諸國百物語卷之二 二十 越前の國にて亡者よみがへりし事
二十 越前の國にて亡者(もうじや)よみがへりし事
ゑちぜんの府中に法花寺(ほけでら)あり。あるとき、死人をつれきたりて、寺にてもくよくをさせ、髮をそりけるに、聖人(しやうにん)、手に腫物(しゆもつ)できたるゆへ、弟子にすらせければ、死人(しにん)の髮、にわかに鹿の毛のごとく、こわくなり、なかなか、そりあたらず。そろそろ、かみながくなりければ、弟子ぼうず、かみそりをすて、にげんとする所に、聖人、亡者にむかい、
「なんぢ、つねづね、心もちあしき故、死しても、まよふ、と見へたり」
とて、きやうくんし、經をよまれければ、死人の髮、しだいにやわらぎ、みじかくなりけると也。きく人、みな、聖人のしゆしやうなる事をかんじけると也。
[やぶちゃん注:底本のページ末には「諸國召物語卷之二終」とある。
「ゑちぜんの府中」福井県嶺北地方の中南部に位置する市越前市内か(国府遺構は発見されていない)。
「法花寺」これは天台宗の別称である天台法華宗である。日蓮宗ではない。後の「すらせければ」の注を必ず参照のこと。
「もくよく」「沐浴」。この場合は、清拭(せいしき)のための湯灌(ゆかん)・湯洗のこと。仏葬に於いて死体を棺に納める前に湯水で拭き清めること。
「聖人(しやうにん)」高僧の尊称。ここは当寺の住持と読み換えてよい。
「腫物(しゆもつ)」腫(は)れ物。
「すらせければ」「剃(す)らせければ」。「する」は「剃(そ)る」の音変化。死者の頭髪をこの弟子に剃らせているのである。通常、江戸時代までの浄土真宗及び日蓮宗を除く仏式葬儀に於いては、故人は死後になって「僧」になったと見做し、それを示す証(あかし)として、遺体の髪を完全に剃ったり、或いは一部を切ったりして埋葬する習慣が普通に行われていた。但し、浄土真宗と日蓮宗に於いては教義上の理由から、この儀式は行わなかった(と私は認識している)。されば、冒頭、「法花寺」とはあるものの、ここではこれは「日蓮宗」ではあり得ないことになるのである。
「こわくなり」「強(こは)くなり」。歴史的仮名遣は誤り。
「そりあたらず」「剃り當らず」。剃刀の刃が立たず、一向に髪が剃れず。
「そろそろ、かみながくなりければ」剃れないどころか、逆に妄執の蛇のように、みるみる、ぞろぞろと生き物の如くに髪が延びて長くなってくるのである。だから(「ば」)、弟子の僧が逃げ出すのである。
「心もちあしき故」心掛けが悪かった、現世へ未練を過剰に残しているから。
「きやうくん」「教訓」。
「しゆしやう」「殊勝」。神々しいまでに優れていること。]

