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2016/10/25

甲子夜話卷之二 34 猫の踊の話

2―34 猫の踊の話

先年角筈村に住給へる伯母夫人に仕る醫、高木伯仙と云るが話しは、我生國は下總の佐倉にて、亡父或夜睡後に枕頭に音あり。寤て見るに、久く畜ひし猫の、首に手巾を被りて立、手をあげて招が如く、そのさま小兒の跳舞が如し。父卽枕刀を取て斬んとす。猫駭走て行所を知らず。それより家に歸らずと。然ば世に猫の踊を謂こと妄言にあらず。

■やぶちゃんの呟き

「角筈村」「つのはずむら」。現在の新宿区西新宿と歌舞伎町及び新宿の一部地域に相当。一部を除き、幕府直轄領であった。ウィキの「角筈によれば、地名の由来は、この『角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で、角にも矢筈』(矢の末端の弓の弦 (つる)を受けるY字型の部分。矢柄を直接筈形に削ったものと、竹・木・金属などで作って差したものとがある)『にも見えたことから、人々が与兵衛を角髪または矢筈と呼び、これが転じて角筈となった』とする説を新宿区教育委員会は有力としている、とある。

「住給へる」「すみたまへる」

「仕る」「つかふる」。

「高木伯仙」不詳。

「云る」「いへる」

「話しは」「はなせしは」。

「我」「わが」。ここから「歸らず」までが高木の直接話法。

「下總の佐倉」「しもふさのさくら」。現在の千葉県佐倉市。

「寤て」「さめて」。眠りから覚めて。

「畜ひし」「かひし」。飼っていた。

「手巾」「てふき」。

「被りて立」「かぶりてたち」。

「招が如く」「まねくがごとく」。

「跳舞が如し」「とびまふがごとし」。

「卽」「すなはち」。

「枕刀」「ちんたう」。

「取て斬んとす」「とりてきらんとす」。

「駭走て」「おどろきはしりて」。

「行所」「ゆくところ」。

「然ば」「しからば」

「猫の踊」「ねこのをどり」。サイト「小猫の部屋」の年をとると猫股になる(ヴィジュアル的にも面白いページである)の「猫股のダンス」の条によれば、『鳥山石燕(とりやませきえん)の「画図百鬼夜行」』(安永五(一七七六)年)『の「猫また」を始め、猫股をモチーフとした絵画や浮世絵では、頭に手拭いを乗せて踊っている姿を多く見かけます。その端緒とでもいうべき逸話は、江戸中期』、宝永五(一七〇八)年刊の『「大和怪異記」の中に早くも登場していました』。『筑後国(現在の福岡県)に暮らすとある侍の家では、夜になると手鞠ほどの大きさもある火の玉が現れ、家人に怪をなしていた。ある日主人が何気なく屋根の上を見ると、一体何年生きているのかわからないようなすさまじい猫が、下女の赤い手拭いを頭にかぶり、しっぽと後ろ足で立ち上がって手をかざして四方を眺めているではないか。すかさず矢を射ると見事に命中し、怪猫は体に刺さった矢を噛み砕きながら死んでしまった。屋根から引き落としてみると、そのしっぽは二つに裂け、体長は五尺』(一・五メートル)『ほどもあった』とあるとし、このように元禄後期から宝永初めの一七〇〇年代初頭の『時点ですでに、「猫股が人間のように立ち上がる」という擬人化が進んでいたと考えられます』と述べられた後、それから百年以上後の本「甲子夜話」の本条の訳が示され、さらに同じく『角筈(現在の東京都新宿区)に暮らしていた光照という女性が体験した「飼っていた黒毛の老猫が侍女の枕元で踊りだしたので布団をかぶって寝た振りをした」といったエピソードが紹介されています』とある(後者は「甲子夜話 卷之七」の24「猫の踊」である)。』こうしたことから、一七〇〇年代初頭に『現れ出した「猫股は踊る」というイメージが』、百年以上『の時を経て徐々に固定化されていった流れを確認することができます』とある(「甲子夜話」の執筆開始は文政四(一八二一)年)。

「謂」「いふ」。

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