譚海 卷之一 同所ほひろひ幷蠟燭の事
同所ほひろひ幷蠟燭の事
○大坂は商賣利勘(りかん)の事には、錐毛(すいもう)まで心を用(もちひ)る所なり。蠟燭なども江戸にてつかふ所三分二は大坂より下(ぐだ)す蠟燭にて事足(ことた)り、三分一江戸にてこしらゆるをつかふ事也。價(あたひ)の廉(れん)なるをもちて也。江戸にてこしらゆるろうそくは、漆(うるし)の實(み)を製したるに油等をまぜ遣ふゆへ、價限(かぎり)ありて廉ならず。大坂の下(くだ)りらうそくは、全體生蠟(なまらふ)にてこしらへたる物にあらず、皆魚油獸肉などをさらしかためたる物にてこしらゆる也。甚しきものは人肉をも用る事とぞ。大坂牛馬(ぎうば)の外狗肉(くにく)も多し。それゆへ大坂に犬とりといふもの有(あり)て、非人にもあらず穢多にもあらず、毎日わらにてこしらへたるかますを肩にかけ町をありく。路頭に死たる犬あれば皆取歸りて蠟にす。忍人なるものは死(しに)かかりたる犬などをみれば、打殺(うちころ)してもち歸る故、諸(もろもろ)の犬是(これ)をしりて、かますをかたげたる人をみれば、打殺さるゝ事をしりて、其人を犬ことごとく吠(ほゆ)る也。扨(さて)又竊(ひそか)に刑罪に行(おこな)れたる人の死骸をもとめ、土中に埋(うづ)めをけば、毎朝埋めたる土の上へあぶらの樣なるもの吹出(ふきいだ)しあり。それを竹のへらにて、こそげ取(とり)こそげ取、數日の後あぶら吹出(ふきいで)ざれば、其(その)埋(うづ)みたる死骸を掘出(ほりいだ)し見るに、肉は皆土氣(どき)に吸盡(すひつく)して白骨計(ばか)り殘り有(あり)とぞ。牛馬狗肉などひとつに集め、鍋にてせんじ油のごとく成(なり)たるを、風をあておけば氷(こほり)てかたまる、それを大き成(なる)をしき樣のものの内へくだき入(いれ)て、庭中などへ置(おき)、寒中日にさらし、一日に幾度となく箒(ほうき)に淸水をひたし肉にそゞく、三十日ばかりあればせうふ或はくずの粉のごとく白くされる也。扨(さて)その肉をあつめ釜にてせんじ、匂ひぬきといふ藥をもちて諸肉の腥臊(せいさう)をぬきとり、釜のまゝひやしをけば蠟のごとくかたまる。それをもちてこしらへ出(いだ)す事なれば、價も廉なる事なり。利を競ひ地利(ちのり)をつくし、工(たくみ)を用る事、大坂の人にはなずらふるものなしとぞ。
[やぶちゃん注:「同所」前の「大坂豪富の者、通用金の事」を受けた謂いで、大坂を指す。なお、筆者の津村淙庵は京都生まれで、後に江戸の伝馬町に移り住んで久保田藩(秋田藩)佐竹侯の御用達(ごようたし)を勤めた者で、関西人への差別意識は今までの叙述では私は感じない。この話も今の感覚から言えば、トンデモないことを書いている部分もあるが、私は概ね正しい事実記載と思うし、それが津村の大坂人蔑視を根底とするものとも思わぬ。
「ほひろひ」不詳。隠語や差別用語として近似するものを調べて見たが、出てこない。当初は「ほ」は「死骸」の意味かとも思ったが、そうした意味は見出せなかった。次に頭に浮かんだのは「脯」で「脯肉(ほじし)」であったが、これは「干し肉」の謂いで、この場合に全くそぐわないのでダメ。最後に思いついたのは、要は「歩いて犬の死骸を拾う」のだから『「步拾ひ」ではないか?』で私の中では強引に決着させてしまった。識者の御教授を乞うものである。
「利勘」何事にもまして何より利害得失をまず計算して取り掛かること。損得に敏感で抜け目がないこと。もっとフラットな意味なら、経済的なことを言う。
「錐毛」対象がごくごく小さく僅かなことを言っている。
「廉」安価であること。
「漆(うるし)の實(み)を製したる」これは所謂、「木蠟(もくろう)」「生臘(きろう)」と呼ばれるもので、ムクロジ目ウルシ科Anacardiaceae の櫨(はぜ:ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum)や漆(ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum)の果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した広義の蠟を指す。ウィキの「木蝋」によれば、『化学的には狭義の蝋であるワックスエステルではなく、中性脂肪(パルミチン酸、ステアリン酸、オレイン酸)を主成分とする』。『搾ってからそのまま冷却して固めたものを「生蝋」(きろう)と呼び、さらに蝋燭の仕上げ用などにはこれを天日にさらすなどして漂白したものを用いる。かつては蝋燭だけでなく、びんつけ、艶(つや)出し剤、膏薬などの医薬品や化粧品の原料として幅広く使われていた。このため商品作物として明治時代まで西日本各地で盛んに栽培されていた』。『長崎県では島原藩が藩財政の向上と藩内の経済振興のため、特産物として栽培奨励をしたので、島原半島で盛んにハゼノキの栽培と木蝋製造が行われた。特に昭和になってから選抜された品種、「昭和福櫨」は、果肉に含まれる蝋の含有量が多く、島原半島内で広く栽培された。木蝋製造は島原市の本多木蝋工業所が伝統的な玉絞りによる製造を続け、伝統を守っている』。『愛媛県では南予一体、例えば内子(内子町)や川之石(八幡浜市、旧・西宇和郡保内町)は、ハゼノキの栽培が盛んであった。中でも内子は、木蝋の生産が盛んで、江戸時代、大洲藩』六『万石の経済を支えた柱の一つであった。明治期には一時、海外にも盛んに輸出された』とある。ダブる記載が多いが、ウィキの「蝋」の「木蝋(生蝋)」の部分も引いておく。まず「ハゼ蝋」の項。『ハゼノキの果実から作られる蝋。主として果肉に含まれるものであるが、果肉と種子を分離せずに抽出したものでは種子に含まれるものとの混合物となる。伝統的には蒸篭で蒸して加熱した果実を大きな鉄球とこれがはまり込む鉄製容器の間で圧搾する玉締め法が、近代工業的には溶剤抽出法が用いられる。和蝋燭や木製品のつや出しに用いられる』。『日本では主に島原半島などの九州北部や四国で生産されている。日本以外では"Japan wax"と呼ばれ、明治・大正時代には有力な輸出品であった』。二十一『世紀初頭の現在において海外で人気が復活しているが、日本国内での生産量は減少の一途で、特に良質の製品が得られる玉締め法を行っている生産者は長崎県島原市にわずかに残るのみである』。『木蝋の主成分はワックス・エステルではなく、化学的には中性脂肪で』、『主成分はパルミチン酸 CH3(CH2)14COOH
のトリグリセリド』。以下、「ウルシ蝋」の項。『ハゼノキと近縁なウルシの果実からもハゼ蝋と性質のよく似た木蝋が得られる』。『江戸時代、東北など東日本が主産地だったが、ハゼ蝋に押され、現在の日本ではほとんど生産されていない』。『主成分はハゼ蝋と同じパルミチン酸グリセリド』である、とある。アカデミストでウィキ嫌いの連中のために、「日本特用林産振興会木蝋」公式サイト内の「未来を拓く産業としての<木蝋>」をリンクさせておく。製造工程が画像で示されておる。また、そこには「木蝋日本地図
─ 櫨の実産地と木蝋スポット」・「櫨の実の生産量」・「木蝋の生産量/輸入量/輸出量/消費量」・「木蝋の輸出量と輸出先」(総てPDF)といった学術教信奉者にはこたえられないヴィジュアルな正式資料もある。どうぞ! しかし、ちょっと不思議なのは、このハゼ蠟もウルシ蠟もその原料は西日本が圧倒しているんだけど? ちょっとこの話と合わなくない?
「價限(かぎり)ありて」原材料及びその加工過程等から値段を下げるには限度があって。「魚油獸肉」「魚油(ぎよゆ)・獸肉」。
「かます」漢字では「叺」と書く。藁莚(わらむしろ)を二つ折りにして作った袋。穀物・塩・石灰・肥料などを入れる。
「忍人」「ニンジン」と音読みしているか。その「犬とり」の中でも残酷な性質(たち)の人の謂いであろう。
「かたげたる」「担げたる・肩げたる」で、肩に(かますを)「載せて(担いで・担(にな)って)いる」の意。
「へら」「箆(へら)」。
「氷(こほり)てかたまる」これはゼラチンを含んだそれが煮凝ったものと当初は読んだが、直後の次なる製法中に「寒中」とあるので、実際に見た目、凍る部分もあるようである。
「をしき」「折敷」。へぎ(杉材や檜材を薄く剝いだ板)を折り曲げて縁(ふち)とした角盆或いは隅切りの盆。足を付けたものもある。近世以降は食膳としても用いた。
「くだき」「碎き」。
「せうふ」歴史的仮名遣の誤りであろうと思われ、これは「しやうふ」で、「正麩(しょう ふ)」のこととであると推定する。小麦粉に食塩水を加えて捏ね、それを水洗いして小麦の蛋白質(グルテン)と分離させた小麦の澱粉(でんぷん)。糊などに利用する。
「くず」「葛」。マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属クズ Pueraria lobata。
「せんじ」「煎じ」。
「匂ひぬき」「匂ひ拔き」。どのような薬かは不詳。
「腥臊」「腥」は「生臭い臭い」、「臊」は「生臭い」と「脂」の謂いがあるので、むっとした生臭く脂臭い耐えられないような臭いのことと考えてよい。
「地利をつくし、工を用る事」この場合、前述の内容からいうと、犬殺しの対象となるような野犬が多いとか、死人の骸とかを入手し易いとかは、人が集まる都会ならではの「地の利」ではあろう。また、それらの獣の肉を巧みに処理して蠟を精製するのは、確かに巧みなる匠(たくみ)の技とは言えないだろうか? 私は「言える」と思う。
「なずらふるものなし」匹敵し得る者はいない。]
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