諸國百物語卷之五 一 釋迦牟尼佛と云ふ名字のゆらいの事
諸國百物語卷之五 目錄
一 釋迦牟尼佛といふ名字の由來の事
二 二桝をつかいて火事にとられし事
三 松村介之丞海豚魚にとられし事
四 播州ひめぢの城ばけ物の事
五 馬場内藏主大じやをたいらげし事
六 紀州わか山松もとや久兵衞が女ばうの事
七 三本杉を足にてけたるむくいの事
八 狸廿五のぼさつの來迎をせし事
九 吉田宗貞の家に怪異ある事付タリ歌のきどく
十 ぶぜんの國宇佐八まんへよなよなかよふ女の事
十一 芝田主馬が女ばう嫉妬の事
十二 萬吉太夫ばけ物の師匠となる事
十三 丹波の國さいき村いきながら鬼になりし人の事
十四 栗田左衞門介が女ばう死して相撲をとりに來たる事
十五 いせの津にて金のしうしんひかり物となりし事
十六 松坂屋甚太夫が女ばう後妻うちの事
十七 靏の林うぐめのばけ物の事
十八 大森彦五郎が女ばう死して後雙六をうちに來たる事
十九 女の生靈の事付タリよりつけの法力
二十 百物がたりをして富貴になりたる事
諸國百物語卷之五目錄終
諸國百物語卷之五
一 釋迦牟尼佛(にくるべ)と云ふ名字のゆらいの事
江戸日本橋によろづ屋半平(はんべい)と云ふ大あき人、有りけるが、まいねん、京へのぼりて買物せられし宿ありしが、後家にて、ひとりのむすめあり。みめかたち、うるはしかりければ、半平、心をかよはし、かきくどきけるが、むすめも半平に、かねがね、おもひいれ、たがいにおもひあいて、母にもかくとしらせ、たがひにあさからぬなかとなりけり。あるとき、半平、申しけるは、
「われは本國、江戸のものなれば、親子ともに江戸へひきこし、江戸にてゆるゆるとすごし申すべし。われはまづ、さきへ下り、よろづのしゆびをとゝのへて、やがて、むかいにのぼすべし。いかゞあらん」
と、とひければ、むすめもよろこび、
「われらもかねがね、さやうにおもひ侍る也。又、くるとしの御のぼりまでを、まちかねまいらせ候へば、もろとも、江戸へまいり、あさゆふ、なれそひまいらせたき」
といへば、半平もうれしくて、本國江戸へかへりけるが、たびのつかれにや、くだりつくと、わづらひつき、とやかくとして月日をすごし、京へむかいにのぼす事も、うちわすれてゐたりける。かくとはしらで、みやこには、かのむすめ、むかいのおそきをまちかねて、あけくれ、半平のことのみを、おもひくらしてゐたりしが、そのこいのかぜやつもりけん、いつとなくわづらいつき、つゐにむなしくなりにけり。母のなげきはいふばかりなし。さて半平は、江戸にて此むすめの事をおもひいだし、さぞやむかいをまちかねつらん。今はなにとか暮し候ふやらんと、みやここひしく思ひ出しゐける所へ、
「よろづ屋半平どのは、こなたか」
と、たづねきたるを見れば、みやこにてちぎりしむすめ也。半平、うれしくて、
「さてさて、御身はなにとて御下り候ふや。きどくさよ」
とて、たがいのなみだ、せきあへず。むすめ、さまざまうらみかこちけるを、半平、さまざまいひわけして、やうやうなだめ、うちにいれ、一門どもへもひろうして、おもひのまゝに妻とせり。
「さて、母をもよびくださん」
といひければ、むすめ、
「まづ、二、三ねんもまち候へ」
とてとめければ、半平も、ともかくも、とて、うちすぎぬ。ほどなく、むすめ、くわいにんして、玉のやうなる男子をうめり。此子、三さいのとし、みやこに有りしむすめの母、半平をたづね、くだりける。半平、よろこび、あひければ、母、申されけるは、
「さてさて、御身を見るにつけても、なつかしや。御身にまいらせ候ふむすめ、むかいのをそきをまちかねて、おもひじにゝいたし候ひて、ことし三年になり申す也。むすめがはてゝこのかたは、たれをたよりにする物とてもなく、世わたるいとなみもしだいにうすくなり候へば、御身よのつねなさけありし人なれば、くだりてなげき候はゞ、見すてもなされ候ふまじとぞんじ、これまでくだりて候ふ也。むすめをみると覺しめし、なさけをかけてはごくみ給はれ」
とて、さめざめとなき給ふ。半平はおどろきて、
「さても、ふしぎの事を仰せ候ふものかな。そのほうのむすめは三年いぜんにこゝもとへたづねくだり、今三さいの子まであり。是れこそ、そのはうの孫也」
とて、みせければ、母もふしぎにおもひ、
「さらば、むすめにあわん」
とて、をくにいれば、むすめは母にあふまじきとて、なんどのうちにかくれけるを、半平、なんどに入りてみれば、むすめはみへずして、ゐはいあり。半平、おどろき、母にみせければ、母もなみだをながし、
「さては御身をこいしくおもふしうしん、きたりて、三とせがあいだ、そひけるあさましさよ」
とて、ふところよりゐはいをとりいだしあわせ見ければ、同筆にて釋迦牟尼佛(しやかむにぶつ)と書きてあり。半平もなみだにくれて、いろいろ、とむらいなどして、むすめの母をおもひのままに、やしないけると也。此子、せいじんして、きりやうさいち、人にすぐれければ、そのころの國司、聞こしめしおよばれ、召しかゝゑ給ふと也。半平、名字は大友氏なれども、此子は幽靈のうみたる子なれば、かのゐはいに釋迦牟尼佛(しやかむにぶつ)と書きてありしを、よみかへ、名字釋迦牟尼佛(にくるべ)三彌(さんや)としてと名のりけると也。それより此名字代々つたはりけると也。
[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「釈迦牟尼佛と云ふ苗字の事」。
「釋迦牟尼佛(にくるべ)」「釈迦牟尼仏」を「にくるべ」と読み、そうした人名の難読の名字(姓・苗字)が存在するというは、牧野くにお氏の「ベビーのうまい名づけ」というページに、その手の『本とか辞典には紹介されていますが、電話帳にはのっておらず、確認はできません』とある。他のネット上の記事でも難読苗字ランキング一位としてこれが挙がり、また、他のサイトでは「にくるべ」以外にこれを「にくろうべ」「にぐらめ」「にくろめ」「にくろべ」「おくるみ」と読むデータもあった。読み自体の由来だが、幾つか調べて見た限りでは、釈迦は「如来」であり、その所属するグループである「如来部」(にょらいぶ)の「如」の「によ」の拗音を除去し、「来」を「くる」と訓読みし、「部」をやはり訓読みして「べ」として出来たらしいというのが、一応、腑には落ちた。神仏の呼称名は神聖な忌み名であるから、それをかく読み変えて別なものを名指すこととするのは普通に民俗社会で行われることである。
「大あき人」「大商人」「おほあきんど」。
「なれそひまいらせたき」「馴れ添ひ參(まゐ)らせ度(た)き」。歴史的仮名遣は誤り。
「そのこいのかぜやつもりけん」「其の恋(こひ)の風邪(かぜ)や積りけん」。歴史的仮名遣は誤り。「風邪」は実際のそれではなく、邪気の意で、専ら「恋の病い」(重篤な精神病)に、労咳(結核)などの当時の致命的な感染症或いは重度の外因性或いは内因性疾患が合併したものであろう。
「さぞやむかいをまちかねつらん。」句点はママ。読点にすべき。
「ひろうして」「披露して」。
「なんどのうちにかくれけるを」「納戸の内に隱れけるを」。
「ゐはい」「位牌」。
「こいしくおもふしうしん」「戀しく思ふ執心」。歴史的仮名遣は誤り。
「あさましさよ」「驚くべき、意外なことよ!」。
「せいじん」「成人」。
「きりやうさいち」「器量才智」。
「そのころの國司」かく言うとなると、戦国以前の設定のように見える(あまり認識されてはいないが平安末期に既に地名としての「江戸郷」はあった)のであるが、冒頭に「江戸日本橋」とあり、これはもう、慶長八(一六〇三)年に徳川家康が全国の道路網整備計画の一環として、初代の橋(木造太鼓橋)が架けられて以降ということになる。
「聞こしめしおよばれ」御聴聞遊ばされ。
「大友氏」「半平」は商人であるが、かく姓を持っているとなると、関東では鎌倉初期の武将で御家人で相模国足柄上郡大友荘(現在の神奈川県小田原市)を支配していた大友能直を始祖とする大友氏の末裔が想起はされる。]
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