諸國百物語卷之四 十 淺間の社のばけ物の事
十 淺間(あさま)の社(やしろ)のばけ物の事
しなのゝ國に、何がしのさぶらひ、有りけるが、心、がうに、力つよき人なり。あるとき、家來をあつめて申されけるは、
「あさまの社(やしろ)にはばけ物ありと、きゝおよびたり。われ、此所にゐながら、これを見とゞけんもくちをしく、こよひ思ひたち、あさまへゆきて、ばけ物のやうす見んと思ふ也。もし、わがあとに一人にても、つききたらんものは、はらをきらすべし」
とせいし、二尺七寸の正むねの刀に、一尺九寸の吉(よし)みつのわき指をさしそへ、九寸五分のよろひどをしを、ふところにさし、五、六人ほどしてもつ、くろがねの棒をつえにつき、ころは八月中じゆん、月くまなき夜、あさまのやしろをさしてゆき、はいでんにこしをかけ、なに物にてもあれ、たゞ一うちにせんとまちゐける所に、ふもとのかたより、としのほど十七、八なる、うるはしき女、しろきかたびらをきて、三さいばかりなる子をいだききたりて、何がしをみて、云ふやう。
「さても、うれしき事かな。こよひはこのやしろにつやを申すに、よきとぎのおはしますぞや。あまりにくたびれたれば、なんぢはあの殿にいだかれよ」
とて、ふところよりおろしければ、この子、するするとはいのぼるを、何がし、もちたる棒にて、ちやうど、うてば、うたれて、此子、母がもとにかへりけるを、
「いだかれよ、いだかれよ」
とて、ひたと、おひかへす事、五、六どにおよべば、くだんの棒もうちまげゝれば、腰のかたなを、するりと、ぬき、此子を、ふたつに切りたをしける。かたわれに、又、目、はなつきて、此子、ふたりになりて、はいかゝるを、ふたりともに切りたをしければ、又、その手あし、むくろなどに、目、はな、つきて、子となり、ひたと、此子、かずをゝくなるほどに、のちには二、三百ほどになりて、はいでんにみちみち、一どに何がしに、はいかかる、母も、
「今は、それがしも、まいらん」
と云ふ。何がしも、かゝらばきりころさんとは思ひしかども、いづくともなく、うしろさむく、身の毛もよだちておぼへけるが、うしろのかたへ、大石(たいせき)などを、おとしたるほどのおと、しけるほどに、見かへりければ、そのたけ、十丈ばかりの鬼(をに)となり、何がしにとびかゝるを、九寸五分にて、つゞけさまに三刀(かたな)、さし、とつて引きよせ、とゞめをさす、と思ひしが、そのまゝ、心もうせはつるところへ、家來のものども、かけつけみれば、わき指(ざし)をさか手にもち、塔の九りんをつきとをしてぞ、ゐられける。ばけ物は、きへうせけるに、ぜひ一刀(ひとかたな)とおもわれしねんりきにて、九りんをつきとをされけると也。
[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「淺間の社のはけ物の事」。
「淺間の社」。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注には、長野県北佐久郡『軽井沢町追分の浅間神社、または松本市浅間温泉の御射山神社(浅間宮)であろう。追分の浅間神社は鬼神堂ろ呼ばれた時期がある』と記す。因みに、前者は「あさまじんじゃ」と読み、磐長姫神(いわながひめのかみ)を祭神とする。ここは芥川龍之介を始めとした文化人所縁の神社である。後者は調べる限り、現行では「御射(みさ)神社」と呼称しているようである。
「心、がうに」「心、剛に」。
「われ、此所にゐながら、これを見とゞけんもくちをしく」我れ、ここに居ながらにして誰彼をそこに遣わし、その変化(へんげ)のものを、見届けさすると申すも(己(おの)れを安全圏に退(ひ)いておいて、かくすると申すも)、まっこと、口惜しく、自身が許さぬ故。
「こよひ思ひたち」「今宵、思ひ立ち」。
「あさまへゆきて」「淺間へ行きて」。
「つききたらんもの」我らを心配して、こっそりと後をつけて来るような者は。
「はらをきらすべし」「腹を切らすべし」。「切腹、申しつくるであろうぞ!」。
「せいし」「制し」。家来たち全員に随行を禁じたのである。
「二尺七寸」約八十一センチ八ミリメートル。
「正むね」「正宗」。正宗(まさむね 生没年不詳)は鎌倉末から南北朝初期にかけて鎌倉で活動した刀工で、正宗は日本刀の名刀の代名詞となっており、彼が鍛えたとされるそれらには数々の伝承が付随する。
「一尺九寸」五十七センチ六ミリ弱。
「吉(よし)みつ」「吉光」。粟田口吉光(あわたぐちよしみつ 生没年未詳)は鎌倉中期の刀鍛冶で先の正宗と並ぶ名工とされ、特に短刀作りの名手として知られている。
「わき指」「脇差(わきざし)」。
「九寸五分」二十八センチメートル八ミリ弱。
「よろひどをし」「鎧通(よろひどほ)し」歴史的仮名遣は誤り。組み打ちの際の武器(名称は鎧を貫通させる意)とした短刀。反りがなく、長さはまさに九寸五分前後のものを言う。「馬手(めて)差し」或いは単に「めて」とも称した。
「くろがねの棒」「鐡(くろがね)の棒」。「鬼に金棒(かなぼう)」の鉄製の打撲面に尖った突起を持った総金属製の棒。金砕棒(かなさいぼう)。ウィキの「金砕棒」によれば、『日本の打棒系武器の一種。 南北朝時代に現れたと考えられ、初期のものは、櫟』・栗・樫などの硬い木を』一・五メートルから二メートルほどの『八角棒に整形したものに「星」と呼ばれる正方形あるいは菱形の四角推型の鋲と箍で補強したものであったが、後に「蛭金物(ひるかなもの:帯状の板金)」を巻き付たり長覆輪(ながふくりん:鉄板で覆う)といった鉄板で覆って貼り付け補強した』拵えとなり、『さらに後世、完全な鉄製(時代を経るごとに鋳物製から鍛鉄製の順に移行)となった』とある。
「八月中じゆん」「八月中旬」。旧暦であるから、既に秋で中秋の名月の前後である。
「月くまなき夜」「月、隈無き夜」。皓々たる月光の中というシチュエーションがこの後の奇体な変化(へんげ)の分身術のシークエンスを盛り上げる。
「はいでんにこしをかけ」「拜殿に腰を掛け」。
「うるはしき女」「麗しき・美(うるは)しき女」。
「しろきかたびらをきて」「白き帷子を着て」。他の話にも何度も出てきた、裏を付けていない白い単衣(ひとえ)。
「いだききたりて」「抱き來りて」。
「云ふやう。」句点は底本のママ。
「つや」「通夜」。この場合は、社寺に夜通し籠って祈ることを言う。
「よきとぎのおはしますぞや」「良き伽の御座しますぞや」。「伽」は夜明かしの勤行する際の(時間潰しの話し)相手。通夜の祈禱と言っても、修行僧の勤行のようなものとは違って、ずっとき祈りをささげ続けるわけではない。寧ろ、それを口実に酒食や談話に興じたりすることの方が、実際には多かった。
「するすると」如何にも妖怪じみた機敏にしてキビ悪い動きのオノマトペイア。
「はいのぼる」「這ひ登る」。歴史的仮名遣は誤り。
「ちやうど」「チョウ!」と。打ちこむ際のオノマトペイア。実際、打ち込む際に「ちょうッツ!」叫んだりもする。
「ひたと」直ちに。ただ、ひたすらに。後のも同じ意。
「くだんの棒もうちまげゝれば」「件の棒も打ち枉(ま)げければ」。かの金棒を、この幼児は遂に素手で捻り曲げてしまったのである。それだけでも恐るべき怪力の妖児であるが、これだけでは済まない。
「ふたつに切りたをしける」「二つに切り仆(たふ)しける」。「倒(たふ)し」でもよいが、歴史的仮名遣では「たをし」は誤り。
「かたわれに、又、目、はなつきて、此子、ふたりになりて、はいかゝるを」「片割れに、また、目・鼻附きて、二人に成りて這ひ掛かるを」「はい」は歴史的仮名遣の誤り。挿絵の通り(この挿絵は、その瞬間を文字通り、美事にスカルプティング・イン・タイムしている点に着目!)、切った半身(はんみ)が瞬時に一体に再生するのである。以下、驚異の再勢力を持つ扁形動物門渦虫(ウズムシ)綱三岐腸(ウズムシ)目 Tricladida のプラナリア類(Planaria:生物学で「プラナリア」という場合、本邦では、北海道北部を除く日本に普通に産する淡水性のそれ、三岐腸(ウズムシ)亜目サンカクアタマウズムシ科ナミウズムシ属ナミウズムシ(並渦虫)Dugesia japonica を指すと考えてよい)か、「X-MEN ファイナル・ディシジョン」(X-Men: The Last Stand 二〇〇六年)に出てくる、分身術を操るミュータント「マルチプル・マン(Multiple Man)」みたようなもんだな。
「むくろ」「骸」。ここは特異な用法で、ばらばらに斬られたその妖児の肉片。
「此子、かずをゝくなるほどに、のちには二、三百ほどになりて、はいでんにみちみち」「この子、數多(おほ)く成る程に、後には二、三百程(の分身)に成りて、拜殿に滿ち滿ち」(「ををく」の歴史的仮名遣は誤り)。それらの雲霞の如き多数の再生分身が「一どに何がし」(一度にかの主人公何某(なにがし))「に、はいかかる」(「這ひ掛かる」の誤り)というと併せ、ヴィジュアルに実に凄い!
「かゝらばきりころさん」その母なる女の変化(へんげ)が襲いかかってきたら、即座に切り殺してやると。
「いづくともなく」「何處とも無く」。何とも言えず。わけもなく。
「うしろさむく」「後ろ・背後(うし)ろ寒く」。
「うしろのかたへ大石(たいせき)などを、おとしたるほどのおと、しけるほどに」突如、自分の背後の方で、巨大な岩石などを、髙いところから何者かが投げ落としたような音が、したので。
「十丈」三十メートル三十センチ弱。
「九寸五分」前に出た鎧通し。
「とつて引きよせ」「捕つて引き寄せ」。
「とゞめをさす」「止めを刺す」。
「心もうせはつる」「心も失せ果つる」。失神したのである。
「塔の九りん」石製の九輪塔。特に寺院の五重の塔のような建物の描写がないので、これは実際の高い木造塔の頂きに飾られる相輪(塔の最上部にある装飾部分で下から露盤・伏鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・九輪・水煙・竜舎・宝珠の七つから成る)の部分名である「九輪」。露盤上の請花(うけばな)と水煙(すいえん)との間にある九つの金属製の輪で「宝輪」「空輪」などとも呼ぶ)ではない(遙か十数メートル上のその「九輪」に彼の鎧通しが突き刺さっていたなら、これ、私は素敵に雄大で面白くなると思うのだが)。これは所謂、等身大或いは少しそれよりも高い、本来の前の「九輪」のミニチュアである石塔の「九輪」「相輪」である。但し、仏塔の最上部のその「相輪」全体を「九輪」と称することもあり、ここはそれでよい。要は、恐らくは高い確率で宝篋印塔の最上部のとんがったそれである。
「つきとをしてぞ、ゐられける」「突き通(とほ)してぞ、居られける」。石の九輪を鎧通しで貫通させていたというのだから、これ自体が、瞬発的な怪力、神業、まさに「念力」とも言うべき仕儀である。その映像を想像すると、これまた、凄い。上手いコーダと言える。]