譚海 卷之一 鰹魚を釣るに用る牛角の事
鰹魚を釣るに用る牛角の事
○鰹(かつを)を釣るには餌を用ひず牛の角にて釣る也。生(いき)たる牛の角を刄物(はもの)にて段々けづりされば、しんの所鰹ぶしのしんの色のごとく、うつくしくすき通る樣になる、其かふばしき匂ひ、誠にくふて見たき程なり。その角のしんの先へ釣(つり)はりを仕込(しこみ)、(針の際へふぐの皮を付る事也。)その角を繩に付(つけ)海へ投ずれば、かつほ此(この)角の匂ひを慕ひてそのまゝくひつけば、鈎(はり)さきにかゝりてはなるゝ事ならず。それを引あげ引きあげ舟に入(いれ)、ざんじに舟の内(うち)山の如くにとり得らるゝ事也。餘り澤山釣(つり)けるときは、わにざめの鰹をしたひきて呑(のま)んとするゆへ、舟の難儀に及ぶゆへ、見はからひて、澤山に釣(つり)あまる程の時は、鰹を五六本十本程づつ繩にくゝりて海中へなげやり、其まぎれに船をこぎもどすと也。此牛の角伊豆の大島よりくる、百本づつかます入(いれ)にして江戸鐡砲洲(てつぱうず)邊(へん)にある事也。扨(さて)大島にて此牛の角をとる事、元來大島牛多く生産して田畑なき所ゆへ、耕作に遣ふ用なければ、角をとりてかくうりしろなす事也。牛の角をとらんとする時、島の内の人殘らず組合(くみあひ)、流人(るにん)をももよほして一時に牛を追出(おひいだ)す。牛大勢に追はれて段々海邊(うみべ)へ行(ゆき)つまり、行所(ゆきどころ)なくして海岸にたちて居るを、棒を人々もちてねらひよりて牛の角をうち落す、牛(うし)角を落されて悲鳴する事云(いふ)ばかりなし。それを百本づつ俵(たはら)にして送る也。牛角を落されたる跡、しんありてわづかに殘れり。壹寸程高く生出(おひいで)たる跡殘りて有(あり)。月をへて疵(きず)いゆれども、又角を生ずる事なし、されば大島には角のなき牛多しとぞ。
[やぶちゃん注:「(針の際へふぐの皮を付る事也。)」は底本にないものを編者が対校正本によって補ったことを示すもので、割注ではない。果たして、牛の角の芯の性質が、ここに書かれたようなもの(釣りの餌となる)であるかどうかは私は知らない(なってもおかしくはないとは思う)。但し、牛の角は芯の部分は血管も神経も通っているので、後にも出るが、牛は角を強く叩かれたり、切られたりすれば非常に痛がるはずである。ブログ「牛コラム」の「導入直後の除角」を参照されたい(たいしたことはないが一枚だけ除角直後の映像が有る。クリックは自己責任で)。そもそもこの文章、牛の角を加工して鰹漁の釣針にしたというのなら、腑に落ちるのだが。ここに書いてあるのは、本当に事実なのだろうか? 個人サイト「TROLLING FAQ INDEX」のこちらに本条を引き、私と同様の疑問を呈されつつも、『ここに描かれているのは現代の和角ともうほとんど変わりがないと言えます。ただ、「其香ばしき匂い」というのはあまり合点が行きません。削った人なら分かると思いますが、その臭いは結構きついものがあります。皮加工か獣臭のような臭い、濡れるとさらにきつくなるこの臭いは、あるいは魚にとってはgood smellなのかもしれませんが』と附言してはおられる。
「針の際へふぐの皮を付る事也」このフグの皮は一種のフライの飾りのように思われる。
「わにざめ」サメ類の古くからの総称。
「かます」「叺」。藁莚(わらむしろ)を二つ折りにして作った袋。
「江戸鐡砲洲(てつぱうず)」現在の東京都中央区東部の湊(みなと)や明石町(あかしちょう)に相当する地名。徳川家康の入府当時、鉄砲の形をした洲の島であったことに由来とも、寛永の頃にこの洲浜で鉄砲の試射をしたことに由るとも伝える。
「壹寸」三センチメートル。
「又角を生ずる事なし」牛の角は骨の上に角質が載っているもので、生え変わったりはしないので、盛り上がって少し伸びることはあっても元通りの角は生えない。]