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2016/10/21

谷の響 二の卷 一 大章魚屍を攫ふ

 谷のひゞき 二の卷

 

        弘府 平尾魯僊亮致著

 

 

 一 大章魚屍を攫ふ

 

 文化三四年の頃なるよし、西の海濱(はま)なる澤邊村の者、夜中一箇(ひとり)に騎(のり)眠りながら艫作(へなし)の海汀(はま)を通りしに、馬は脚を停(とゞ)めて嘹呻(うな)る音に目を覺して見やりたれば、いとすさまじく大きなる章魚の、馬の脚にからみてありけるに、卽便(そのまゝ)鎌もて章魚の脚を斬棄て脱退(にげの)きて、村の者共にかゝる事ありしと語りければ、そは偸間(なほざり)の事ならず放下(すて)かんには人をも取るべしとて、數々(しばしば)これを覬觀(うかゞ)へどもそれと見るべき物も見えず。

 爾るに五六日も過て、同國修業の六部のものこの艫作村にて病死したれば、こを葬るとて濱邊の小高き土(ところ)にて火葬に爲してありけるが、まだ片時(かたとき)もあらぬうち十四五丁の先の澳(おき)より、浪を卷いて岸に浮寄(よりくる)ものあれば、これぞかの大章魚ならんと暴卒(にはか)に闔邑(むらちゆう)に徇布(ふれ)て、其浪のあとへ舟を漕ぎ寄せ、大網を張て脱るべき路を絶塞(たちき)り、陸にはみなみな待設けしに、章魚は火を望て眞文字に濱邊に搖り上り、浪をせきて火葬の火を打消し、死人を搦(から)んで囘頭(ひきかへ)さんとするに、豫て期したる邑の者ども鉈鎌などの得ものをもて、萬段(ずたずた)に裁斷屠(きりはふ)りて殺したりき。左有(さる)に此章魚はいと大きなるものにて、頭は六尺にあまり脚の周(まはり)は五六尺もあるべし。長さは三間あまりなるが此(これ)が頭を解(ひらい)るに、人の髑髏(とくほね)五個・馬の髗一個・骸骨・臟腑・尾髮の類いと生々しく、未だ血に塗(まみ)れたる有狀(ありさま)にて目冷(めさま)きこと見るべくもあらず。かくて是等のものを搔あつめて俵に内(い)るゝに、五俵あまりもありければ頓(やが)て土中に埋め葬(をさ)め、且章魚の軀(むくろ)をもその傍に埋め、僧を請うて囘向(えかう)をなせり。土人(ところのひと)こを號(なつけ)て蛸塚といへるとなん。

 却説(さて)是より先、土(ところ)の老父の言ひけるは、世にかゝる大きなる章魚の復(また)と有まじければ、人にも見せ世にも知らすべしとありて、疣(いぼ)一個(ひとつ)截(きり)取りて鰺ケ澤の岡部文吉と言ひしものに贈りしが、こを櫃(ひつ)に盛るに椽(ふち)より餘りければ、見る者悉(みな)興を覺して奇異の思ひを爲せり。又、此疣を解(ひらい)て見るに、二三分ばかりの剃毛(すりけ)のごときもの多くありといへり。この時伊勢屋善藏と言へるもの、鯵ケ澤にありて親しく視たりしとて語りけり。

 又、これと一般(ひと)しき一話(はなし)ありき。さるは往ぬる安政四丁巳の年の四月、醫師(くすし)吉村氏の亭にて小野某の語りけるは、今年(ことし)より二十年ばかり先きにて有けん、越後國にていと巨(おほ)きなる章魚を捕得しことあり。そは、越後某(それの)村の海汀(はま)の山壇(やまて)に荼毘(だび)所ありけり。或時土(ところ)に身罷(みまかれ)るものありてこの地に昇て火葬を爲し、翌日(あくるひ)親屬の者ども遺骨を治(をさむ)るとて往きたりしに、一片(ひら)の骨だになく四邊は悉(みな)箒して掃(はら)へるがごとくなるに、いたく訝(いぶか)り怪しめど詮(せん)術(すべ)なければ只得(ぜひなく)歇止(やみ)ぬ。しかして又二十日あまりにして死人を火葬する事あるに、こも嚮(さき)の如く骨とおぼしきもの更に無し。土人(ところのひと)不審はれやらず、捨置くべきにあらざればとて闔村(むらじゆう)寄りて評議するに一老父の曰、章魚の年を經たるものは陸に上(あが)りて牛馬及び人をも捕噉(くら)ふと言ふ古き傳へもあれば、必ず夫等のなす業にやあらんとありしかば、實に實にさる事もあらめ卒(いざ)や試(ため)し見んとて、其日荼毘所に空(から)火を焚き、數十人の者ども山壇(て)に隱れて闚(うかゞ)ひしに、やがて申(むつ)上ともおぼしき頃、遙(はるか)の沖の面(おもて)より浪を疊んで來るものあり。稍(やゝ)間(ほと)近くなりてこれを見れば、果して巨大(おほき)なる章魚にぞありける。衆(みな)々さればこそとて示し合せて用意を爲(し)つるに、章魚は忽ち浪を卷いて陸に上り、火を打滅(け)して屍を捕らんとすれど一物も無ければ、頭を擎(さゝげ)て四面(あたり)を看眺(みわた)し暫時(しばし)して歸らんとするに、村の者ども速く其歸るべき路に稃(すりぬか)を一面に播散らして置きしかば、この稃章魚の疣に貼着(ひつつ)き苦しむうち、僉々(みなみな)起蒐(たちかゝ)りて散々に斬殺し、その肉をば殘らず噉ひ盡せりとなり。さて、この章魚の脚の圍(まはり)三尺八寸ありしと聞しかど、其他(よ)の尺度(しんしやく)は聞ざりしと語りけり。こは甚類(いとに)たる話説(はなし)なれど、寰宇(よのなか)には事の跡の等しきが多かれば、さして疑ふべきにあらずなむ。

 

[やぶちゃん注:標題「大章魚屍を攫ふ」は「大章魚(おほだこ)、屍(かばね)を攫(さら)ふ」と読む。以下、冒頭の大蛸が馬を襲うという奇譚は、襲った蛸が逆にその馬に陸に拉致されて乗馬状態で捕獲されるという、大爆笑実録譚が先に電子化した「佐渡怪談藻鹽草 大蛸馬に乘し事」としてある。未読の方はゼッタイ、お薦め! なお、流石に蛸が馬を襲うというのは近代以降には聴かぬが、「タコが陸に上がって芋を食う」というのを信じている方は、実は現在でもかなり多い。一読、信じられない話だが、蛸が夜、陸まで上がってきて、じゃが芋や薩摩芋、西瓜やトマトを盗み食いするという話を信じている人は、これ、結構いるのである。近いところでは、私は千葉県の漁民が真剣にそう語るのを聞いたことがある。実際、全国各地で、事実、畠や田圃に蛸が入り込んでいるのを見た明言する人も複数いるのであるが、生態学的には海を遠く離れることは、まず不可能であろう。たとえば岩礁帯の潮上線を越えて岩場に潜む蟹(蛸の好物である)を危険を冒して捕捉しようとするのを見たり、漁獲された後や搬送中に逃げ出した蛸が(個体によるが、一センチ程度の隙間があればかなり巨大な蛸でもバケットなどから脱出することは可能である)、畠や路上で蠢いているのを誤認した可能性が高いと私は考えている。また、タコは雑食性で、なおかつ極めて好奇心が強い。海面に浮いたトマトやスイカに抱きつくことは十分考えられ、その辺が、この話の正体ではないかと思われる。なお、水死体ならば、これはしばしば蛸の格好の餌食になる。これは東京湾で実際にそうした業務に携わっている方の著作で読んで成程と感心したのであるが、その具体的な様態はかなりエグい故に、ここでは割愛することとする。

「文化三四年」西暦一八〇六、一八〇七年。

「西の海濱(はま)なる澤邊村」底本の森山泰太郎氏の本話の補註に『西津軽郡岩崎村沢辺(さわべ)。日本海に臨んだ部落』とある。現在は合併により西津軽郡深浦町沢辺となった。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「艫作(へなし)」同じく森山氏の補註に『西津軽郡の岩崎村と深浦町の境に艫作(へなし)崎があり、小部落がある』とある。現在は合併と表記変更によって西津軽郡深浦町舮作(へなし)となっている。ここ(グーグル・マップ・データ)。近年、ブレイクした「黄金崎不老ふ死温泉」は深浦町大字舮作字下清滝で直近である(私は行ってみたく思ってはいるが、未だ行ったことはない)。

「嘹呻(うな)る」二字へのルビ。「嘹」(音「リョウ」)は「よく透る・よく響く」の意。

「偸間(なほざり)の事ならず」二字へのルビ。等閑(なおざり)。しかし、「偸」の字は不審で、これは「偸(ぬす)む」の意であい、敢えて言うなら、本字の持つ「ぬすむ」の意の中の「わずかの時間をやりくりして、何かをする」の意の、「わずか」を「いいかげん」の意に転じたものか。「おろそかにしておいてよいような事件ではない。」。

「放下(すて)かんには人をも取るべし」「そのまま何の対処せずに捨ておいたら、その蛸は人をも襲うに違いない。」。

「覬觀(うかゞ)へども」二字へのルビ。「覬」(音「キ」)は「窺う・望む」の意。

「六部」六十六部の略。法華経を六十六回書写して、一部ずつを六十六か所の霊場に納めて歩いた巡礼者、回国聖。室町時代に始まるとされるが、江戸時代には多くが零落し、仏像を入れた厨子を背負って鉦や鈴を鳴らしては米銭を請い歩いた、一種の僧形(そうぎょう)のホカイビト(乞食)ともなった。

「片時(かたとき)」一時(いっとき)の半分の「半時」と同じい。約一時間であるが、ここは、「ほんのわずかな時間」の意でとってよかろう。

「十四五丁」一キロ五百から六百メートルほど。

「澳(おき)」「沖」。

「闔邑(むらちゆう)」二字へのルビ。「闔」(音「コウ」)は「総て」の意。「邑」(音「ユウ」)は言わずもがな、「むら」(村)の意。

「徇布(ふれ)て」二字へのルビ。「徇」(音「ジュン・シュン)は「遍(あまね)く・唱える」の意。

「其浪のあと」その波しぶきの後。こっそりと蛸の泳ぐ後ろに舟を迂回させたのである。「大網を張て脱るべき路を絶塞(たちき)り」とあるから、最低でも左右に二艘である。

「待設けしに」「まちまうけしに」。待ち受けていたところが。

「望て」「のぞみて」。指して。

「浪をせきて」「波を堰きて」。腕足を以って海波を堰き、それを有意に浜辺から離れた、しかも小高い丘の上の「火葬の火」に、「ザッ! バァッツ!」と押し投げかけ、一瞬にして、それ「を打消(うちけ)」してしまったというのである。その巨大さが判ろうというものだ。

「豫て期したる」「かねてきしたる」。事前に準備万端整えていた。

「鉈鎌」「なた・かま」。

「得もの」「得物」。「武器」の意。

「萬段(ずたずた)に裁斷屠(きりはふ)りて」孰れも小気味いい当て訓である。

「頭は六尺にあまり脚の周(まはり)は五六尺もあるべし。長さは三間あまりなる」頭部(生物学上は胴部)の大きさ(縦長)だけで一・八メートルを有に越え、触手(恐らくは頭部に接続する根の先の一番太い基部)の腕回りだけでも一・五~一・八メートルはあって、全長はこれ、実に五メートル四十五センチメートルほどもある。

「髑髏(とくほね)」読みはママ。髑髏(どくろ)。頭蓋骨。

「髗」音「ロ」で訓は「かしら」であるから、馬の頭蓋骨。

「骸骨」ばらばらになった人馬の骨片であろう。

「尾髮」消化出来ない馬の尾や人間の頭髪、ととっておく。

「類いと生々しく」「たぐひ、いと生々しく」。

「目冷(めさま)きこと見るべくもあらず」不快極まりなく、直視するに堪えない惨状であったのである。

「搔あつめて」「搔き集めて」。

「俵」「たはら」。

「且」「かつ」。

「傍」「かたはら」。

「埋め」「うづめ」。

「囘向(えかう)」「ゑかう」が正しい。

「號(なつけ)て」読みはママ。

「櫃(ひつ)」大きなものでは、蓋が上に開く大形の唐櫃(からびつ)・長櫃などがあるが、ここは吸盤一個であり、先の測定記録から、飯を入れておく「おひつ」ととるべきである。

「椽(ふち)」「緣」。

「覺して」「さまして」。醒まして。

「二三分」「にさんぶ」。六~九ミリ。

「剃毛(すりけ)」剃毛(ていもう)してそこに和毛(にこげ)の生えたようなものの謂いであろう。不詳。或いは蛸の吸盤の襞のことをかく言っているか? しかし「毛」には見えないと思う。もしかすると、視認の印象ではなく、触った感じが頭を剃って有意に時間が経って、少し毛が生えたようなざらざらした感じを表現したものかも知れない。

「一話(はなし)」二字へのルビ。

「安政四丁巳の年の四月」安政四年は正しく「丁巳」(ひのとみ)。西暦一八五七年。

「今年(ことし)より二十年ばかり先き」天保八(一八三七)年前後。

「越後國にていと巨(おほ)きなる章魚を捕得しことあり」「越後國にて、いと巨(おほ)きなる章魚を捕り得しことあり」。

「某(それの)村」村名を意識的に隠した表現。実際には実在する村名が語られたであろう(でなくてはその場の聴き手は信じない)。では何故、伏せたか? 私は高い確率で、この話の最後で村人らが「その」死人(しびと)の肉を喰らった大蛸のその「肉をば殘らず噉」(くら)「ひ盡」したからだと思うておる彼らは間接的にカニバリズム(cannibalism:食人行為)を犯していることになるからである。

「箒して」「はうき(ほうき)して」。箒で以って。

「只得(ぜひなく)」二字へのルビ。

「歇止(やみ)ぬ」二字へのルビ。

「嚮(さき)」「先」。「嚮」(音「キョウ」)は「向」の正字。「ある方向に向かう」以外に「以前・先きに」の意がある。

「夫等」「それら」。

「業」「わざ」。

「實に實に」「げにげに」。

「山壇(て)」「やまて」(山手)。「て」は「壇」一字へのルビ。

「闚(うかゞ)ひしに」「闚」(音「キ」)は「小さな穴や隙間から覗(のぞ)く・窺(うかが)う」或いは「密かに探る」の意。

「申(むつ)上」「むつのうへ」と訓じておくが、この「むつ」という訓(ルビ)はおかしい。何故かというと、「申」は午後三時から五時を指し、その「上」刻(昔、一刻(二時間)を上・中・下に三等分したうちの最初の時刻)となると、前者では午後三時から三時四十分頃を指すことになるのに、別な定時法である、ルビにある「むつ」、「六つ時」とは暮れ六つ午後六時で、その上刻となると、午後六時から六時四十分頃となるからである。季節によってロケーションが大きく異なるが、ここは前者では明る過ぎて、荼毘の火が映像にちっとも映えない。ここは私は後者の午後六時から六時四十分頃をとる。なお、森山氏の補註にはこれを『午後五時ごろ』とされているのであるが、午後五時は定時法では「申の下の刻」に相当し、また「七つ」から「七つ半」であり、孰れも合わない。或いは森山氏は蛸が活発に動くのだから、冬とロケーションを設定され、しかも「申」を無視して、不定時法の「むつ」(暮れ六つ)ととられたのかも知れぬ何故なら、冬至の頃ならば、確かに「暮れ六つ」の始まり(上刻)は午後五時半頃になるからである。ともかくもこの本文とルビは頗る不審はである。

「間(ほと)近く」読みはママ。程近く。ごく近く。

「打滅(け)して」「うちけして」。

「屍」「かばね」。

「稃(すりぬか)」稲の実の最も外側の外皮、籾殻(もみがら)のこと。「磨糠(すりぬか)」。「粗糠(あらぬか)」「籾糠(もみぬか)」或いは単に「籾(もみ)」とも称する。

「播散らして」「まきちらして」。

「稃章魚の疣に貼着(ひつつ)き苦しむうち」水分や軟体部を大気から保護する粘液を吸収してしまい、また吸盤部にもくっ付いて吸着力が著しく減衰してしまうため、蛸は身動きがとれなくなるのである。

「起蒐(たちかゝ)りて」二字へのルビ。「蒐」には「集まる」の意がある。

「斬殺し」「きりころし」と訓じておく。

「三尺八寸」約一メートル十五センチ。

「尺度(しんしやく)」「斟酌」か。あまり良い当て読みではないと思う(「斟酌」は孰れも液体を「汲み測る」の謂いであって主に容積の計量表現だからである)。それ以外の全身や各部の長さ・大きさのデータ。

「聞ざりし」「きかざりし」。

「甚類(いとに)たる」「いと似たる」。ここまでくると、やり過ぎ。却って読み難にくいだけである。

「寰宇(よのなか)」音「クワンウ(カンウ)」で「天下・世界」の意。

「事の跡の等しき多かれば」「事蹟」の謂いであろう。事件・事例のごくごく類似したものが多いから。西尾はオオダコ譚が全国津々浦々(まさに文字通りだ)に多くある以上、これを法螺話とするべきではないという判例主義を採っているのである。]

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