佐渡怪談藻鹽草 小林淸兵衞狢に謀られし事
小林淸兵衞(せいべえ)狢(むじな)に謀られし事
元祿年中の事にや有(あり)けん。小林淸兵衞といへる役人【當時は上川と改】有けるが、澤崎(さわさき)浦目付にて侍りしに、九月中頃、磯に出て魚を釣(つら)んとて、釣竿うちかたげ、いつも行(ゆく)所へ濱傳ひに行(ゆき)ぬ。折しも秋の日の定(さだめ)なく、小雨降(ふり)ていとしめやかなる、蓑笠着たるものの行(ゆく)先に、釣り竿たれて居たるに、
「何と魚を釣(つり)たるや」
と聲をかけしに、答もせで打(うち)うつむきて居たりしかば、重(かさね)て
「いかにや」
ととへば、何のいらへもせで、向ふなる岩へ飛越(とびこえ)、見れば人にはあらで、狸の竿をもてるなり。
「惡きやつかな、海の中へ追入(おひいり)なん」
と思ひて、陸の上方より、手揚(あげ)て、追(おひ)ければ、あはや海へ落入(おちいり)なんと見へしが、山の方に葬禮の音して、泣聲など聞えければ、ふりあをぎし間に、件(くだん)の狸は、いづちへ行(ゆき)けんか、ひけちて失(うせ)し。また葬送もなく、
「さてさてはかられし事のくやしかりし」
と語られけり。畜類ながらも、いとかしこき事にこそ。
[やぶちゃん注:「小林淸兵衞」改姓後の「上川」でも不詳。
「元祿年中」一六八八年から一七〇四年。
「澤崎(さわさき)浦」現在の小佐渡の最西端の佐渡市沢崎。小木海岸。]