谷の響 四の卷 十七 骨髮膿水に交る
十七 骨髮膿水に交る
文政の年間、岩木川の渡守佐左衞門といへるものゝ妻、※1疽(ようそ)と言腫物腰に出ていたくなやみけるが、二十日許りにて破れたるが、膿水に交りて髮毛及骨のくだけたる如きもの數日のうち出でたりしが、しだいしだいに痛もいえて本復せしとなり。伊香某こを評してこの病は女子にまゝあることにて、橘南溪が東西遊記にのせたる婦人胎中の子、死して不墮胎腐らんとして腫物となり、骨髮膿水と共に出るといへるものなりしと言へるはさる事なるべし。[やぶちゃん字注:「※1」=「疒」+(「やまいだれ」の中に)「邕」。]
又、己が近所に熊谷又五郎といへる人、黴毒(かさ)の爲に久しくわづらひしが、二年ばかりも過ぎて股にて有けんその瘡が出で、そのやぶれより骨の碎けたるもの多く出でたり。その後股は膝の如く二つに折れて有りしとなり。かさの骨にすみつくものにして、世間にまゝあれどみな難治の病なりと御番醫佐々木氏の言はれしが、果してこの人いえずしてつひに身まかれり。こは弘化年中のことなり。又、文政の年間己が家につかはれし三介といへるもの、ある夜龜甲町にて※2(むか)骨を犬にかまれたるとていたくなやみ、勤ならずとて親元に行き療治せしが、彌增いたみてすでに死ぬべきほどに見得たるに、十日ばかりありてこの疵にはりたる膏藥に骨のくだけたるごときもの三ひらついて出たるに、そはみな犬の齒にてありしと言へり。ねんひは知らざれども、夫よりしだいしだいにいえて本にふくせるなり。醫師は龜甲町の吉村某氏なり。[やぶちゃん字注:「※2」=「月」+「行」。]
[やぶちゃん注:第一段落の症例は、手塚治虫(私はアトム世代で特異的に手塚先生を尊敬しており、「鉄腕アトム」は全作、「ブラック・ジャック」はその殆んどを所持している)の「ブラック・ジャック」で助手となっているピノコで知られる(但し、ピノコのケースは女性患者が寄生性二重体症で、双生児の片割れを自分の体内に持ち続けて成人となった症例であり、ピノコはその嚢胞に封入された双子の胎児(女性)のばらばらになったものを人工的に少女に仕立てたものである。なお、ピノコのように人体の全パーツが殆んど揃って出てくることは実際にはない。ここの症例は、あくまで患者の婦人の卵巣に生じた一般的な良性卵巣腫瘍の中の一つである)、胚細胞性腫瘍の一種である「奇形膿腫」、正式には「卵巣成熟囊胞性奇形腫」、別名「皮様囊腫」、産婦人科医が「デルモイド」(dermoid
cyst)と呼称するものである。これは良性卵巣腫瘍では実は最も多いものであり、その点、本文で伊香(「いか」と読むか)という医師が「女子にまゝあること」と言っていることとも符合する。なお、卵巣はその機能的性質上、ヒトの体内の中でも最も多彩な腫瘍(良性・悪性ともに)を作り出す臓器である。参考にさせて貰ったサイト「産婦人科の基礎知識」の「良性卵巣腫瘍」の「一般的な卵巣腫瘍について」によれば、この『奇形腫を取り出してメスで切ってみると』、『中から黄色い脂肪、髪の毛、骨や歯、時には皮膚の一部がどろどろと出てきます。 初めて見ると髪の毛などが入ってますのでとてもインパクトがあります。一般的に中に入っている髪の毛は数本ではなく大量で、hair ball といって、お風呂の排水溝に詰まった髪の毛の塊のようになって出てくることも多いです』とある。ここでも腫瘍が潰れた際に最初に出てきたものを「髮毛」とする。
第二例に出る腫瘍は「黴毒(かさ)」、則ち、「梅毒」の、第三期(末期)に特有な肉芽腫であるゴム腫と思われる。ゴム腫は内臓・骨・筋肉・皮膚などに発生するゴム様の弾力のある大小の結節で、一般には顔面、特に鼻・唇・前額部・頭蓋骨に好発するものであり、大きさは粟粒大から鶏卵大以上にもなる。中央部は凝固壊死を起こして灰黄色を呈するが、その周囲は灰白色の結合組織層が取り巻いている。これはその壊死した中央部の組織や、その周囲の結合組織を、骨と見間違えたものではなかろうか? 直後にその腫れ物のあった大腿部の骨が「膝の如く二つに折れて」いたとあるから、大腿骨などが骨髄まで変性してしまい、骨自体が崩壊していた(即ち、腫れ物から出た骨は実際の自分の骨が変性して潰れ砕けたもの)のかも知れない。
「骨髮膿水に交る」「こつぱつ、のうすいにまぢる」と読んでおく。
「文政の年間」一八一八年~一八三〇年。
「岩木川の渡守」恐らくは最も知られた現在の五所川原市西部の岩木川右岸の寺町と左岸の小曲(こまがり)との間にあった「五所川原の渡し」であろう。
「※1疽(ようそ)」(「※1」=「疒」+(「やまいだれ」の中に)「邕」)「癰疽」に同じい。漢方では十五センチ以下の中型の腫脹で、上皮が薄く、光沢があって、腫脹した頂点が黄色く化膿しているものを「癰」、それ以上で三十センチほどまでを「疽」と称し、こちらは上皮が硬く、光沢がなく黒っぽいものと区別するようである。
「言」「いふ」。
「腫物」「はれもの」と訓じておく。
「及」「および」。
「骨」「ほね」。
「橘南溪が東西遊記にのせたる婦人胎中の子、死して不墮胎腐らんとして腫物となり、骨髮膿水と共に出るといへるものなりしと言へる」前にも出た、江戸後期の医師橘南谿(宝暦三(一七五三)年~文化二(一八〇五)年)が天明二(一七八二)年から同八年にかけて断続して日本各地を巡歴した際に見聞した奇事異聞を基に編纂・板行した紀行「西遊記(せいゆうき)」及び「東遊記」を併せた称。刊行は寛政七(一七九五)年から同十年。私は所持するものの、今、俄かにはどこの部分にあるのか判らない。発見次第、当該部を電子化する。
「弘化年中」一八四四年から一八四七年.
「龜甲町」既出既注。再掲しておくと、森山氏の補註に、『かめのこまち。城の北門外堀に面した町並みで』四神の『北方玄武になぞらえて亀甲を町名にした』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。現在の行政地名では「かめのこうまち」と読んでいる。
「※2(むか)骨」(「※2」=「月」+「行」。)向う脛(づね)、脛骨の部分を指すか。
「勤」西尾家での「つとめ」。
「彌增」「いやまし」。或いはこれで「ますます」と訓じているのかも知れぬ。
「三ひら」「三枚(ひら)」。「ひら」は薄く平らなものの数詞。
「犬の齒にてありし」これは実際には犬の歯牙とは思われない。向う脛を深く咬まれ、脛骨の前面の上部組織が損壊し、更に犬の唾液の中に一般的に常在する嫌気性グラム陰性桿菌のカプノサイトファーガ・カニモルサス(バクテロイデス門フラボバクテリア綱フラボバクテリア目フラボバクテリア科カプノサイトファーガ属カプノサイトファーガ・カニモルサス Capnocytophaga canimorsus))等に感染、激しく化膿したものではなかろうか(ウィキの「カプノサイトファーガ・カニモルサス」によれば、「カプノサイトファーガ・カニモルサス感染症」は『主にイヌやネコなどによる咬傷・掻傷から感染し、発熱、倦怠感、腹痛、吐き気、頭痛などの症状を伴う。重症例では劇症の敗血症や髄膜炎を引き起こし、播種性血管内凝固症候群(DIC)や、敗血性ショック、多臓器不全に進行して死に至る事があ』り、『免疫機能の低下』している被害者が『重症化に繋がりやすい』とある(なお、この学名は『「イヌによるかみ傷」』(ラテン語の“canis”(犬)+ “morsus”(嚙み傷)に由来し、『犬の咬傷によって感染することから名づけられた』とある)。その後、損傷して化膿した嚢胞内に咬傷の際に欠損した脛骨の一部が吸収され、それが三個の犬の歯に見えたのではないかと私は推測する。老犬でもない限り、咬みついた犬の歯が患部に残ったり、また、それが大分経ってから、体外に出るというのは考え難いからである。
「ねんひ」年日。]
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