽうそう)」をも指している。

●「天神(てんじん)地祇(ちぎ)」神道では天の神と地の神・天つ神と国つ神のことを指し、「あらゆる神々」の謂い。詳しく述べるなら、「高天原(たかまのはら)」で生成又は誕生した神々を「天神」とし、当初より「葦原中国(あしはらのなかつくに)」(記紀神話に於ける原日本を含む地上世界)に誕生した神を「地祇」とする。これに対して仏教では「天界」に住むとされる「夜叉」・「梵天」・「帝釈天」などを「天神」とし、「地界」に住む「堅牢地神」・「八大竜王」などを「地祇」とする。

●「梵天(ぼんてん)」仏教の守護神である天部十二天の一人。古代インドに於いて「万物の根源」とされた「ブラフマン」を神格化した神「ブラフマー」(ヒンドゥ教では創造神で、ヴィシュヌ(維持神)・シヴァ(破壊神)とともに三大神の一人に数えられる)が仏教にとり入れられたもの。「梵」はその梵語の漢音写。次の帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある(以上はウィキの「梵天」に拠った)。

●「帝釋(たいしやく)」仏教の守護神である天部十二天の一人。本来はバラモン教やヒンドゥー教などの神インドラで、かの知られた阿修羅とも戦闘したという「武勇神」であったが、仏教に取り入れられ、成道(じょうどう)前から釈迦を助けた上、釈迦の説法を聴聞したことによって梵天と並んで仏教の二大護法善神となったとされる神である。彼の東南西北(それは同時に天地の四隅を守護する意味がある)には、かの四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)。本文に出る「四大の天王」はこれ)が仕えるとされることから「四天王天」とも呼ばれる(以上はウィキの「帝釈天に拠った)。

●「日月星宿(じつげつせいしゆく)」天界・宇宙全体の意。「太陽」と「月」と「星宿」。「星宿」は天球上の総ての可視出来る星(それが当時の宇宙全体の大部分を構成していると考えられた)を二十八宿に分けたもの。

 

「さもあらゝかに」如何にも荒々しく厳しい口調で。

「道理をつくしていかりければ」「道理を盡して怒りければ」。

「かずのへびども」「數の蛇ども」。数多(あまた)の蛇どもが。

「たかりかゝつてかみころし」「集(たか)り掛かつて咬み殺し」。ここが意外な展開である。人の執心の化したところの蛇は、なかなか、こうはいかない。正真正銘の蛇族は人間以上に果敢に断罪する道徳性を持っているのであった。

「みそみそとして」如何にも勢いや感情が弱まって静まりかえってしまうさま。落胆して気弱な感じでひっそりと。すごすごと。こそこそと。

「べつの事も」「別の事も」。それ以降、何の怪事も変事も。況や、蛇が妻の閨房に侵入するようなことも、である。

「さかしきもの」「賢しき者」。ここは「まことに賢明な人物」という、いい意味で用いられている。

「ときのなんをのがれ」「時の難を逃れ」。

「へびは、ちくしやうなれども、物のどうりをきゝうけゝるこそふしぎなれ」「蛇は、畜生なれども、ものの道理を聞き請けるこそ不思議なれ」。前の「たかりかゝつてかみころし」の注を参照。]

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