『ケイン号の叛乱』ハーマン・ウォーク著 梅崎春生
『ケイン号の叛乱』
ハーマン・ウォーク著
ケイン号というのは、米海軍の老朽した一掃海駆逐艦の名。この小説はその艦内の事件や乗組員の動きを通して、今次大戦の様相を描いたものである。一九五二年度ピュリッツァ賞。ベストセラーの首位を占めた作品だという。構成もしっかりしているし、乗組各員の性質もかなり的確にかき分けられている。深刻な様相を取扱いながら、暗さがなく、向日的な色彩が多いのは、戦勝国側の作品であるせいか。あるいは父親が主人公に与えた手続の一節「お前はこの国(アメリカのこと)にそっくり似ているように思う……若くて、無邪気で、富と幸運のためにスポイルされ、柔弱にはなっているが、健全な家系から生れた内面的なたくましさがある」。そのようなアメリカの性格のためか。
「ケイン疲れ」という言葉があるそうであるが、この作品には読者を疲れさせるような本質的な重さや難解さは皆無である。行文流暢(りゅうちょう)にして軽く読めるから、ついうかうかと読みすごして疲れるといったようなものだろう。
その点で『風と共に去りぬ』などと共通点があり、ベストセラーとなり得る性格を充分にそなえている。たとえばケイン号のド・ヴリース艦長を描くにあたっても、作者の目はそこに強いて怪物を求めようとしていない。人間の中のゆがみや偏執を、作者は深く探ることなく、一種の現象としてのみとらえているようだ。その点でこの作者は健康である。言わば映画的な健康さがある。
しかし米海軍の形式主義や軍人同士の確執など、日本のそれにくらべて、いろいろと興味があった。
主人公ウィリー・キースは暗号係の青年士官だ。訳語の点で、自国の暗号を平文に直す作業を、暗号解読というのはおかしい。暗号翻訳とすべきだろう。解読というのは、敵の暗号を解くことを意味するのだ。
[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年七月二十六日附『読売新聞』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。最後の一段落の指摘は流石、旧海軍暗号特技兵(後に下士官として二等兵曹で終戦を迎えた)であった梅崎春生にして、鋭い指摘である。
「ケイン号の叛乱」アメリカの小説家ハーマン・ウォーク(Herman Wouk 一九一五年~)が一九五一年に書いた“The Caine Mutiny”。この評の出た年に光文社から新庄哲夫訳が刊行されている。これを原作とした同名の大ヒット作となったアメリカ映画(監督エドワード・ドミトリク(Edward Dmytryk 一九〇八年~一九九九年:カナダ生まれ)はこの翌一九五四年製作・公開である(日本も同年公開)。シノプシスは映画のそれであるが、ウィキの「ケイン号の叛乱」から推測されたい(私は映画は見たが、原作は未読である)。
「ピュリッツァ賞」ピューリッツァー賞(Pulitzer Prize)は一九一七年にアメリカで始まった新聞等の印刷報道・文学・作曲に与えられる同国でも最も権威ある文化賞。コロンビア大学ジャーナリズム大学院が運営を行っている。日本人では昭和三六(一九六一)年の写真部門で『毎日新聞』の長尾靖氏が「浅沼社会党委員長の暗殺」で、昭和四一(一九六六)年の写真部門でUPI通信社の沢田教一氏がベトナム戦争記録写真「安全への逃避」で、昭和四三(一九六八)年の写真部門で同じUPI通信社の酒井淑夫氏がやはりベトナム戦争記録写真「より良きころの夢」で受賞している。
「ド・ヴリース艦長」ウィリアム・デヴリース少佐(Lieutenant Commander William H.
De Vriess)は前艦長。彼の代わりに新任艦長となるフィリップ・クイーグ少佐(Lieutenant Commander Philip
Francis Queeg)は映画では私の好きなハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart 一八九九年~一九五七年)が演じた。無論、映画ではボガートが事実上の主役であるが、後で梅崎春生が述べるように、原作の主人公は彼ではなく、「暗号係の青年士官」「ウィリー・キース」ウィリー・キース(Willis Seward
"Willie" Keith)少尉であるらしい。]
« 諸國百物語卷之三 六 ばけ物に骨をぬかれし人の事 | トップページ | 和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 腹蜟(にしどち) »