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2016/11/20

諸國百物語卷之五 十一 芝田主馬が女ばう嫉妬の事

 

     十一 芝田主馬(しばたしゆめ)が女ばう嫉妬の事

 

 丹後のみやづに芝田主馬と云ふ人あり。此女ばう、嫉妬ふかき人にて、こしもとに、もみぢと云ふをんな、きりやうよき女なりければ、主馬がめをかけんかとうたがいて、主馬、江戸へくだりしあとにて、井どへもみぢをいれ、うづめころしけり。主馬、江戸よりかへりて、

「井どは、なにとて、ほりかへけるぞ」

といへば、

「にわかにつぶれたるゆへほりかへたり」

といふ。

「もみぢは」

ととへば、

「いとまをとらせたり」

と云ふ。主馬、ふしんにおもひけれども、そのむきにてうちすぎぬ。主馬、子ども三人ありけるが、にわかにわづらひつきて、四、五十日のあいだに、三人ながら、あいはてけり。主馬ふうふ、なげきかなしぶ事、かぎりなし。そのころ、女ばう、くはいにんにて有りしが、ほどなくへいざんせられ、まことに、なげきのなかのよろこびにて、此子、てうあひ、かぎりなし。はや、三さいになりけるが、此子、きやうふうのやまひ有りて、たびたびおこりければ、いろいろと、りやうぢすれども、しるしなし。主馬かたへつねにきたるらうにんありしが、上手のはりたてありとて、同道してきたり。たてさせければ、すこしげんきにありしゆへ、

「こよひは、とまりて、たてて給はれ」

とて、とめけるほどに、牢人と、はり立、二人、なつの事なれば、かやをつり、あたりをあけはなし、物がたりしていたり。かゝる所へ、路地より、げたのあしをとしてきたる。たれぞ、と見れば、女也。こしより下は、ちしほにそまり、たけなるかみはさかさまにはへ、いろあをあをと、やせおとろへて、えんのうへゝあがる。針たては氣もたましひもうせすくみゐたり。されども、牢人、さわがず、

「いかなるものぞ」

と、とひければ、

「われは此うちにつかはれし女なるが、内儀、むじつの嫉妬にて、われを井のもとにうづめころされたり。此うらみをはらさんため、はや、三人の子どもを、とりころしたり。今一人も、とりころす也。なにと、針たて、りやうぢし給ふとも、かなふまじき」

と云ふて、かきけすやうに、うせにけり。そのとき、をくに、

「わつ」

と、なくこへ、きこへけるを、たちより、きけば、かの子、つゐに、あひはてけり。そのゝち、らうにん、主馬に、かくと、かたりければ、主馬、おどろき、女ばうにいとまをいだし、その身は出家になりけると也。

 

[やぶちゃん注:これは「曾呂利物語」巻一の「六 人を失ひて身にむくふ事」に基づく。「曾呂里物語」ではロケーションを津の国大坂の「兵衞次郎」の話とし、殺された腰元の名は示さないが、鍼醫の方は「天下無雙の聞こえありける」「あまのふてら矢野四郎右衞門」(「あまのふてら」は不詳。地名と思われ、最後の「てら」は「寺」であろう)と名が示されており、前半、「兵衞次郎」を色好みとし、女中と不倫を重ねている後半の展開も、殺された女が一丈(三メートル)ものおどろおどろしい鬼女となって出現し、遂には大きな石を屋根から落して嬰児(「曾呂里物語」では子は一人)を圧殺するというアクロバティクで長い話柄となっている(私はそちらの方がホラーとしては面白いと感ずる)

「芝田主馬」不詳。この表記の「しばた」姓は全国的にみられるものの、東海から近畿にかけて纏まって見られると苗字サイトにはある。

「丹後のみやづ」現在の京都府北部の、日本三景の天橋立があって若狭湾に面している宮津市。

「こしもと」「腰元」。

「きりやうよき女」「器量良き女」。

「主馬がめをかけんかとうたがいて」「主馬が目を懸けんかと疑ひて」。歴史的仮名遣は誤り。手をつけるのではないかと疑い。本話は彼女と主馬の関係を潔白としているところが、いい。さればこそ、「紅葉(もみぢ)」の亡魂は恨み骨髄となるのである。しかし……である(後注参照)。

「井ど」「井戸」。

「うづめころしけり」「埋め殺しけり」。以下で判るように投げ入れた後にご丁寧に井戸を埋め潰してしまったのである。「曾呂里物語」では「柴漬(ふしづ)けにこそしたりけれ」で簀巻きなどにして投げ入れたともっと具体に猟奇的。

「そのむきにてうちすぎぬ」「其の向きにて打ち過ぎぬ」。その言った通りを真実ととって。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注には、『「向き」は、気持ちをそちらへ向けること』とあり、『そのように信じて』と訳しておられる。

「くはいにん」「懷妊(くわいにん)」。歴史的仮名遣は誤り。

「へいざん」「平産」。安産。

「てうあひ」「寵愛(ちようあい)」。歴史的仮名遣は誤り。

「きやうふう」「驚風」。小児が「ひきつけ」を起こす病気の称。現在の癲癇(てんかん)症や髄膜炎の類に相当する。

「おこり」「起こり」。

「りやうぢ」「療治」。

「上手のはりたて」「上手の鍼立て」。名医と誉れの高い鍼(はり)医。

「こしより下は、ちしほにそまり」「腰より下は、血潮に染まり」。この様態は妖怪産女(うぶめ)のそれである。即ち、この妖怪の起源は〈死んだ妊婦を胎児そのままに一緒に埋葬すると「産女」となる〉という伝承が古くから存在したことによるウィキの「産女」によれば、以前は多くの地方で子供が産まれないままに妊婦が産褥で死亡した際には腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり、負わせたりして葬るべきとされてきたとある)。問題はここで、何故、殺された「紅葉」は「産女」の姿で出現したのか? という疑義にある。これは直ちに、「紅葉」が妊娠した状態で井戸に埋め殺されたという事実を引き出す。では、その子の父は誰か? 言うまでもない。主馬は実は紅葉と肉体関係を持っており、その子こそは主馬の子であったのである。さればこそ、実は更にさらに恨み骨髄となり、「曾呂里物語」の如、鬼女に変じておかしくないと言えるのである。但し、「紅葉」は直後に「むじつ」(無実)「の嫉妬にて」と述べてはいるしかし、それならば「紅葉」は誰か、別な男の子を妊娠していたということになるのであるが、どうもそうすると、そこを明らかにして描かない限り、彼女の無念さは不満足なものとなってしまう(現代の若者のように「産女」なる妖怪を知らぬ者が多いと尚更と言える)。ここは私はやはり、「紅葉」の「恨みの執拗(しゅうね)さ」から見て、前者が真実であったと捉えたいのである。さればこそ、エンディングで主馬が「おどろき、女ばうにいとまをいだ」すだけで(主馬が全く紅葉との関係がなかったとなれば、妻を殺人者として成敗するのが、武士としての主馬の本来あるべき正しい一つの選択であるはずである。但し、好意的に考えるなら、彼は妻を確かに愛していたのではあろう)、自分はあっさりと「出家にな」ったというところが逆に腑にも落ちてくるというものである。

「たけなるかみはさかさまにはへ」「丈なる髮は逆さまに生え」。歴史的仮名遣は誤り。身の丈と同じほどにもなんなんとする長い髪が植物のように逆立って生えるようになっていて。これはなかなかヴィジュアルに凄い!

「えんのうへ」「緣の上」。

「氣もたましひもうせすくみゐたり」「氣も魂も失せ竦み居たり」。

「かなふまじき」「叶ふまじき」。「効果はなかろうよ!」。]

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