諸國百物語卷之四 三 酒の威德にてばけ物をたいらげたる事
三 酒の威德(ゐとく)にてばけ物をたいらげたる事
大佛三十三間(げん)どうには、ばけ物ありとて、七つさがれば、人、ゆかず。この事、禁中にきこしめしおよばれ、此ばけ物、たいらげたらんものは、ほうびはのぞみたるべしと、高札(たかふだ)をたてられければ、さる酒のみのらう人ありけるが、禁中へまいり、
「それがし、したがへ申さん」
と、御うけを申し、ひやうたんに酒を入れ、三十三げんどうにゆき、どうのすみにまちゐければ、あんのごとく、夜はんのころ、たけ一丈ほどのぼうず、まなこは日月(じつげつ)ほどひかり、くま手のごとくなる手をさしいだし、かのらうにんを、たゞひとつかみにせんとす。らうにん、やがてかうべを地につけ、
「ひごろ、うけ給はりおよび候ふばけ物さまにて御座候ふか。まづ、しよたいめんの御禮申しあげ候ふ」
と云ふ。ばけ物、きゝて、物すごきこゑにてうちわらひ、
「さてさて、なんぢはおかしき人かな。一くちにせんとおもへども、しばらくゆるす。さて、こゝへは、なにとてきたるぞ」
と云ふ。らう人、きゝて、
「なにとなくまいり候ふが、ばけ物さまはいろいろに御ばけ候ふよし、うけ給はり及び候ふ。ちと、うつくしき上らうに御ばけ候ひて御見せ候へ」
と云ふ。ばけ物、きゝて、
「なんぢは、しやれたる事をいふものかな。のぞみにばけてみせ、そのゝち、一くちにぶくせん」
とて、そのまゝ大なる上らうにばけてみせければ、
「さても、さても、おもしろき事にて候ふ。今一ど、兒(ちご)にばけて御みせ候へ」
といへば、うつしくしき兒(ちご)のすがたになりける。
「さても、しゆうなる事かな、とてもの事に、をにのすかたに御なり候へ」
といへば、たけ一丈ばかりの鬼となり、つのふりたてゝ見せければ、らう人、申すやう、
「ばけ物さまは、さても、げいしや哉、のぞみ申す物に御なりなされ候ふ。されども、むめぼしのごとくなる、ちいさき物に御なりなさるゝ事は、いかゞなり申さずや」
といふ。ばけ物、きゝて、
「むめぼしにならば、もはや、くわれ候ふか」
といへば、
「ぜひにおよばず」
と云ふ。
「さらば、なりて見せん」
とて、いかにもちいさきむめぼしになり、ころりころりと、こけあるきければ、
「さても、きとくに御ばけ候ふものかな、手のうへゝ御あがり候へ」
とて、手をさしいだしければ、手のうちへこけあがりたるを、そのまゝ、口へうちこみ、がりがり、かみわり。ひやうたんなる酒を七八はい、ひつかけのみ、よひのまに、にげてかへり、
「ばけ物たいらげたるよ」
と、さうもん申しければ、禁中、ぎよかん、なゝめならず、くわぶんのちぎやうを下されけると也。ひとへに酒のいとく也。
[やぶちゃん注:これは最早、怪談ではなく、狂言そのものである。挿絵の右キャプションは右半分が切れてしまているので判読不能。
「威德(ゐとく)」原義は威厳と徳望で、勢力がありしかも同時に人徳の高いことを言うがここは、酒の霊力・威力の謂いである。ただ、米から醸造する酒は元来、稲玉の霊力の凝ったものとして認識されていたものではあったはずではある(が、ここは猿芝居だからそこまで考える必要は猿の毛ほどもない)。
「大佛三十三間(げん)どう」「どう」は「だう」が正しい。既出既注。「十四 京五條の者佛(ほとけ)の箔(はく)をこそげてむくいし事」の「大ぶつの三十三間(げん)のほとけ」の注を参照のこと。このロケーションとその呼称、そこに化け物が出るというところから考えると、筆者の時代設定は豊臣家滅亡以降(リンク先を参照されたいが、大仏自体はその後も残されたものの、寛文二(一六六二)年の地震で大破し、寛文七(一六六七)年に木造で再興されたが、これも寛政一〇(一七九八)年の落雷に起因する火災で焼失している)のごく江戸初期ではないかと私は推察する。後の浪人の台詞「ぜひにおよばず」が信長のその肉声として、響き合うような時代(それは如何にもな陳腐さを以ってであって、逆にこの創作自体は新しいことを逆に感じさせるわけではあるが)である。
「七つさがれば」定時法の「七つ時を過ぎると」で、現在の午後四時から午後五時頃(七つ半。午後六時は「暮れ六つ」となる)になるとの意。
「禁中にきこしめしおよばれ」その奇怪なる噂が宮中の畏れ多き帝の御耳にまでも達し及んでしもうて御座ったによって。
「たいらげたらんもの」「平らげらん者」。成敗致いた者。しかし、この言葉は結句、「食べつくす」という文字通りの意味とも重なることになる伏線なのである。
「ほうびはのぞみたるべし」「褒美は望みたるべし」。その褒美は、申すがままにとらせよう。
「高札(たかふだ)」お上より告知する内容を人通りの多い場所に高く掲げた札(板)様のもの。室町時代からあったが、江戸時代に最も盛んに行われた。制札(せいさつ)。
「らう人」「浪人」。
「したがへ申さん」「從へ申さん。」。「屹度、平伏退治致いてお見せ申し上げましょうぞ!」。
「御うけ」「御請け」。
「ひやうたん」「瓢簞」。
「どうのすみにまちゐければ」「堂(だう)の隅に待ち居ければ」。前に言った通り、「どう」の歴史的仮名遣は誤り。
「あんのごとく」「案の如く」。世間で噂しているその通りに。
「一丈」三メートル三センチ。
「くま手のごとくなる手」「熊手の如くなる手」。この場合の「熊手」は長い柄の先に鉄の爪数個をつけた武具或いは船道具を指す。戦場では、敵を馬から引き落としたり、盾や塀を引き倒したり、高所に攀じ登る際に用い、また、犯罪者や狼藉者を捕り押さえるのに用いた捕り手道具。水上では舟や浮遊物などを引き寄せるのに用いる。
「しよたいめん」「初對面」。
「一くちにせん」知られた「伊勢物語」第六段(芥川の段)、
*
昔、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年を經て呼ばひわたりけるを、からうじて盜み出でて、いと暗きに來けり。芥川といふ河を率(ゐ)て行きければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。行く先多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる藏に、女をば奥に押し入れて、男、弓、やなぐひを負ひて戸口にをり。はや、夜も明けなむ、と思ひつつゐたりけるに、鬼、はや、一口(ひとくち)に食ひてけり。「あなや」と言ひけれど、神鳴る騷ぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば率て來(こ)し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。
*
とあるように、古来、鬼が一口で人を食い殺すことを「鬼一口(おにひとくち)」と呼び慣わした。
「しばらくゆるす」「暫く赦す」。
「うつくしき上らう」「美しき上﨟(じやうらう)」美しい高貴な御婦人。
「しやれたる」「洒落たる」。
「のぞみにばけてみせ」「望み(通りに)化けて見せ」。
「ぶくせん」「服(ぶく)せん」。吞み込んでやろう。
「しゆうなる事かな」「自由(しゆう)なる事かな」。「なんとまあ! 変幻自在なることで御座ろう!」。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」(同書はこの「しゆう」に「自由」を当てた本文を載せる)の「自由」の脚注によれば、『無制約なこと。「自由」の語の成立は、室町期といわれている』とある。
「とてもの事に」次いでに。
「すかた」ママ。姿。
「げいしや哉」「藝者かな」。「芸達者であられますなあ!」ここまで徹底したヨイショ作戦で、鬼の自己肥大を最高度まで昂めた。「角振り立てて見せけ」るところなんぞは、最早、獅子舞いの大道芸レベルに堕していることに気づかぬのが、この鬼に哀しさである。ここの浪人の機転の利いた台詞は、まさにその笑いの転回点の要(かなめ)となるところである。
「むめぼしのごとくなる」「梅干(むめぼ)しの如くなる」。
「いかゞなり申さずや」「如何成り申さずや」。「どうでしょう? お出来になりますか? 成れませぬか? 成れませぬことは御座いますまいのぅ!」。原文は不可能の方だけを匂わせて、鬼を不満にさせ上手く慫慂した巧みな台詞となっている。
「むめぼしにならば、もはや、くわれ候ふか」「小さな梅干しに変じたら、さて――それを汐にいい加減、遊びは止めて――儂(わし)に食われるか?」この台詞が最後に主客を逆転させる美事な伏線となっている点を見逃してはならぬ。
「ぜひにおよばず」「是非に及ばす」。「言うまでも御座らぬ! きっと喰われましょうぞ!」。
「こけあるきければ」「轉(こ)け步きければ」。ころころと転がり回ったので。
「さても、きとくに御ばけ候ふものかな」「さても、奇特に御(おん)化け候ふものかな」。「奇特」は私は「きどく」と濁って読みたい。「神仏の霊験(れいげん)」の意である。「何ともはや! 実に神妙玄妙にお化けになられたことであろうか!」。
「こけあがりたる」「轉(こ)け上がりたる」。この動的なシークエンスが実に笑いを誘う。特撮(SFXやでCGやアニメーションなんぞではなくて、である)で撮りたいなぁ!
「うちこみ」「打ち込み」。ぽいっと投げ込んで。
「かみわり。」句点はママ。ここは読点の編者の誤りだろう。「嚙み割り、」。
「ひつかけのみ」「引つ掛け吞み」グビ! グビグビ! グビ! グビ! グビグビグビグビビッツ! と立て続けにあおって。狂言的勘所である。
「よひのまに」「宵の間に」。「醉ひの間に」(酔いにまかせて)と読みそうになるが、であれば、歴史的仮名遣は「ゑひ」でなくてはならぬ。何より、鬼を吞み込んだその後に変事が危惧されることを考えれば、ともかくも逸早く、内裏へ征服成功(それも鬼を吞み込んで!)報告するのが先決であり、ここはやはり、夜明けを待たず、未だ「宵」の内に、の謂いである。
「さうもん」「奏聞」。帝に申し上げること。但し、歴史的仮名遣は「そうもん」でよい。
「ぎよかんなゝめならず」「御感斜めならず」。「斜めならず」は「なのめならず」の原型。帝の御気分は一通りではなく、格別にお喜びになられ。
「くわぶんのちぎやうを」「過分の知行を」。たかが浪人の分際に過ぎた褒賞としての領地を。
「いとく」標題の「威德」であるが、歴史的仮名遣は誤り。]


