諸國百物語卷之三 六 ばけ物に骨をぬかれし人の事
六 ばけ物に骨をぬかれし人の事
京七條がはらの墓所にばけ物ある、と、いひつたへければ、わかきものども、よりあひ、賭(かけ)づくにして、あるもの、一人、かの墓所へ、夜はんじぶんにゆき、くいをうち、かみをつけてかへらん、と、しければ、としのころ、八十ばかりなる老人、しらがをいたゞき、そのたけ、八尺ばかりなるが、かほは夕がほのごとくすゝけ、まなこは手のうちにひとつありて、まへ齒ふたつを、くい出だし、この男をめがけて、おいかくる。男、きもたましいもうせて、あたりちかき寺へにげこみ、御僧をたのむよし、申しければ、僧、長もちをあけ、入れをきければ、くだんのばけ物、この寺へ、をひかけきたりて、つくづくと見入れて、かへりけるとみへしが、かの長持のほとり、なにともしれず、犬の、骨をかぶりけるをとして、うめくこゑきこへけれども、僧も、あまりのをそろしさに、かゞみてゐられけるが、はや、ばけ物もかへりつらん。さらば、長もちより出ださん、と、ふたをあけみれば、くだんの男は骨をぬかれ、皮ばかりになりてゐけると也。
[やぶちゃん注:挿絵の右キャプションは「はけ物に骨をむぬかるゝ事」。滑稽(話柄自体は超弩級に残酷)な割に汚損がかなりひどいので、かなり清拭処理をした。この挿絵、絵師の茶目っ気が出ている。よくみると、左端に描かれてある五輪塔の水輪が「機関車トーマス」やないカイ!
「京七條がはら」「京七條河原」。処刑場としては少し北の六条河原が知られるが、一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注によれば、こちらの七条河原(鴨川の七条大路の東、三十三間堂の西方)は『古代、死体の遺棄地であり、のち、時宗の僧によって、庶民の墓地とされた時代があった』とある。
「賭(かけ)づく」何かを賭けにすることの意(「日本国語大辞典」は「賭けをすること」とし、「ずく」は接尾語とのみ記す)。三省堂の「大辞林」の「賭け徳(かけどく)」の項には「勝負事に賭ける金品」また、「賭け事」と解説し、「どく」は「ろく(禄)」の転とも「づく」の転ともいう、という解説が附されてある。
「くいをうち、かみをつけてかへらん」「杭を打ち、髪を附けて歸らん」。確かにそこに行ったことの証しである。翌日、昼間に皆して行って確認した上で、彼らから賭け物の金品を貰うための仕儀である。
「八尺」約二メートル四十二センチ。以上に巨大な爺の化け物である。
「かほは夕がほのごとくすゝけ」「顏は夕顏の如く煤け」。この場合の夕顔は夕顔の白い花で、「煤け」は窶(やつ)れた、の謂いであろう。顔は夕顔の花のように蒼白く窶れ。
「まなこは手のうちにひとつありて」「眼は手の内に一つありて」。挿絵を見て戴きたい。男に突き出している左手の掌に――目が――ある!
「まへ齒ふたつを、くい出だし」「前齒二つを、喰い出だし」。上額から前歯二本を牙のように剝き出しにしているのである!
「きもたましい」「膽魂」。
「御僧をたのむよし、申しければ」住持の僧を呼んで「助けてお呉んなせぇ!」と頼んだのである。
「長もち」「長持」。
「つくづくと見入れて」凝っと、何やらん、見回し、見回しして。
「かぶりけるをとして」齧り喰らう音がして。
「かゞみてゐられけるが」自然、ひたすら、しゃがみ込んで震えていたが。]
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